第1話

文字数 1,840文字

閑散とした夜のマック。
カウンター席に座ったタイミングで、メールの着信音が鳴った。
「お。めずら」
予想外の相手に、小さなひとりごとがもれる。
沼山パイセン。4年?いや5年ぶりのメールだ。
パイセンは同じ文芸部で、3回留年していて、大学を卒業したのは一緒の年だった。
以来、初めての連絡だったので、すわマルチのお誘いかと身構えたが「おひさー。マルチでも宗教でも借金でも結婚しましたでもねえよ、安心しろ」とあって安堵する。相変わらずのノリで、留年し続けていたころと全然変わってない。
生乾きの自我をもてあましていた青春時代が、一気に胸に蘇る。
文芸部とはいっても、作家には憧れはあるが同人誌を出すわけでもなく、ただ部室に集まってぐだぐだと時間をつぶし、夜になったら酒を飲む。そんなゆるい集まりだった。
映画サークルは自意識過剰、テニスサークルはパリピ、異文化交流サークルは向上心が高すぎる。意識高い系には入れないやつらが集まって、居心地はそれなりによかった。
ただ、そんなやつらの集まりなのでベクトルは常に下を向いている。
部室に集まっては売れてる作家をこきおろし、わかったようなことをそれっぽく語り悦に入って、「おっと、おれ忙しいんだよな」とバイトへ行く。そんな日々だった。

「おひさー。マルチでも宗教でも借金でも結婚しましたでもねえよ、安心しろ。
山田、今もアマソンでレビュー書いてるだろ?
ほら、高橋キミドリの『ぼくらのモラトリアム』にクソレビュー書いてる『madaya』っておまえだろ?『今どきタイトルにモラトリアムと入れちゃうセンスwwwwwwww』って始まるやつ。草の数ですぐおまえだってわかってさ、なんかなつかしくなってメールした」

ぶふっ。
コーヒーを吹き出しそうになる。
よく見つけたなあ。
『ぼくらのモラトリアム』は今年の文芸新人賞作品で、映画化も決まってる。
あのころ、クソレビューを書くことが文芸部で流行して、売れてる本を読んでは重箱の隅をつつくようにその欠陥を指摘していた。上から目線のクソみたいなレビューに星ひとつ。文芸部っぽい唯一の活動だったかもしれない。
5年たった今も同じことをしているとは、その時のおれは想像だにしなかったが。

「おまえのクソレビュー、やっぱりおもしろいな!
斜め上からバカにしつつ、きっちり問題点を指摘してるところがさすが山田だよ。『自虐とギャグのすきまから主人公(ってか作家様)の必死すぎる自我がチラリズムで読んでてツラたん』とか。
いや、マジでおもしろいよ。」

沼山パイセンは、部室の主と呼ばれていた。
いつもだっせえチェックシャツで、そのくせハードボイルドに憧れていて、部室でウイスキーの小瓶をラッパ飲みしていた。
国立とはいえそれほど偏差値は高くない大学で留年しまくる、愛おしいほどだめなやつ。
自分もモテないが、沼山パイセンはもっとモテない。
自分もイケてないが、沼山パイセンはもっとイケてない。
自分も底辺だが、沼山パイセンはもっと底辺。
ほかの先輩方は卒業していく。だけど、沼山パイセンだけはずっとそこにいて、ウイスキーをラッパ飲みしてむせるという定番コントを繰り返してくれる。
おれはその安心感に、沼山パイセンを慕っていた。
だけども、だ。沼山パイセンよりちょっと上にいることの安心感が、今のおれ自身をゆっくりと作り上げていったとすれば、その存在は意外に罪深ったのかもしれない。
おれは何者かになるきっかけをつかめないまま、もう20代の後半だ。
あせってがんばるわけでもなく、そのあせりをごまかすように、成功しそうな新人作家の匂いをかぎつけてはクソレビューで合法的にこきおろしている。やめられない。
そして沼山パイセンもまた、同じような状況なんだろう。
そうでなければ、星が100の数を超え、星5つの絶賛レビューが毎日更新されていくあのコメント欄の中のおれに、たどりつくわけがない。
おれも変わってないし、沼山パイセンも変わってない。安心する。
生乾きの自我は今も生乾きで、耐え難い臭いを放ち始めている。
だけど沼山パイセンのメールは、あのころのぬるくて心地いい時間を思い出させてくれた。
がんばらなくていい、自分がだめだと認めなくていい、逃げる必要もないくらい安心できる場所。
おれも底辺だが、沼山パイセンはもっと底辺でいてくれる。

最後の一文を読んで、おれは飲んでいたコーヒーを思いっきり吹き出した。


「で、あの高橋キミドリって作家さ、実はおれのペンネームなんだよ。ほんと、鋭い意見ありがとな」



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