第30話
文字数 4,393文字
どこをどう走ったのかもうよく覚えてない。ただ、浴衣じゃ走りにくくて、足も痛くて、胸も息が続かないほど苦しくて、それでも止まってしまうわけにはいかなかったのを覚えている。
もっと遠くに行かないと。もっとユキから離れないと。どうしてユキにはアサの他にも横にいてくれる人がいるって考えなかったんだろう。ユキはアサを必要としてくれているなんて、思い上がりだったのかも。
そんなアサの足を止まらせたのは花火だった。足元を一瞬下駄の色が分かるほど明るく照らし、すぐに暗くなった。顔を上げると、空がほんのり明るく染まっている。本番直前の、小さな花火が上がったのだと知る。
何で、こんなとこで独りで花火見ないといけないの?
胸が締め付けられて、息があさくなる。回りを見渡すと、アサがいるところは商店街の一番先の階段があるところだった。下駄をカランと空しく響かせながら、階段を下りる。小さな公園は誰もいなくて、こないだ砂場にあった山は、トンネルが貫通されていた。水ぶくれができているらしい。足の指にするどい痛みがはしる。足を引きずりながら、小さなブランコに座った。海からの風が髪をなびかせる。少し触ると、ヘアピンも何とかささっている状態なのがわかった。ゆっくりと抜き出す。
「あーあ。せっかく、ユキにやってもらったのに……」
紅いガラスの蝶は鏡で見たほど煌めいていなかった。命が尽きてしまったかのように、無表情にアサの手のひらの上に転がっている。
お祭りに出る前が嘘みたいだ。綺麗に着飾ったユキがアサの横で笑ってくれていて、後ろには誰一人かけることなくみんないた。お祭りの独特の音に胸躍らせながら歩き、露店の食べ物の匂いが微かに香っていた。
どこで、間違ったんだろう。諒と二人で遊ぶことに夢中になったから? ユキと離れたのがいけなかった? それとも…………。
理由はいくらでも浮かぶ。だが、理由を浮かべれば浮かべるほど空しさは大きくなった。泣きそうかも、と思ったが、でもいつまでたっても涙は出てこない。
アサはしばらくぼんやりしてから、力なくふふっと笑った。何だか自分が思っていたよりも、ずっとこういうのに慣れていることがわかってしまう。ユキのことは、本当に大切で、それは今も変わらない。だけど、ユキがいなかった場合を想像しすぎてしまった。地震だと、避難訓練みたいな感じ。アサは、ユキがいなくなってしまうかもしれない訓練をしすぎた。もう、きっと昔と変ってないことはない。
理由なんて、今さら思ったってもう遅いよ。もう、みんな過ぎちゃったことだもん。アサが今ひとりなのは、どうしたって変わらないよね。
考えて見ると、こういう気持ちになるのはずいぶん前から何回もあった気がした。ただ、時間が短かったから、見て見ぬふりをしていただけで。たとえば、ユキが告白されているときも、こんな気持ちだった。いつもいる子が、横にいない。いつもいて当たり前のところに、誰もいなくて、空間がぽっかりある。でも、アサはその事実を見なくて済んでいた。ユキは、必ずそこの場所に戻ってきたから。
暗闇の中、ぼんやりと海を見る。真っ黒な海は、時たま灯台の黄色い光が滑るように波の上を撫でていた。湿った海風が汗をかいたアサのおでこをひんやりと冷やす。
もう、疲れちゃった。
すっと目を閉じた。これから始まる花火だって、ひとりで見たって何も思えない。
閉じた瞬間、頬の上をぬるい水が伝ったけれど、拭かないでそのまま海風に吹かれていた。やっと、流れた、と思って安心する。でも、何となくこれは偽善的なものだとわかっていた。寂しい、悲しい思いが六十パーセント。残りは本当の今の自分を見ないため。
ユキに横にいてほしかったけれど、ユキがいなくても何とか自分が成り立ってしまうことに、アサがだんだん気づいてきている。でも、そんなものは認めてしまうわけにはいかない。認めてしまうと、本当に大切な一線を越えてしまう。決定的に、昔からの何かを変えてしまう。漠然としたそんな思いが胸を駆け巡って、余計アサを空しくさせる。多分、離れようと思えばできる。でも、まだそこまで先を行きたくないのだ。もう少し、一緒にいても、神様は何も言わないはずだ。アサだって変わりたくなかったのだ。何が何でもユキが必要なままでずっといたかった。
「……変なの」
ぽつりと呟いた言葉は、波が打ち上げられる優しい音にかき消される。
ずっと一緒だったはずなのに、アサの方が一歩先にきっといる。
思い出すユキは、ずっと同じだ。その横で子どものように笑う自分だけが、変わっていっている。
ユキの横で無邪気に笑う自分は、演じているというには自然すぎた。何が本当のアサなのかよくわからない。怖くなる。だから、ユキの横にいたかった。もう少し、自分が分かるまでユキの横という場所にいて、迷子のようにはなりたくなかった。
それから、と心の中で呟く。足元の砂がぱっと照らされた。二度目の小さな花火が上がった。もうそろそろ、本番らしい。
もう一つ、怖いのは、ユキはどんなアサでも横にいてくれるのか、ってこと。
目を閉じて、深く深呼吸をした。その瞬間、また一粒ポロリと頬の上を涙が転がる。
「ユキ……ねえ、何でだと思う? 隣にずっといたのにねえ……」
「なにひとりごとを言ってるのよ」
閉じていた目をパッと開いた。ほっぺたの涙が乾いたあとのぺりぺりとした感触がする。声がした方を振り向くと、階段のところでだいぶ着崩れしてしまっているユキが呆れた顔をしてこっちを見ていた。
「ユキ?」
「他に誰がいるのよ」
「え、え? だって、薫と一緒だったんじゃ……」
アサが戸惑っているのも無視して、ユキはアサの横のブランコに座った。キィとブランコが鳴り、電灯がもう一つ影を作る。
「薫と一緒にいたのはたまたま。作戦のこと全部知ってたみたい。だから、あたしが丘の上に慌てて行ったらもういたのよ」
「え? じゃあ直樹と咲姫ちゃんは?」
「薫のおかげでちゃんと二人きりになれてる」
ユキの何もなかったような淡々とした声を聞いているうちに、さっきまでどうしようもなく空しかった気持ちが薄らいでいくのがわかる。涙が流れたのが嘘みたいだ。それほどユキが隣にいるだけで、ぴたりと迷子になったような心細い思いが消えた。
「……ねえ、今、あたし、謝りたいんだけど……」
ユキの戸惑った声が耳に入った。慌ててユキの方を見る。ユキは少しうつむいてブランコに座っている。綺麗にとめたはずのかんざしが、もつれた髪にかろうじてひっかかるようにしてささっていた。ユキの髪の毛はアサと同じか、それ以上にぐちゃぐちゃだ。。それぐらい、ユキは必死に走ったのだろう。
「なんでユキが謝るの?」
悪いのは、アサだって同じだ。
「謝らなくていいよ、気にしないで。あのね、思うんだけど、どっちも同じぐらいなんだよ。ユキが悪いならアサも悪いし。だから、どっちもなかったことにしようよ」
「……アサ、それでいいの?」
ユキが不安そうにアサの顔を覗きこむ。それを見て、少しだけ息苦しくなった。ユキは、まだアサがいないとダメなんだ。ごめんね、一人で先に行って。
笑顔でアサは頷いた。それを見てユキは安心したようにもう一度綺麗に笑った。
「じゃあ、そういうことにするわ」
そのとき、ヒュゥーと不安定な高い音がした。音がした方を振り返ると、大きく花火が上がった。一瞬だけ、夜の闇を拭い去るかのように夜空に光の大輪が咲き誇る。
「ねえ、上に行かない? 公園より見えやすいわよ」
「うん、行く」
ブランコを下りて、階段を上る。上り終わったら、その横の柵に背を預けるようによりかかった。
花火は大きく爆ぜる音を響かせながら、空気をも震わせ夜空を赤々と照らし出す。見渡す限りの星は花火が咲くときだけ消え、花火に主役を譲っている。お祭り特有の匂いに混じって、火薬の匂いもし始める。
横で空を見上げている、ユキを見た。ユキは白い首を最大限伸ばしながらじっと花火を見上げている。
多分、もうアサは変わってきてる。少なくとも、ユキよりは。だけど、迷子は心細いから、もうちょっとユキの横で甘えていよう。それぐらい、いいはず。ユキだって、まだアサを必要としてくれているから。
巾着を持ってないほうの空っぽな自分の手をちらっと見た。見慣れた手は、何かをつかんでいるようにほんのりと暖かい。
手なんて、離れたらまた繋げば何の問題もないよ。今だって、きっとユキが繋いでくれている。アサは、それをちゃんと握り替えそう。
それから、思い出したように巾着の中をあさり始めた。
「……? アサ? 何してんの?」
「あの、アサさ、露店で買ったんだよ」
そう言いながら、巾着の下の方にもぐりこんでしまった茶色い小さな紙袋を引っ張り出す。
「何、それ」
「えっとね、これ……覚えてるかなあ」
巾着を腕からはずして、注意深く袋の中からピアスを取り出した。シルバーとゴールドのペアのハートのピアスが花火の輝きを反射して煌めいている。
ユキに落とさないように手のひらに転がったピアスを差し出す。ユキはしばらくじっと見て、迷うことなくシルバーのピアスを手に取った。たったそれだけのことなのに、顔が緩むのを我慢したほど幸福感で胸がいっぱいになる。
「やっぱり、ユキはシルバーの方だよね」
「え? あ、アサ、シルバーがいいの?」
「ううん、アサはゴールドがいい」
ユキはそんなアサを変な目でちらっと見た。それから、ピアスをじっくり見つめてる。
「綺麗」
ユキの白く細い指がシルバーのハートのピアスを持っている。よく見えるように上に掲げると、ユキの細い腕が空に向かって突き上げられた。花火がパンっと色とりどりに爆ぜた瞬間、ピアスは美しく煌めいた。
「ん、ね、綺麗」
アサもゴールドのピアスを少しだけ掲げて、夜空に咲く花火が爆ぜるたびに煌めくのを見つめていた。ピアスの奥にある濃淡の夜空に、花火が鮮やかに咲き誇る。その一部がピアスに反射して映りこんだ。
花火が次々と上がる音を聞き、明るく大きな花が夜色の空に咲くのを眺めてから、アサはゆっくりと目を閉じた。
目を閉じても感じられる人の体温や息遣いが、すぐ横にある。
ずっと寂しくて、心細くて、迷子にならないための目印がほしかった。手に入れてみると、嬉しさよりも、喜びよりも、ひどく懐かしい。昔と変わってしまっても、まだ独り立ちはしたくなかった。迷子にも旅人にも、今はまだなりたくない。ユキの横で甘えていたい。せめて、ユキが一緒に迷子になってくれるときまでは。
今夜の最後の花火が爆ぜる音がした。もしかしたら、ユキとアサの横で十分膨らんでいた光の玉が、ようやっと小さく爆ぜた音かもしれない。
End
もっと遠くに行かないと。もっとユキから離れないと。どうしてユキにはアサの他にも横にいてくれる人がいるって考えなかったんだろう。ユキはアサを必要としてくれているなんて、思い上がりだったのかも。
そんなアサの足を止まらせたのは花火だった。足元を一瞬下駄の色が分かるほど明るく照らし、すぐに暗くなった。顔を上げると、空がほんのり明るく染まっている。本番直前の、小さな花火が上がったのだと知る。
何で、こんなとこで独りで花火見ないといけないの?
胸が締め付けられて、息があさくなる。回りを見渡すと、アサがいるところは商店街の一番先の階段があるところだった。下駄をカランと空しく響かせながら、階段を下りる。小さな公園は誰もいなくて、こないだ砂場にあった山は、トンネルが貫通されていた。水ぶくれができているらしい。足の指にするどい痛みがはしる。足を引きずりながら、小さなブランコに座った。海からの風が髪をなびかせる。少し触ると、ヘアピンも何とかささっている状態なのがわかった。ゆっくりと抜き出す。
「あーあ。せっかく、ユキにやってもらったのに……」
紅いガラスの蝶は鏡で見たほど煌めいていなかった。命が尽きてしまったかのように、無表情にアサの手のひらの上に転がっている。
お祭りに出る前が嘘みたいだ。綺麗に着飾ったユキがアサの横で笑ってくれていて、後ろには誰一人かけることなくみんないた。お祭りの独特の音に胸躍らせながら歩き、露店の食べ物の匂いが微かに香っていた。
どこで、間違ったんだろう。諒と二人で遊ぶことに夢中になったから? ユキと離れたのがいけなかった? それとも…………。
理由はいくらでも浮かぶ。だが、理由を浮かべれば浮かべるほど空しさは大きくなった。泣きそうかも、と思ったが、でもいつまでたっても涙は出てこない。
アサはしばらくぼんやりしてから、力なくふふっと笑った。何だか自分が思っていたよりも、ずっとこういうのに慣れていることがわかってしまう。ユキのことは、本当に大切で、それは今も変わらない。だけど、ユキがいなかった場合を想像しすぎてしまった。地震だと、避難訓練みたいな感じ。アサは、ユキがいなくなってしまうかもしれない訓練をしすぎた。もう、きっと昔と変ってないことはない。
理由なんて、今さら思ったってもう遅いよ。もう、みんな過ぎちゃったことだもん。アサが今ひとりなのは、どうしたって変わらないよね。
考えて見ると、こういう気持ちになるのはずいぶん前から何回もあった気がした。ただ、時間が短かったから、見て見ぬふりをしていただけで。たとえば、ユキが告白されているときも、こんな気持ちだった。いつもいる子が、横にいない。いつもいて当たり前のところに、誰もいなくて、空間がぽっかりある。でも、アサはその事実を見なくて済んでいた。ユキは、必ずそこの場所に戻ってきたから。
暗闇の中、ぼんやりと海を見る。真っ黒な海は、時たま灯台の黄色い光が滑るように波の上を撫でていた。湿った海風が汗をかいたアサのおでこをひんやりと冷やす。
もう、疲れちゃった。
すっと目を閉じた。これから始まる花火だって、ひとりで見たって何も思えない。
閉じた瞬間、頬の上をぬるい水が伝ったけれど、拭かないでそのまま海風に吹かれていた。やっと、流れた、と思って安心する。でも、何となくこれは偽善的なものだとわかっていた。寂しい、悲しい思いが六十パーセント。残りは本当の今の自分を見ないため。
ユキに横にいてほしかったけれど、ユキがいなくても何とか自分が成り立ってしまうことに、アサがだんだん気づいてきている。でも、そんなものは認めてしまうわけにはいかない。認めてしまうと、本当に大切な一線を越えてしまう。決定的に、昔からの何かを変えてしまう。漠然としたそんな思いが胸を駆け巡って、余計アサを空しくさせる。多分、離れようと思えばできる。でも、まだそこまで先を行きたくないのだ。もう少し、一緒にいても、神様は何も言わないはずだ。アサだって変わりたくなかったのだ。何が何でもユキが必要なままでずっといたかった。
「……変なの」
ぽつりと呟いた言葉は、波が打ち上げられる優しい音にかき消される。
ずっと一緒だったはずなのに、アサの方が一歩先にきっといる。
思い出すユキは、ずっと同じだ。その横で子どものように笑う自分だけが、変わっていっている。
ユキの横で無邪気に笑う自分は、演じているというには自然すぎた。何が本当のアサなのかよくわからない。怖くなる。だから、ユキの横にいたかった。もう少し、自分が分かるまでユキの横という場所にいて、迷子のようにはなりたくなかった。
それから、と心の中で呟く。足元の砂がぱっと照らされた。二度目の小さな花火が上がった。もうそろそろ、本番らしい。
もう一つ、怖いのは、ユキはどんなアサでも横にいてくれるのか、ってこと。
目を閉じて、深く深呼吸をした。その瞬間、また一粒ポロリと頬の上を涙が転がる。
「ユキ……ねえ、何でだと思う? 隣にずっといたのにねえ……」
「なにひとりごとを言ってるのよ」
閉じていた目をパッと開いた。ほっぺたの涙が乾いたあとのぺりぺりとした感触がする。声がした方を振り向くと、階段のところでだいぶ着崩れしてしまっているユキが呆れた顔をしてこっちを見ていた。
「ユキ?」
「他に誰がいるのよ」
「え、え? だって、薫と一緒だったんじゃ……」
アサが戸惑っているのも無視して、ユキはアサの横のブランコに座った。キィとブランコが鳴り、電灯がもう一つ影を作る。
「薫と一緒にいたのはたまたま。作戦のこと全部知ってたみたい。だから、あたしが丘の上に慌てて行ったらもういたのよ」
「え? じゃあ直樹と咲姫ちゃんは?」
「薫のおかげでちゃんと二人きりになれてる」
ユキの何もなかったような淡々とした声を聞いているうちに、さっきまでどうしようもなく空しかった気持ちが薄らいでいくのがわかる。涙が流れたのが嘘みたいだ。それほどユキが隣にいるだけで、ぴたりと迷子になったような心細い思いが消えた。
「……ねえ、今、あたし、謝りたいんだけど……」
ユキの戸惑った声が耳に入った。慌ててユキの方を見る。ユキは少しうつむいてブランコに座っている。綺麗にとめたはずのかんざしが、もつれた髪にかろうじてひっかかるようにしてささっていた。ユキの髪の毛はアサと同じか、それ以上にぐちゃぐちゃだ。。それぐらい、ユキは必死に走ったのだろう。
「なんでユキが謝るの?」
悪いのは、アサだって同じだ。
「謝らなくていいよ、気にしないで。あのね、思うんだけど、どっちも同じぐらいなんだよ。ユキが悪いならアサも悪いし。だから、どっちもなかったことにしようよ」
「……アサ、それでいいの?」
ユキが不安そうにアサの顔を覗きこむ。それを見て、少しだけ息苦しくなった。ユキは、まだアサがいないとダメなんだ。ごめんね、一人で先に行って。
笑顔でアサは頷いた。それを見てユキは安心したようにもう一度綺麗に笑った。
「じゃあ、そういうことにするわ」
そのとき、ヒュゥーと不安定な高い音がした。音がした方を振り返ると、大きく花火が上がった。一瞬だけ、夜の闇を拭い去るかのように夜空に光の大輪が咲き誇る。
「ねえ、上に行かない? 公園より見えやすいわよ」
「うん、行く」
ブランコを下りて、階段を上る。上り終わったら、その横の柵に背を預けるようによりかかった。
花火は大きく爆ぜる音を響かせながら、空気をも震わせ夜空を赤々と照らし出す。見渡す限りの星は花火が咲くときだけ消え、花火に主役を譲っている。お祭り特有の匂いに混じって、火薬の匂いもし始める。
横で空を見上げている、ユキを見た。ユキは白い首を最大限伸ばしながらじっと花火を見上げている。
多分、もうアサは変わってきてる。少なくとも、ユキよりは。だけど、迷子は心細いから、もうちょっとユキの横で甘えていよう。それぐらい、いいはず。ユキだって、まだアサを必要としてくれているから。
巾着を持ってないほうの空っぽな自分の手をちらっと見た。見慣れた手は、何かをつかんでいるようにほんのりと暖かい。
手なんて、離れたらまた繋げば何の問題もないよ。今だって、きっとユキが繋いでくれている。アサは、それをちゃんと握り替えそう。
それから、思い出したように巾着の中をあさり始めた。
「……? アサ? 何してんの?」
「あの、アサさ、露店で買ったんだよ」
そう言いながら、巾着の下の方にもぐりこんでしまった茶色い小さな紙袋を引っ張り出す。
「何、それ」
「えっとね、これ……覚えてるかなあ」
巾着を腕からはずして、注意深く袋の中からピアスを取り出した。シルバーとゴールドのペアのハートのピアスが花火の輝きを反射して煌めいている。
ユキに落とさないように手のひらに転がったピアスを差し出す。ユキはしばらくじっと見て、迷うことなくシルバーのピアスを手に取った。たったそれだけのことなのに、顔が緩むのを我慢したほど幸福感で胸がいっぱいになる。
「やっぱり、ユキはシルバーの方だよね」
「え? あ、アサ、シルバーがいいの?」
「ううん、アサはゴールドがいい」
ユキはそんなアサを変な目でちらっと見た。それから、ピアスをじっくり見つめてる。
「綺麗」
ユキの白く細い指がシルバーのハートのピアスを持っている。よく見えるように上に掲げると、ユキの細い腕が空に向かって突き上げられた。花火がパンっと色とりどりに爆ぜた瞬間、ピアスは美しく煌めいた。
「ん、ね、綺麗」
アサもゴールドのピアスを少しだけ掲げて、夜空に咲く花火が爆ぜるたびに煌めくのを見つめていた。ピアスの奥にある濃淡の夜空に、花火が鮮やかに咲き誇る。その一部がピアスに反射して映りこんだ。
花火が次々と上がる音を聞き、明るく大きな花が夜色の空に咲くのを眺めてから、アサはゆっくりと目を閉じた。
目を閉じても感じられる人の体温や息遣いが、すぐ横にある。
ずっと寂しくて、心細くて、迷子にならないための目印がほしかった。手に入れてみると、嬉しさよりも、喜びよりも、ひどく懐かしい。昔と変わってしまっても、まだ独り立ちはしたくなかった。迷子にも旅人にも、今はまだなりたくない。ユキの横で甘えていたい。せめて、ユキが一緒に迷子になってくれるときまでは。
今夜の最後の花火が爆ぜる音がした。もしかしたら、ユキとアサの横で十分膨らんでいた光の玉が、ようやっと小さく爆ぜた音かもしれない。
End