うちへおいでよ (5)
文字数 1,239文字
白狐を抱いたまま、アリアはそろそろと後ずさりした。
空中の水蒸気をたしかめる。ちょうど朝露が陽にとけていく時間で、状態は悪くない。うまく集めれば乗れるだけの流れを一本作れるだろう。
ミランダに習ったばかりの技。実地で試すのは初めてだ。不安だが、賭けてみるしかない。
(それにしても)
薄紅から萌黄、水色へと変わっていく空に、さっきからちりちりと稲妻が走るのが気になる。その稲妻の跡が、消えない。
ほんの少し、集中力に欠けた。
両腕は白狐を抱えているから使えない。うずくまった姿勢から、地を蹴って跳び上がったとき、忘れていた痛みが左足首に走った。
(あっ……!)
「おっと」
全成アントワーヌの手からすかさず放たれた光の
地面に叩きつけられる。
「いけない子だね」
おおいかぶさるように微笑まれて、痛みと恐怖のあまり、もう声も出ない。
「言うことを聞いてくれれば、こんな手荒なまねはしないのに」
策と見えたのは数珠だった。僧侶の持つ長いものだ。
「痛かった? ごめんね」
いましめをほどかれ、手を当てられる。一瞬前とは別人のような優しさに、とほうにくれてしまうアリアだ。
「さわらないで」
自分の口から出たのではない叫びに、驚くひまもなかった。白い姿が男をはねとばし、アリアとのあいだに割って入った。髪が水になびくように天へ向かって逆立っている。
「お姉ちゃん!」
「アリア逃げて」
「でも」
「四郎は置いて。あたしが何とかする」
「でも」
「これはこれは、派手なご登場だ。さすが舞姫」男はからからと笑った。「妹御をお連れしてからじっくりとお招きしようと思っていたのですが、手間がはぶけました。ミランダさんですね。それとも、遥さんとお呼びしていいのかな」
いきなり本名で呼びかけられた無礼に、ミランダの頬にかっと血が昇る。
「こうなったら恥も外聞もない」アントワーヌはいさぎよく両手をついた。かたわらのセバスチャンもあわててそれに
「お願い?」
しっ、とミランダが制したが遅かった。こういうときに相手の話に乗ってはだめなのだ。
アリアの反応に糸口をつかんだ男は、膝を立ててにじり寄ってくる。
「わたしどものためではないのです。民のためです」
真摯なその声音には、聴く者を酔わせる力がある。
「ご存知でしょう。ここ数年、この国では大渇水と大洪水がくりかえされています。どれほど多くの人が家を失い田畑を失い、苦しんでいることか。
わたしどもも日々一心に祈りを捧げておりますが、いかんせん力及ばず。
このとおり伏してお願いいたします。海の娘御のお二人、水を自在に動かされるお二人に、どうかご協力をたまわりたい。お力をお貸しください。祈願の歌舞をささげていただきたいのです。
八大龍王、雨やめたまえと」