3章―2
文字数 3,968文字
車内にいても、歓声や拍手(そして、何故か笑い声)が聞こえてくる。舞台上での出番がないラウロは出演が終わったメイラとミック、スウィートと共に、風船をひたすら膨らませていた。
これは公演終了後、観客に配る『お土産』だ。昔見かけたサーカスも風船を配っていたような、と呟いたところ、[家族]皆が乗り気になり今回から始めることになったのだ。リビングの天井には、赤と黄色の風船がぎっしりと敷き詰められている。これだけあれば充分だろう。
すると、外から一際大きな拍手が響いてきた。メイラは作業の手を止め、壁際の時計を見た。
「あら、そろそろアースの演技が終わる頃かしら?」
「じゃあ俺、外に行ってきます」
ラウロは赤と黄色の帽子を再び被り、風船の紐を沢山手に取る。すると急にドアが開き、飛びこんできたモレノが派手に転倒した。
「ちょっとモレノ、ちゃんと直しなさいよ!」
「いてて、分かってますって」
モレノはゴミ箱を蹴飛ばしてしまったらしい。メイラに叱られ、彼は慌てて床に散乱したゴミを拾い集めた。ラウロも呆れて笑いながら彼を手伝った。
「おいおい、そんなに急いでどうしたんだ?」
「はっ、そうだった!」
モレノは作業の手を止め、腫れぼったい目を輝かせた。
「新しい[家族]、見つかったらしいっすよ!」
全員が声を上げて喜ぶ。ムッとしながら兄に抱きつかれるミックでさえ、嬉しそうだ。ラウロもテンションが上がり、モレノの背中をバシバシ叩いた。
「まじかよおい、すげぇな!」
「いてっ、ラウロさん力強すぎっすよ!」
「三回連続で見つかるなんて、これって奇跡じゃない⁉」
メイラは喜び余って天を仰ぐ。ラウロが[家族]になったのは前回の公演だが、その前回はアースが見つかったと聞いている。新しい[家族]が立て続けに増えることは、まさに奇跡なのかもしれない。
「こうなったら祭っすよメイラさん、盛大に盛り上げてやりましょう!」
「そうね、とびっきり素敵なパーティーにしなきゃ! スウィート、あんたも手伝いなさい!」
「ひ、火を使う料理以外でしたら……」
メイラとモレノは勢いでスウィートを胴上げし、ピンキーは花火が上がる音を立てて飛び回る。冷めた目で兄を睨んでいたミックは、僅かに笑顔になっていた。
ラウロも一緒になって笑っていたが、ある可能性に気づき、表情を曇らせた。新しい[家族]が、公演前に見かけたあの『彼』だったとしたら。
思い悩んでいるとピンキーが肩に止まり、普通のオウムの声で心配そうにさえずる。ラウロは「大丈夫だ」と微笑み、ピンク色の頭を優しく撫でてやった。
『彼』は『彼女』じゃない。『彼女』が独りでいるはずがない。そう自身に言い聞かせ、ラウロは紐の束を手に外へ繰り出した。
公演は間もなく終了し、テントから観客が続々と出て来る。
ラウロはその一人一人に笑いかけながら、赤と黄色の風船を勧めた。下心を隠しきれない男衆にまたもや囲まれたが、彼らを追い払った後は幼い子供達が集まってきた。
「おねえちゃん、ぼくにもふうせんちょうだい!」
「あたしにも!」
気づけば、大勢の子供達が笑顔でこちらに手を伸ばしていた。このような経験は初めてであり悪い気はしない。しみじみ思うラウロだったが、ふと聞き捨てならない単語が耳に入ってしまい、思考停止した。
「ん? 『おねえちゃん』?」
子供達は穢れのない瞳で見つめてくる。ラウロの笑顔は、次第に引きつってきた。
「あのな、俺、男なんだ。おねえちゃんじゃなくて、『おにいちゃん』、な?」
その場が静まり返る。子供達は口を揃えて「うそだー!」と叫んだ。
「ラウロさん、ど、どうしたんですか?」
「どうしたも何も、俺は男だって言ってんだろうがー!」
着替え終わったアースが追加の風船を手に助太刀に入る。子供達は「うそだ!」、「こんなにかわいいのに!」と騒ぎ立てており、ラウロは遂にぶち切れてしまった。
「とにかく、俺を二度とおねえちゃん呼ばわり、する、な……」
子供達に負けじと声を荒げるが、目の前の光景に頭が冷えてゆく。こちらの騒動に気づいた観客がいつの間にか群がっていたのだ。アースが持ってきた風船と合わせても、明らかに足りない。
「てめぇら全員そこに並べ! そしてアースは残りの風船、全部持って来ぉーい‼」
ラウロは大声で捲し立てる。子供達は直ちに一列に並び、アースは全速力で車内に引き返した。
――――
「ふぅ、疲れた……」
風船を配り終えたアースとラウロは、ぐったりとその場に座りこんだ。モレノと双子も手伝ってくれたが、彼らは新しい[家族]に早く会いたいらしく、一足先に戻っている。三人の体力は底無しなのか、と、アースは羨ましい気持ちになった。
夕日はすっかり隠れてしまい、辺りは宵闇に包まれている。アース達は重い腰を上げ、銀色のキャンピングカーに向かった。
「ラウロさん、髪型戻しちゃうんですか?」
「あぁ。きつめに結んでたから痛くてな」
ラウロは帽子を小脇に抱え、ツインテールの結び目を取り器用に結び直す。緩いポニーテールに戻ったラウロは、やはり女性に見えた。
車体に近寄り、アースは窓を覗く。その奥には[家族]の背が見えたが、笑っているのか、時折体が揺れていた。
「思ったより遅くなりましたね。新しい[家族]、もう中にいるんでしょうか?」
ドアを前にラウロは立ち止まる。彼は何故か中に入ろうとせず、アースは疑問に思い隣に移動する。ラウロはどこか強張った表情でこちらを見下ろした。
「あのさ、アース。帰りの観客がどれくらい多かったか、覚えてるか?」
覚えてるも何も、目が回るような忙しさで周囲を気にする余裕すらなかった。アースが首を振ると、ラウロは「だよなぁ」と溜息をつく。堪えきれなくなり、アースは彼を問いただした。
「今日のラウロさん、なんか変です。どうしたんですか?」
返答はない。ラウロは険しい表情のままドアノブに手をかけていたが、急に明るい笑顔を作った。
「いや、何でもない。心配かけて悪かったな」
そしてアースが答える間もなく、何事もなかったかのようにドアを開けた。
室内の[家族]は既に、誰かを取り囲んでいた。中心にいるのが新しい[家族]のようだ。「いつもより動物の鳴き声が多いような?」と、ぼんやり考えていると、こちらに気づいたノレインが笑顔で手招きした。
「おーい、新しい[家族]を紹介するぞ!」
その言葉を合図にメイラが立ち上がり、アース達の手を取って皆の手前に連れ出した。
「あっ」
アースは思わず声を上げた。そこには呼びこみ時に見た犬と猿、そして金髪の少女がいたのだ。
訝しげにこちらを見る彼女の瞳は、宝石のような澄んだ緑色。右耳には赤い円錐形のイヤリングが煌めいていた。表情は大人びており、何故か周りを警戒しているように見える。
「私はナタル。こっちは相棒のシャープとフラット。これからよろしくね」
少女、ナタルは強張った顔を少し和らげ、二人に向かって微笑む。その様子を見て、犬のシャープと猿のフラットもようやく警戒を解いた。
アースは戸惑いながら挨拶を返したが、ラウロは気まずそうに顔を背けている。メイラは笑いながら、自分達の背中をバシバシ叩いた。
「あっはははは、二人共なんで緊張してるのよ。もっとリラックスしなさい! ナタル、紹介するわ。アースとラウロよ」
「ラウロ?」
彼の名前を聞いた途端、ナタルは顔をしかめた。目を細めてラウロをじっと見るものの、彼は目を合わせようとしない。すると、ナタルはメイラに向かって声をかけた。
「すみません、メイク落としを貸してもらえませんか?」
ナタルは渡されたメイク落としを構え、彼の道化師メイク目がけて勢い良く擦り始めた。そして、素顔になったラウロを見て目を見開いた。
「やっぱり! あの時の……!」
ナタルはラウロの手を取り、嬉しそうにはしゃぎ出す。その様子は、まるで友人と久し振りに再会したかのようだった。アースは目を丸くする。この二人はやはり、知り合いだったらしい。
「あんた、生きてたのね! ここにいるなんてびっくりしちゃった!」
ナタルは目元を拭いつつ再会を喜んでいるようだが、ラウロは相変わらず俯いたまま一言も話さない。不自然な様子を呆然と見ていた[家族]だったが、ようやくノレインが口を挟んだ。
「君達、もしかして知り合いなのか?」
「そうなんです! 数ヶ月前に会っ」
「ちょ、ちょっと待て‼」
突然、ラウロが会話を遮った。一瞬の間を置き、ナタルは彼を鋭く睨む。その射抜くような視線を前に、アースは背筋が冷えた。
「いきなり何? 話の邪魔しないでくれる?」
「ごめん。俺、分からないんだ。あの頃と格好も違うし、さっき見た時は見間違いかと思って、つまり、その……」
ラウロは動揺を隠せない様子で言葉を詰まらせるが、やっとのことで声を絞り出した。
「どうしてお前がここにいるんだよ。シーラさんは一緒じゃないのか⁉」
ナタルは言葉を失う。シャープとフラットが心配そうに彼女に寄り添う姿を見て、ラウロは我に返った。
「ご、ごめん。もしかして、聞いちゃいけなかったか?」
「うぅん、いいのよ。実は……母さんは、殺されたの」
ナタルは虚しげに息を吐き、椅子に崩れ落ちる。ラウロだけでなく[家族]全員が息を飲んだ。ナタルはこちらの様子に気づいたらしく、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「ごめんなさい。私達の会話、全然分かりませんよね。何があったか説明します」
「ぃ、いや、辛いことだったんだろう? 無理して話す必要は……」
「大丈夫です。しっかり向き合わないと、これからが大変ですから。それに」
ナタルはノレインの言葉を遮り、息を深く整える。その緑色の瞳は、力強さを取り戻していた。
「皆に知っていてほしいことがあるんです」
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