統率者の死

エピソード文字数 3,953文字

 屋上は白く照り映えている。吶喊の音が聞こえ、そちらに顔を向けるが、眩い八月の光のせいで目が潰れ、何が起きているのかわからない。おそらく今日もバリケードを挟んで、「学園」の生徒と「町」の人間が激突しているのだろう。僕は目を手元に戻し、滑空機の整備を続ける。
 日が傾き、白い緞帳が取り払われると、町の遠くまで見渡せるようになった。屋上に朝永と砂川が現れた。
「悪いニュースがある」
 朝永が言った。
「良いニュースは? 良いニュースと悪いニュースは同時に訪れるものだが」
「ないよ。この「学園」に良いニュースなんてない。本校舎を牛耳っていた男が死んだんだ。籠城を強行した一派の頭だ。今朝の「町」との激突のさい、スコップで頭を叩き割られて死んだ」
「そうか。それで、他の人間は「町」に降伏するつもりになったのか?」
「その気はないようだな。「学園」の生徒はまだ籠城するつもりらしい。ところが厄介な問題がある。死んだ男の代わりに、「学園」の人間を統率できる器量の持ち主がいない」
「まるで死んだ男は学園の統率が取れていたような言い方だな。籠城が始まったときから、生徒たちにまとまりはなかった」
「否定できないな。ただ、これからさらに生徒たちのまとまりはなくなっていくだろう。状況は悪くなる一方だということだ」
「砂川はどうするんだ? 「学園」にはいよいよお前を繋ぎ止めておく力はなくなった」
 僕はこれまで黙り込んでいた砂川に話を向けた。
「私はここに残ります。「町」は風紀紊乱です。私はそこから逃げ出すために、「学園」に連れてこられたときにも大人しくしていました」
「これから、この「学園」も道徳観念が崩壊していく。「町」と同じほどに。僕としては「町」に帰ることを勧めるが。死んだ男の件がなくとも、「学園」が無秩序になっていく兆しはあった。男の死はその象徴でしかない。これからこの「学園」では内ゲバが起きるだろう。暴力や強姦が横行するようになる。そして「町」に打ち負かされるよりも早く、自己崩壊を起こす。砂川がここで死ぬ可能性だってある。それなら、生まれ育った「町」に帰って生き延びたほうがいい」
「英さんと夏子さんは「学園」から出て行かないのですか? ここが近いうちに崩壊することがわかっているのならば、あなたたちも「町」に亡命した方が良いのではないですか?」
 僕は砂川の質問に答えず、立ち上がり、フェンスに近づいた。校庭では生徒たちが丸太を組んでいた。
「あれは何をしているんだ?」
「焚火台を組んでいるんだ。死んだ男を荼毘に付すために。簡素な葬式を執り行う」
「これまで葬式なんて行われたことはなかっただろう。「学園」と「町」の衝突で死んだ人間の死体は放置されたままだ。風向きによって、死体の腐臭がここまで臭ってくる」
「一応はこの学園の統率者だった男だ。それなりに敬意を払わないとな」
 僕たちは焚火台に火がつけられ、炎が燃え上がり、男の死体が投げ込まれるまで、黙り込んでいた。
「僕は朝永と砂川を理解するために、ここ数日の二人の話を注意深く聞いていた。二人が信奉するものを知ることで、二人とわかり合えると思っていた。二人の人間がそれぞれ同じ意識を持っているとき、そこに繋がりが生じる。これが人と人の経路だ。そして一つの経路だけでなく、複数の経路を通ずることによって、人は理解し合うことができる。しかしコミュニケーションにはいくつもの障害が存在する。情報を交換して、共有するだけでは、コミュニケーションの問題を取り除くことはできない」
「きみは私からは物理学、絹からは宗教を学んだということだな。その結果、私たちと理解し合えたと思うか?」
「思わない。すでに言ったが、コミュニケーションには何か疎外する力がある。それが僕たち三人のコミュニティを不完全にしている」
「コミュニケーションを阻害する力とは何だ? きみが私だけでなく、絹にも力の根源について質問したことは聞いている。ならば、今度はこちらから質問させてもらおう。コミュニケーション、きみは人と人の経路とも表現したが、それを阻害する力の根源は何だ?」
「わからない。今の僕には、という意味だが。だがこの「学園」が崩壊する前に、必ずその答えを見つけ出して、二人に教える。約束する。ところでこの話を敷衍してもいいだろうか。僕は二人の人間のあいだにある経路について話した。けれども実際はn人の人間のあいだにある経路について考えなければならない。組織はそこに所属する人間のあいだにあるすべての経路の総和だからだ。朝永は昨日、ファインマンの経路積分について、わずかにだが言及したな。ある区間にあるすべての経路について精査して、その総和を確率分布として記述するというものだ。組織について考えるときも、同じ理論が成り立つ。すべての人間のあいだにある経路を精査すると、そこには明晰な経路と不明瞭な経路がある。もしかしたら、その度合いは確率密度として記述できるのかもしれない。その分布が組織の特性を決定づける。ある意識を共有する人間が多いほど、そこに通ずる経路は明晰になり、その逆ならば、周りからは理解しにくい経路となる。組織は経路の総和として成り立つことは言った通りだ。ところが二人の人間のコミュニケーションに障害があるように、当然n人の人間のコミュニケーションにも障害がある。二人の場合、それは無理解という形で現れるのだろうが、組織の場合、権力の構造の捻れという形で現れる。これからこの「学園」では人と人の経路が塞がれていく。そして権力のある人間が権力のない人間を叩き潰す。それが組織の崩壊、または道徳観念の崩壊だ。僕はその中に留まり、コミュニケーションを阻害する力の根源を探る。間違いなく、これからその力は大きくなっていくだろうからな」
「英さんが「学園」に残るのは、その力の根源を見つけ出すためですか?」
「それだけが理由じゃない。他にも理由はある。単純に「町」に出たくないんだ。僕は二人の人間が同じ意識を共有すると、そこに経路が生じると言った。ところがこの世には、通じてはいけない経路というものがある。つまり人が持ってはいけない意識があり、その情報は交換や共有するどころか、外部に漏洩させることすら許されない。この「学園」にいる生徒は少なからず、何かしらの形でその意識を持っている。逆を取ればその意識を持っているため、「学園」に閉じ込められているとも言える。共有されてはならない意識を持つ個人がいたとき、組織はその個人を破壊する。僕たちは「町」に出れば、悪意や嫌悪ではなくシステムによって追放される」
「人が持ってはいけない意識とは具体的に何ですか?」
「感覚的に理解しやすいものを例に出そう。それは殺人や近親相姦を肯定する理論だ」
「なるほど。けれども「町」にはそのような理論が蔓延っています。英さんの言葉を使うならば、そのような意識が共有されて、複数本の経路が通じています。人が持ってはならない意識は「学園」の人々だけでなく、「町」の人々も多かれ少なかれ必ず持っています。その法則に例外はありません。それにも関わらず、「学園」に閉じ込められる人と「町」で自由に生きる人の区別はどこにあるのでしょう? 人倫に反する度合いでしょうか?」
「その意識が善であるか、悪であるかは関係がない。「学園」と「町」を区別するものは、その意識の蓋然性が高いか低いかだ。他人の利益を不当に搾取したいという願望は少なからず誰しもが持っている。それは人倫に反するにも関わらず、蓋然性が高いために「町」から見逃されている。ところが僕たちの持つ意識は蓋然性が低いものだ。そもそも、それを共有することのできる人間を見つけ出すことが難しい。それにも関わらず、僕たちは「学園」に閉じ込められている。生徒の中には人類にとって有益である意識を持つ人間もいる。それは博愛や利他主義と呼ばれるのかもしれない。しかしそれを共有する人間が少ないという理由で「町」から追放されている。ここにこの組織の矛盾がある。「学園」は共有しにくい意識を持つ人間が集まっているからこそ、組織として保つことができない」
「英さんたちの稀有な意識について聞いてもいいですか? あなたたちはどのような意識を持ったことによって、「学園」に閉じ込められたのですか?」
「それを教えることはできない。その意識を外部に漏洩させることが許されないからこそ、僕たちは「町」から追放されたんだ。意識は言葉だけで伝わるものでない。表情や態度や口調によっても伝わる。だから僕は自分の意識を伝えるような行動は一切取らない。もしも僕が砂川にその情報を教えたら、お前の中に新しい意識を生み出すことになる。それは人が持ってはいけない意識であり、仮に僕と経路が通じることになったら、ますます悪いことになる。そして何よりも、僕が「町」から追放された原因を追究することは個人が持つ、踏み込んではならない領域を侵犯することになる。僕は砂川と人倫にもとらない経路を繋ごうと努力している。わかり合おうとしている。しかしそのために砂川が僕の他人に侵されてはならない場所にまで踏み込んでくるというのならば、僕はお前を殺す」
 僕の言葉に砂川は俯いて、押し黙ってしまった。朝永はまるで僕たちのコミュニティに関係のない人間であるかのように、荼毘の成り行きを見守っていた。二人の女が僕に対して、好意を抱いたのか、悪意を抱いたのかは、その態度からはわからなかった。人間の肉が焼ける臭いがここまで漂ってきた。僕たち三人もあの炎の中に飛び込んで、灰になるべきだった。
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登場人物紹介

桑江英(くわえはなぶさ)

「町」から精神的に欠落していると判断され、「学園」に収容されている青年。
自分の存在を確認するために設計上飛ぶことのできない滑空機の組立と解体を繰り返す。
物事を唯心論的な方面から解釈する癖がある。

朝永夏子(ともながなつこ)

「学園」の生徒の一人。
現代物理学に精通している。
量子力学が専門で、相対性理論と散逸構造論にはそこまで言及しない。

砂川絹(すなかわきぬ)

「町」を支配する教会の修道女。
「町」に対抗を試みる「学園」に人質として誘拐される。
宗派はカトリックで、特にトマス・アクィナスに傾倒している。

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