第四章 革命前夜

文字数 4,199文字

https://www.youtube.com/channel/UC1Coqtmr-fjYhM3thLdJybw  

  第四章 革命前夜

 小さな漁村を出発したピックアップトラックの幌もない荷台の上、赤褐色、未舗装の悪路に私は揺られていた。乗り合わせたフランス人を名乗るヒッピー風の若いカップル、男はブロンドの巻き毛を靡かせ、私に火はないかと聞いてきた。ライターを差し出すと口にくわえたジョイントに火をつけ、大きく煙を吸い込み、吐き出すと同時に風に向かって奇声を発した。陽のお礼とばかりにジョイントを持つ手がこちらへと伸びる。私は断ったが、ライターはさりげなく彼のポケットの中へとねじ込まれた。
 男は女にジョイントを渡す。胡坐をかく女の足の間には「フアナ」と名付けられた白い鶏が首を忙しなくキョロキョロと動かしていた。私も煙草を取り出し、男にライターを返すように火をつけるジェスチャーをすると、嫌な顔をしながら渋々とポケットから差し出した。
 煙草の煙は車の後方へ猛スピードで流れ消え去る。見上げる空は雲一つなく、前後に真っ直ぐ伸びた土の道、海側の方は拓け、数頭の牛がのんびり草を探してうろつき、もう片側は、青々とした木々の茂みが延々と続いていた。

 もう一人、同乗者が居た。村の出口で乗り込んできた背の低い口髭を生やした中年の男、アメリカ人だと言った。黒いスウェードのカウボーイハットは長年の相棒といわんばかりにくたびれ、よれよれのグレーの半そでシャツの上からジャーナリストのようなポケットのたくさん付いた黒いメッシュのベストを着ていた。ベストのポケットから赤いマルボロを取り出すと中から短く潰れたシケモクを引き抜き、この男もライターを貸してくれと言った。ライターを差し出すと、風を手で器用に遮りながら火をつけ、ジョイントの火が消え手持ち無沙汰にしていたフランス人の男にライターを放り投げた。男はライターを受け取り火がつくと気持ち良さそうに煙を吹かし、またポケットにライターをねじ込んだ。アメリカ人の男はフランス人の男にライターを返すようさりげなく諭し、火は無事に世界を一周し、私の手へ再び戻ってきた。

「このピックアップに乗る俺達の中で火を持つ、すなわち力を持つのは、そう、お前だ」と、揺れる荷台で男は私の真横にべったりとすり寄ってきた。
「お前が居なければ、俺達は煙草もマリファナもお預けだった。そう、誰が太陽で、この世の始まりを告げることができるか? さて、水はどうだ。あいつらは、どでかいペットボトルがある。お前も一人にしては十分な量を持っている、俺も、このとおり、少ないが、まあ次の村に着くまでなんとかなるぐらいはある。これで、皆無事に目覚め、水にはありつけるわけだ。ほら、見てみろ、風は吹いて、ここには屋根もない! 俺達は自由だ、どこへでも行けるぞ!」
 幌を掛けるフレームは剥き出しになった肋骨、そうだ、巨大生物の化石の腹の中だ。
「さあ、どこへ行くか決める前に確かめておこう、お前は何者だ? いや、もっと簡単に…… そうだな、日本人だ、男だ、さて、職業はなんだ?」
 掃除業、パートタイムの、と付け加える。
「おお、日本はさすが下流までリッチな国だ! パートタイムの掃除夫が飛行機で海を渡って遠い国まで飛んで来なすった! ここじゃあ一生無理だな、メキシコ全土を一人でキレイにしたって無理だ。悲しみの底で、次々と訪れる不安を予感して、涙に暮れる自分の足下をボロ雑巾で拭き続けるだけだ。しかも、水は茶色く濁っている、何度、拭いても決してキレイにはならない」
同じ仕事をしていても、与えられるものが違うことは理解していたが…… それは、異なる環境である以上、男も私と一緒だと告げた。
「そりゃ、そうさ。まあ、ずっと昔の俺はお前と同じだったかもしれんな。ずっと前だ、それこそお前と同じぐらいの年頃ぐらいか、不思議に思うかもしれんが、俺にも若い頃があったんだ、信じられるか? 鏡の前に立った時に、おい、お前は誰だ? と問い掛けたくなるほど、今は見た目も変わったけどな」
 根元の辺りまで吸った煙草の火はとっくに消えていた。
「それで、男独りが観光ってわけでもないだろう、ドラッグか、女か、それとも、神かUFOでも追っ掛けてきたか?」
 詩を書いている、それだけを伝えた。
「おい、まさかの詩人だと! これは歴史上の珍しい出土品並に最近じゃあ見掛けない。お前、過去からタイムスリップでもしてきたか? もしくは、ハード・ドラッグが血を駆け巡って脳天までイカレタか…… 今日は、とんでもない日だ、ちくしょう」
 米軍の古そうな放出品リュックサックから瓶を取り出すと一口呷る。
「テキーラだ、飲むか? そうか、いらんか……」
 フランス人の男が目敏く熱い視線をこちらに送るが、瓶は無造作にリュックの大きな口へと放り込まれた。
「言葉なんてもんは、テキーラのショットグラスぐらいで十分だ。少量でガツンと効くのがイイ。薄まらない程度、澄んだ丸い氷一つとジョークまでだ、酒と言葉に加えてイイのは。舌の上で転がし、鼻孔や喉に流れる言葉を理解しなくちゃならん。考えてもすぐに分からん味がちょうどイイ。詩も、そうだ。こちらにも、ちゃんと立ち位置を残してある。最小だ、点になる言葉だ。新約聖書の始まりに相応しい、初めにあった言葉はなんだ? 言葉を蒸留し、何年も薄暗い蔵の中で寝かしたお前のバイブルは、何と始まる?」
 書き散らした詩の束、私の始まりの言葉に見合うものは、まだなかった。
「思い返すようじゃあ、まだ、ないってことだな。俺達は今、陽光をいっぱい浴びながら車に揺られ言葉を交わしている。昼間は経験だ、そして、夜は灯りを前に、それが何だったのか考え記し、ベッドで眠りに着く…… だが、この国に長く居ると安眠の仕方すら分からなくなるぞ…… つまり、眠りと死がごちゃまぜだ。いとも簡単に、死んでしまう。雄鶏の鳴き声で目覚めることもなく……」
 女の腕の中、鶏は寝ているようにおとなしかった。
「ここの連中を見てりゃ陽気でのんびりしてて、飲んで食って踊って、一見、何らお前や俺らの国とも変わらんだろうが、その日常のフレームの中になぜか不自然な死体…… いや、それはこちら側の思い込みか、自然に転がっているんだな死体が。死を祀る国の喜びは、すり替えられた結果、俺から何かが遠ざかっていった…… 新聞の一面は死体が何体、行方不明何人、という風に、数だ…… 金勘定と何ら変わらんし、実際に金の為に大勢が死んでいる。死体が何を最後に見たのか? そいつの人生がどんなだったか、誰もそんなことは気にしちゃいないし、むしろ、そんなものに巻き込まれたくなくて知らんふりだ。自分がそちら側にならんようにどうやって金を稼いで生きるか…… 立ち上がるような奴は、即座に蜂の巣かバラバラにされちまう」
 比較的安全な地域を選んで旅をしていても、眼に映る人々の中には殺人やそれに関与した者、もしくは被害、加害問わず関係者ぐらいはいくらでもいただろう。だからこそ、表向きの表情と事実の緊張感の乖離は未だに理解できなかった。むしろ、考えれば考えるほど、飲み込めない言葉で、正直、頭は痛くなる。
「この国は前人が蹂躙され踏み台にしてきた歴史の先にある。周りを見ても、今を踏み台にし、何かが変わろうとしている…… それは正義なのかどうか? 数百年後に審判は下されるか? そこに判断する人間が存在していればいいがな…… 誰も居なくなって、太陽と月だけが追いかけっこしている時代に逆戻りしているかもしれない。まだ俺達は、人の成るべき姿を知らん。俺達は本当に必要なのか? それとも、これは単なる戯れか?」
 問いに答える明確な言葉は、もちろん持ち合わせていなかった。
「ここはお前の国からは遠い。今、ここに居るお前は、ある意味でお前の住む社会における肉体を捨て、違う考えの肉体の中に居る。一度、遠くまで行って、あそこに自分は居たんだ、と振り返ることをしなければならない。遠くだ、上でも下でも左右どちらでもいい、離れて見てみないと、立ち位置や向いている方角も分からない。何も分からないところを遠くまで歩いて、いつ襲われるか分からない恐怖を感じることで、眼の中に本当の瞳が宿る。まあ、死を目の前で見れば、それも一目瞭然だがな……」
 私は完全に旅行者だ。そして、この男も以前はそうだったのかもしれないが、今はこの国に溶け、大きな一つの思考の一部に飲み込まれたのだろうか。私にも旅行者でなくなる時が訪れるのだろうか。そして、それを私は望むのだろうか……
「変わる時は案外分かりやすく訪れるもんだ、そうだな、テーブルの上の寿司が、ある日、タコスに変わっていた、そんな感じだ」

 やがて、トラックは鬱蒼としたマングローブの森の中へと入り、木立の影が焼き付くような陽射しを柔らかくした。男は色々な話しをしてくれた。私が行くべき街のお薦めの安宿のことを聞き、湖畔に着くと私達はボートに乗り換え、けたたましいエンジン音の中、太平洋の秘密の入り江の話を聞き、対岸の船着場からタクシーを皆でシェアしながら、旅行者は知らないような非合法の果実酒の話を聞いた。これには、フランス人の男も喰いつくように情報を聞き出していた。
 畑しかなかった道の沿道に住居や店が現れ、タクシーは小さな街へと入り、中心部のバス乗り場で停車した。久々に大勢の人だかりを見た。フランス人のカップルは鶏と一緒に街の雑踏へと消えた。
 アメリカ人の男は私がどこへ行くのかと尋ねてきたが、とくに行き先の当てはなかった。とりあえず、隣の大きな街へ行くことを告げると、スペイン語の不自由な私のために次のバスの時刻や値段、乗り場を聞いて教えてくれた。
 男の行き先を尋ねると、私とは反対の方向を指差し、こう言った。
「あっちで俺の妻が帰りを待ってるんだ」
 そして、彼の乗るバスが先にやって来た。別れ際の握手をする彼の手はひび割れ硬かった。
「結局、あの雄鶏は一度も鳴かなかった…… そうなると、まだ夜明け前だ。やるべきことはたくさんあるぞ、まずお前は『初めの言葉』を探さんとな! 詩人と革命家なんて奴は、この世じゃあ、どうしようもないロコで大馬鹿野郎だが、なあ、信用できるだろ?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み