1.地下の妹
文字数 2,183文字
ドロリと暑い空気が肺に流れ込んできた。
オフィスのエアコンがきいていた分外の熱気に体が瞬時に溶けてしまいそうだった。
もう19時をすぎていると言うのにまだ空は明るい。7時間パソコンと向かい合った体はガチガチに固まってるし、ヒールを履き続けた足はパンパンに浮腫んでる。
それでも私の体は軽やかにある場所へと吸い込まれていった。
そこは外とは打って変わって真っ暗な室内。
様々な色のペンライトが激しく揺れる先に、華やかな女の子たちがめいっぱいスカートをひらつかせ右に左に踊っている。「ぴぽラブ」は4人のアイドルグループで、色によって担当が異なるらしい。
赤はセクシー、ピンクはラブリー、黄色は元気、緑はボーイッシュ。昔見たアニメキャラの配置とかぶるから覚えやすい。
床が揺れるほど上に下に飛び跳ねるファンたちはほとんどが良い年齢の男達だった。
歌い舞うぴぽラブよりエネルギーを消費しているように見える。
彼女達をみていると、自分が彼女達の親になったような気持ちになる。俺が育ててやらなきゃって思うんだ。そんなことを本気で言っていたファンの男がいたことをふと思い出した。
「チャキー!!」
隣にいた男がステージにむかって叫んだ。
無理矢理かんだかくさせた男の野太い掛け声はいつ聞いても不愉快だった。
その声にピンク担当がくるっと振り返り、子供みたいに大きく手を振った。
チャキ、本名は千秋。ファンは千秋のことを妹的な存在というが、千秋は私の妹だ。
血のつながった妹。
千秋がいなかったらこんなところ1人で来なかっただろう。
千秋は昔からあまり人前にでる性格ではなかった。積極的に人と関係を持とうとするタイプではなかったし、いつも私の後ろでもじもじしているような子だった。どういう理由だったかは知らないけれど、いつの間にか父が姿を消し、母と娘2人だけの生活が始まった時からだったかと思う。
千秋がじわじわと変わり始めたのは。
制服のスカート丈が膝上になり、顔が艶っぽくなり堂々とし始めた。お年頃と言うのももちろんあるかと思うけど、家族の大黒柱がいなくなったことでどこか自分も強くならなくてはという意識が芽生えたのかもしれない。
そんな妹が哀れで心苦しかった。
余裕のない暮らしではあったけれど、千秋がやりたいということは可能な限りやらせてあげたいと思っていた。ただ、高校を辞めて地下アイドルになりたいと言い出した時はすんなりと賛成することができなかった。連日地下アイドルに対しての熱意を語られ結局デビューを許してしまった。
あの時はもう少し華やかな世界を想像していたけれど、どうやらそんなこともないようだった。
どこの職場でも人間関係のトラブルはつきものだけど、こういう芸を売りとする生業はそういうことが特に多いんじゃないかと思う。
まだ17歳の千秋。私にとってはまだまだ小さな妹。恥ずかしいのかそれとも反抗なのか、ステージ上で私と目が合ってもそっぽ向かれることが多かった。直接手助けはできないから、会場の片隅で静かに見守るとしかできなかった。
ライブが終わるとすぐ写真会に切り替わる。
ポーズをリクエストすればその通りにポーズしてくれる。皆が皆そうと言うわけではないけれど、中には大金をはたいて際どいポーズをさせるファンもいて、見てるだけで吐き気がした。
よれたTシャツを着た少し小太りの男が千秋に近づいてきた。
先程千秋の名前を呼んだ男だ。
「お兄ちゃん今日も来てくれてありがとう!」
千秋は男のファンをお兄ちゃん、女性のファンにはお姉ちゃんと呼ぶ。
腕に抱きつくと相手の肩にこつんと頭をくっつける仕草はもう定番化していた。
女性ならまだしも異性に対してあんなに体を密着させるのはどうなんだろう。
「チャキが一番輝いてたよ。これからもずっとそばで応援してるからね。」
「本当?本当に?」
男が大きく頷く。
「ありがとうお兄ちゃん!チャキお兄ちゃんのためにがんばる!」
先ほどより力をこめて男の腕に抱きついた。
何十回と見てきたこの茶番に最初は何度も心がかき乱された。千秋は本当にこんなことをしたかったのか、どこに向かいたいのか、何か迷いがあるなら手を差し伸べてやりたいと何度も心の中で叫んだ。
一度は差し伸べた手も千秋は払いのけた。
私にはステージの片隅でただ静かに見守ることしか許されなかった。
千秋の少し後ろあたりにスタッフが数名いる。顔馴染みの中に一人見慣れない男がいた。
小柄で少し幼さの残る顔をしていて、男というよりは男の子と言う感じだった。
黒いハットに黒いTシャツに黒いズボン。
頭からつま先まで黒い。
ぎょろっとした猫みたいな目をした子だった。
ヤマト、心の中で名付けた。
黒猫をマスコットキャラにしている大手運送会社から名前を勝手にもらった。
他のスタッフが片付けでせっせと動いている中ヤマトだけは千秋のやや後ろでじっと立っている。
勘違いでなければ、こちらを見ている。
じっとりとした視線で目だけが顔のパーツの中で異様に浮き上がっているように感じた。
気味が悪い、そんな心の呟きがヤマトに届いてしまったのかすっと私の方へ歩き始めた。
すっと私の真横を通り過ぎよとしたその瞬間、ボソリとヤマトが呟いた。
「もう来るな。」
幼さの残る顔からは想像もできない低く暗い声だった。
千秋も、ファンたちもどこへ消えてしまったのか暗い会場に私だけがポツンと立ち尽くしていた。
オフィスのエアコンがきいていた分外の熱気に体が瞬時に溶けてしまいそうだった。
もう19時をすぎていると言うのにまだ空は明るい。7時間パソコンと向かい合った体はガチガチに固まってるし、ヒールを履き続けた足はパンパンに浮腫んでる。
それでも私の体は軽やかにある場所へと吸い込まれていった。
そこは外とは打って変わって真っ暗な室内。
様々な色のペンライトが激しく揺れる先に、華やかな女の子たちがめいっぱいスカートをひらつかせ右に左に踊っている。「ぴぽラブ」は4人のアイドルグループで、色によって担当が異なるらしい。
赤はセクシー、ピンクはラブリー、黄色は元気、緑はボーイッシュ。昔見たアニメキャラの配置とかぶるから覚えやすい。
床が揺れるほど上に下に飛び跳ねるファンたちはほとんどが良い年齢の男達だった。
歌い舞うぴぽラブよりエネルギーを消費しているように見える。
彼女達をみていると、自分が彼女達の親になったような気持ちになる。俺が育ててやらなきゃって思うんだ。そんなことを本気で言っていたファンの男がいたことをふと思い出した。
「チャキー!!」
隣にいた男がステージにむかって叫んだ。
無理矢理かんだかくさせた男の野太い掛け声はいつ聞いても不愉快だった。
その声にピンク担当がくるっと振り返り、子供みたいに大きく手を振った。
チャキ、本名は千秋。ファンは千秋のことを妹的な存在というが、千秋は私の妹だ。
血のつながった妹。
千秋がいなかったらこんなところ1人で来なかっただろう。
千秋は昔からあまり人前にでる性格ではなかった。積極的に人と関係を持とうとするタイプではなかったし、いつも私の後ろでもじもじしているような子だった。どういう理由だったかは知らないけれど、いつの間にか父が姿を消し、母と娘2人だけの生活が始まった時からだったかと思う。
千秋がじわじわと変わり始めたのは。
制服のスカート丈が膝上になり、顔が艶っぽくなり堂々とし始めた。お年頃と言うのももちろんあるかと思うけど、家族の大黒柱がいなくなったことでどこか自分も強くならなくてはという意識が芽生えたのかもしれない。
そんな妹が哀れで心苦しかった。
余裕のない暮らしではあったけれど、千秋がやりたいということは可能な限りやらせてあげたいと思っていた。ただ、高校を辞めて地下アイドルになりたいと言い出した時はすんなりと賛成することができなかった。連日地下アイドルに対しての熱意を語られ結局デビューを許してしまった。
あの時はもう少し華やかな世界を想像していたけれど、どうやらそんなこともないようだった。
どこの職場でも人間関係のトラブルはつきものだけど、こういう芸を売りとする生業はそういうことが特に多いんじゃないかと思う。
まだ17歳の千秋。私にとってはまだまだ小さな妹。恥ずかしいのかそれとも反抗なのか、ステージ上で私と目が合ってもそっぽ向かれることが多かった。直接手助けはできないから、会場の片隅で静かに見守るとしかできなかった。
ライブが終わるとすぐ写真会に切り替わる。
ポーズをリクエストすればその通りにポーズしてくれる。皆が皆そうと言うわけではないけれど、中には大金をはたいて際どいポーズをさせるファンもいて、見てるだけで吐き気がした。
よれたTシャツを着た少し小太りの男が千秋に近づいてきた。
先程千秋の名前を呼んだ男だ。
「お兄ちゃん今日も来てくれてありがとう!」
千秋は男のファンをお兄ちゃん、女性のファンにはお姉ちゃんと呼ぶ。
腕に抱きつくと相手の肩にこつんと頭をくっつける仕草はもう定番化していた。
女性ならまだしも異性に対してあんなに体を密着させるのはどうなんだろう。
「チャキが一番輝いてたよ。これからもずっとそばで応援してるからね。」
「本当?本当に?」
男が大きく頷く。
「ありがとうお兄ちゃん!チャキお兄ちゃんのためにがんばる!」
先ほどより力をこめて男の腕に抱きついた。
何十回と見てきたこの茶番に最初は何度も心がかき乱された。千秋は本当にこんなことをしたかったのか、どこに向かいたいのか、何か迷いがあるなら手を差し伸べてやりたいと何度も心の中で叫んだ。
一度は差し伸べた手も千秋は払いのけた。
私にはステージの片隅でただ静かに見守ることしか許されなかった。
千秋の少し後ろあたりにスタッフが数名いる。顔馴染みの中に一人見慣れない男がいた。
小柄で少し幼さの残る顔をしていて、男というよりは男の子と言う感じだった。
黒いハットに黒いTシャツに黒いズボン。
頭からつま先まで黒い。
ぎょろっとした猫みたいな目をした子だった。
ヤマト、心の中で名付けた。
黒猫をマスコットキャラにしている大手運送会社から名前を勝手にもらった。
他のスタッフが片付けでせっせと動いている中ヤマトだけは千秋のやや後ろでじっと立っている。
勘違いでなければ、こちらを見ている。
じっとりとした視線で目だけが顔のパーツの中で異様に浮き上がっているように感じた。
気味が悪い、そんな心の呟きがヤマトに届いてしまったのかすっと私の方へ歩き始めた。
すっと私の真横を通り過ぎよとしたその瞬間、ボソリとヤマトが呟いた。
「もう来るな。」
幼さの残る顔からは想像もできない低く暗い声だった。
千秋も、ファンたちもどこへ消えてしまったのか暗い会場に私だけがポツンと立ち尽くしていた。