第1話
文字数 3,460文字
父が来た。娘はまだ幼稚園にいる時間なのに。テーブルの椅子を引くなり言った。
「癌やて」
医者の帰りだったか。数ヶ月前から体調不良を訴えていた。
私はそれほどショックを受けていなかった。いや、衝撃すぎて胸の感覚が麻痺していたのかもしれない。その証拠に、
「昔と違って治るから」
と食い気味に言っていた。
だが、二の句に困って黙り込む。
「ただいまあ!」
玄関で娘の元気な声が響いた。救われた。さすが我が家の天使。
「お爺ちゃん!」
部屋に駆け込んで、娘は父に飛びついた。
「散歩、行こか」
「プリンパフェ!」
娘はスモックを脱ぎ捨てて、父を引っ張って出ていった。いつもの散歩コースには、ふたりの行きつけのパーラーがあった。
父は手術を受けた。母と妹と私は立ったまま執刀医の説明を聞いていた。手術室から出てきたばかりの執刀医は、青色の手袋をつけた手で、銀色のトレイを持っていた。
「どっからどこまでが何がどうだかわからんくらいでね。こんなけ取っても取りきれんで、閉じるしかなかったんや」
母は執刀医が差し出したトレイの中を見るや、短いうめき声をあげて、口を押さえてうずくまった。妹は目を背けた。
切り取られた父の大腸は、執刀医のちょっとした体の動きに合わせて、ぶるんと震えた。父がこれまで食らってきた、すべての毒気が充満したような濃紫 の塊を、私は凝視していた。目を逸らしてはいけない気がして。それは、銀食器の中で、大きな葡萄の粒が部分的に溶解し、互いに依存し合い、くっつき合っているようで、でこぼことして吐き気がするほど不味そうだった。
延命措置について医師から問われ、私たちは家族会議を開いた。最初から意見が一致しているのはわかっていた。でも、誰も言い出さなかった。私が口火を切った。
「延命はなしで」
反対はなかった。だが賛成もなかった。誰も目を合わせなかった。
医者には私から伝えてほしいと母は言った。私は危うく、反射的に母と目を合わせるところだった。どんな顔して言ってんだ。
自分の夫のことなのに。依存心の強い母だ。罪の意識を持ちたくないんだ。自分だけは助かりたいんだ。私に罪を押しつけたんだ。それが私の知る母だ。だから弟にも妹にも嫌われる。もちろん私にも。そういえば、母をいちばん知るはずの父は、そんな母をどう思っているのだろう。
「えらい目に遭 うとんのう」
音信不通だった父の弟が病室を訪れた。酸素マスク越しに、父はひどく驚いた表情を見せた。
両親の離婚で離れ離れになった。弟は、兄は、引き取られた先で、きっと幸せにやっている。邪魔をしないようにとの思いから、ふたりとも連絡を取ろうとしなかった。相談したわけでもないのに、示し合わせたように考えが同じ。離れていても、やはり兄弟だ。
だが、思いやったつもりが相手のためにはならなかった。父には何かとトラブルが多かった。相談する人もなく不安だったのではないか。そんなとき、兄の幸せを望む弟がいてくれたら、どんなに支えになったかしれない。
父はお寺に引き取られていたことがある。この時代には間々あったらしい。
真っ黒に日焼けし、どっちが前か後ろかわからなかったという悪ガキ。友だちのお兄さんのバイクを思い切りふかして前にすっ飛ばしてお釈迦にし、自分は後ろにすっ飛んで大怪我をしたり、鉄棒で大車輪を派手に回り続けたはいいが、とまれなくなり、空をすっ飛んで死にかけたりと、なかなかのヤンチャクレだったようだ。なので引き取り手はなく、お寺や親戚などを転々としていた。
私がかつて『お爺ちゃん、お婆ちゃん』と呼んでいた人たちがいた。父の育ての両親だ。もうとっくに亡くなった。ほんとうは、父のおじ、おばだそうだ。子どもができず、父を養子として迎え入れた。父の妹も血のつながらない養子で、つまりは血のつながらない四人家族だった。それでも父は大好きな梅干しを断つことで何らかの願をかけるほど、両親には感謝していたし、妹も可愛がっていた。
酸素マスクをつけて病床に横たわり、父はいよいよ死魔と戦っていた。その顔を、私は足もとに突っ立って、ぼんやりと眺めていた。
幼少のころ、父とはよく遊んだ。たった二羽の小さなインコのために鋸 を引き、大きすぎる鳥小屋をつくった。洗った飼い犬が身体をブルブルと振るって、かけられた水に、はしゃいだ。楽しかったな……。
ん……?
私は目を見張った。
私を見つめ、父が何度も小さく頷いている。
思念が通じてる? まさかね……。
このときは軽く考えていた。疑念を払拭するために、私は頭の中で汚い言葉を連呼した。
予想に反し、驚いたように父は大きく目を見開いた。
ウソ……。通じてる……。
私は大いに反省した。父と思いを交わした最後の言葉が、その汚い言葉になるかもしれないからだ。
恥ずかしさと後悔で、私はそっぽを向いてしまった。
父が亡くなった。最後に交わした言葉は恥ずかしいものになったが、それを除けば、あの不思議な出来事はありがたかった。叱られたことでもなく、喧嘩したことでもなく、楽しかった幼少のころを自然と思い出したということは、私にとっては『それこそが父』ということなんだろう。それを父に知ってもらえたことで、感謝を伝えることができた気がする。
母は『毎晩、布団で隣にお父ちゃんが寝ていて、こっちを見てくる』と言っていた。
「成仏しとらんのやろか」
気持ち悪そうに二の腕をこするそのさまは、とうてい父を愛しているとは思えなかった。
その母が、次第に憔悴していった。
父がいなくなったことで、弟が以前より頻繁に金の無心に訪れるようになったのだ。母は、父が身を挺して煩わしいことから守ってくれていたことを、ようやくわかったようだった。父の好きだった甘いものを仏壇に供えるようになった。それまで食べなかった甘いものを、母は食べるようになった。共有する幸せを、やっとわかったようだった。でも、もう遅い。父が許しても私が許さない。
父が亡くなって十日ほど経ったころ、夢を見た。父は大きなマッサージチェアに横たわり、心地よさそうに振動に身を任せていた。
楽になったことを知らせてくれたんだろう。
夢の中で、ぽつりぽつりと言葉を交わしたが、皆目覚えていない。覚えているのは父の最後のひと言、『婆ちゃんがなあ……』だ。
父は母のことを心配しているんだ。死んだ父には、生きている母の先が見えていたのかもしれない。
母は父より二十年ほど長く生きた。
弟から私のスマホに電話が入っていた。厄介なことに巻き込まれるのが目に見えているので、弟には電話番号は教えていない。母だ。母が教えたんだ。母が私を売ったんだ。自分の保身のためなら人の命などどうでもいい人だから。
――若き日のころ。弟が包丁を突きつけて母を脅していた。私は隣の部屋で、見て見ぬふりで本を読んでいた。弟に抵抗する根性は母にはない。母は、弟ではなく、目に見えた反発をしない私に言葉の刃を向けた。
『親がこんな目に遭ってるのにアンタは冷たい!』
私は読んでいた本を閉じ、母と、弟の持つ包丁の切っ先の隙間に身をねじ込んだ。これが母が私に望むことだ。『己の命を投げ打って主を守れ』ということだ。愛犬家が冗談で飼い犬に夢見ることだ。だが、母は本気だ。
小さく包丁を揺らしながら、弟は、『退け、オラ、殺すぞ』などと呟いていた。私は目も合わせず、言葉も発しなかったし、身動きもとらなかった。そのうち弟は包丁を置いた。何事もなかったように、私たちはのそのそと散った。母からは、労いのひと言もなかった。
恐怖もなかったし、ふたりに対して何の思いもなかった。私は母の道具でしかないとの確証を、深く心に刻んだだけだった――。
弟からの再三の電話を私は取らなかった。すると弟はショートメッセージを寄越した。『おふくろが癌で入院した』『治療をしない病院に入れられた』と書いてきたのでホスピスのことだろう。弟はホスピスのことも知らずに『治療をしない』と怒っていた。私も妹も、見舞いにも葬儀にも行かなかった。
幼少期を不遇に育った父が、こんな家庭を望んでいたはずがない。もっと温かな家庭を築きたかったはずだ。子ども時代を子どもとして過ごせなかった父は、親に育ててもらえなかった内なる子どもを、子や孫と遊ぶことで癒し、育てていたのだろう。
とはいえ、父もギャンブルに溺れていた時期があり、母の嘆きもわからないではない。
だが、母は私の夢には現れていない。
(了)
「癌やて」
医者の帰りだったか。数ヶ月前から体調不良を訴えていた。
私はそれほどショックを受けていなかった。いや、衝撃すぎて胸の感覚が麻痺していたのかもしれない。その証拠に、
「昔と違って治るから」
と食い気味に言っていた。
だが、二の句に困って黙り込む。
「ただいまあ!」
玄関で娘の元気な声が響いた。救われた。さすが我が家の天使。
「お爺ちゃん!」
部屋に駆け込んで、娘は父に飛びついた。
「散歩、行こか」
「プリンパフェ!」
娘はスモックを脱ぎ捨てて、父を引っ張って出ていった。いつもの散歩コースには、ふたりの行きつけのパーラーがあった。
父は手術を受けた。母と妹と私は立ったまま執刀医の説明を聞いていた。手術室から出てきたばかりの執刀医は、青色の手袋をつけた手で、銀色のトレイを持っていた。
「どっからどこまでが何がどうだかわからんくらいでね。こんなけ取っても取りきれんで、閉じるしかなかったんや」
母は執刀医が差し出したトレイの中を見るや、短いうめき声をあげて、口を押さえてうずくまった。妹は目を背けた。
切り取られた父の大腸は、執刀医のちょっとした体の動きに合わせて、ぶるんと震えた。父がこれまで食らってきた、すべての毒気が充満したような
延命措置について医師から問われ、私たちは家族会議を開いた。最初から意見が一致しているのはわかっていた。でも、誰も言い出さなかった。私が口火を切った。
「延命はなしで」
反対はなかった。だが賛成もなかった。誰も目を合わせなかった。
医者には私から伝えてほしいと母は言った。私は危うく、反射的に母と目を合わせるところだった。どんな顔して言ってんだ。
自分の夫のことなのに。依存心の強い母だ。罪の意識を持ちたくないんだ。自分だけは助かりたいんだ。私に罪を押しつけたんだ。それが私の知る母だ。だから弟にも妹にも嫌われる。もちろん私にも。そういえば、母をいちばん知るはずの父は、そんな母をどう思っているのだろう。
「えらい目に
音信不通だった父の弟が病室を訪れた。酸素マスク越しに、父はひどく驚いた表情を見せた。
両親の離婚で離れ離れになった。弟は、兄は、引き取られた先で、きっと幸せにやっている。邪魔をしないようにとの思いから、ふたりとも連絡を取ろうとしなかった。相談したわけでもないのに、示し合わせたように考えが同じ。離れていても、やはり兄弟だ。
だが、思いやったつもりが相手のためにはならなかった。父には何かとトラブルが多かった。相談する人もなく不安だったのではないか。そんなとき、兄の幸せを望む弟がいてくれたら、どんなに支えになったかしれない。
父はお寺に引き取られていたことがある。この時代には間々あったらしい。
真っ黒に日焼けし、どっちが前か後ろかわからなかったという悪ガキ。友だちのお兄さんのバイクを思い切りふかして前にすっ飛ばしてお釈迦にし、自分は後ろにすっ飛んで大怪我をしたり、鉄棒で大車輪を派手に回り続けたはいいが、とまれなくなり、空をすっ飛んで死にかけたりと、なかなかのヤンチャクレだったようだ。なので引き取り手はなく、お寺や親戚などを転々としていた。
私がかつて『お爺ちゃん、お婆ちゃん』と呼んでいた人たちがいた。父の育ての両親だ。もうとっくに亡くなった。ほんとうは、父のおじ、おばだそうだ。子どもができず、父を養子として迎え入れた。父の妹も血のつながらない養子で、つまりは血のつながらない四人家族だった。それでも父は大好きな梅干しを断つことで何らかの願をかけるほど、両親には感謝していたし、妹も可愛がっていた。
酸素マスクをつけて病床に横たわり、父はいよいよ死魔と戦っていた。その顔を、私は足もとに突っ立って、ぼんやりと眺めていた。
幼少のころ、父とはよく遊んだ。たった二羽の小さなインコのために
ん……?
私は目を見張った。
私を見つめ、父が何度も小さく頷いている。
思念が通じてる? まさかね……。
このときは軽く考えていた。疑念を払拭するために、私は頭の中で汚い言葉を連呼した。
予想に反し、驚いたように父は大きく目を見開いた。
ウソ……。通じてる……。
私は大いに反省した。父と思いを交わした最後の言葉が、その汚い言葉になるかもしれないからだ。
恥ずかしさと後悔で、私はそっぽを向いてしまった。
父が亡くなった。最後に交わした言葉は恥ずかしいものになったが、それを除けば、あの不思議な出来事はありがたかった。叱られたことでもなく、喧嘩したことでもなく、楽しかった幼少のころを自然と思い出したということは、私にとっては『それこそが父』ということなんだろう。それを父に知ってもらえたことで、感謝を伝えることができた気がする。
母は『毎晩、布団で隣にお父ちゃんが寝ていて、こっちを見てくる』と言っていた。
「成仏しとらんのやろか」
気持ち悪そうに二の腕をこするそのさまは、とうてい父を愛しているとは思えなかった。
その母が、次第に憔悴していった。
父がいなくなったことで、弟が以前より頻繁に金の無心に訪れるようになったのだ。母は、父が身を挺して煩わしいことから守ってくれていたことを、ようやくわかったようだった。父の好きだった甘いものを仏壇に供えるようになった。それまで食べなかった甘いものを、母は食べるようになった。共有する幸せを、やっとわかったようだった。でも、もう遅い。父が許しても私が許さない。
父が亡くなって十日ほど経ったころ、夢を見た。父は大きなマッサージチェアに横たわり、心地よさそうに振動に身を任せていた。
楽になったことを知らせてくれたんだろう。
夢の中で、ぽつりぽつりと言葉を交わしたが、皆目覚えていない。覚えているのは父の最後のひと言、『婆ちゃんがなあ……』だ。
父は母のことを心配しているんだ。死んだ父には、生きている母の先が見えていたのかもしれない。
母は父より二十年ほど長く生きた。
弟から私のスマホに電話が入っていた。厄介なことに巻き込まれるのが目に見えているので、弟には電話番号は教えていない。母だ。母が教えたんだ。母が私を売ったんだ。自分の保身のためなら人の命などどうでもいい人だから。
――若き日のころ。弟が包丁を突きつけて母を脅していた。私は隣の部屋で、見て見ぬふりで本を読んでいた。弟に抵抗する根性は母にはない。母は、弟ではなく、目に見えた反発をしない私に言葉の刃を向けた。
『親がこんな目に遭ってるのにアンタは冷たい!』
私は読んでいた本を閉じ、母と、弟の持つ包丁の切っ先の隙間に身をねじ込んだ。これが母が私に望むことだ。『己の命を投げ打って主を守れ』ということだ。愛犬家が冗談で飼い犬に夢見ることだ。だが、母は本気だ。
小さく包丁を揺らしながら、弟は、『退け、オラ、殺すぞ』などと呟いていた。私は目も合わせず、言葉も発しなかったし、身動きもとらなかった。そのうち弟は包丁を置いた。何事もなかったように、私たちはのそのそと散った。母からは、労いのひと言もなかった。
恐怖もなかったし、ふたりに対して何の思いもなかった。私は母の道具でしかないとの確証を、深く心に刻んだだけだった――。
弟からの再三の電話を私は取らなかった。すると弟はショートメッセージを寄越した。『おふくろが癌で入院した』『治療をしない病院に入れられた』と書いてきたのでホスピスのことだろう。弟はホスピスのことも知らずに『治療をしない』と怒っていた。私も妹も、見舞いにも葬儀にも行かなかった。
幼少期を不遇に育った父が、こんな家庭を望んでいたはずがない。もっと温かな家庭を築きたかったはずだ。子ども時代を子どもとして過ごせなかった父は、親に育ててもらえなかった内なる子どもを、子や孫と遊ぶことで癒し、育てていたのだろう。
とはいえ、父もギャンブルに溺れていた時期があり、母の嘆きもわからないではない。
だが、母は私の夢には現れていない。
(了)