第8話:オウム事件、マルタ会談、バブル崩壊
文字数 2,025文字
6月24日、戦後を代表する美空ひばりが死去、その後に女性初の国民栄誉賞を受賞した。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で東京都八王子市で宮崎勤が幼い姉妹を狙った強制わいせつで、現行犯逮捕されした。1989年9月21日、早朝、証券会社の担当者から熊坂に電話が入った。
9月27日、横浜ベイブリッジ開通した。11月4日、オウム真理教問題を追及していた弁護士・坂本堤とその一家がオウム真理教幹部により殺害された。一方、ヨーロッパでは、1989年12月2日~3日にかけのマルタ会談が地中海のマルタで行われた。これをもって44年間続いた東西冷戦は終結したかに見えた。
東欧革命やベルリンの壁崩壊を受けてアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフによる首脳会談で第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言した。これを標語的に「ヤルタからマルタへ」という。
マルタ島沖のソ連のクルーズ客船マクシム・ゴーリキーの船内で行われた。この会談にはソ連側からはシェワルナゼ外務大臣、アメリカ側からはベイカー国務長官及びスコウクロフト国家安全保障問題担当大統領補佐官、ライス国家安全保障会議東欧ソ連部長、ジャック・F・マットロック・ジュニア駐ソ連アメリカ大使などが同席している。
ブレント・スコウクロフトをはじめとするアメリカ政権内では、当初からマルタ会談は「時期尚早」として、ソ連のスタンドプレーを許す結果になるとして反対していた。しかし、フランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相をはじめとするヨーロッパ首脳とメリカ合衆国議会はゴルバチョフとの対談を説得した。
マルタ会談では特に何の合意もされなかった。主な目的はアメリカとソ連が「鉄のカーテン」を引き上げることにおける喫緊の変更点について会談を持つことにあり、これをして冷戦の公式な終結と見られた。ミクロ的に見れば冷戦時代の終結に保証を与えるために緊張を緩和した。
東西関係というものに大きなターニングポイントを与えた。会談を通じてブッシュ大統領はペレストロイカにおけるゴルバチョフの指導およびその他の共産圏の改革を支持した。共同声明に当たって、ゴルバチョフ書記長は、次のように述べた。
「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている」
「我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた」
「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」
「私はアメリカ合衆国大統領に対しアメリカ合衆国と戦端を開く事はもはやないと保証する」
ブッシュ大統領は、これに対して、以下の様の述べた。
「我々は、永続的な平和と東西関係が持続的な共同関係になる事を実現することができる」
「これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ」
ゴーリキー号が停泊したのは、マルタ南部の観光地で漁村のマーサシュロックと同じ湾に臨むビーゼブガ沖である。ブッシュ大統領は記念品としてベルリンの壁の破片を出席者全員に渡した。その後、12月29日、日経平均株価が史上最高値38915円を記録。やがて1991年が明け1月5日の朝、証券会社の担当者から熊坂俊茂に電話が入った。
その電話で商船三井株の気配値が1190円で売り株数が多いと聞いた。全株成り行き売り注文を出すと11万株、全株が売れた。その結果、税引き後利益が11860万円で残金が14261万円となった。2月14日、ローリング・ストーンズが待望の初来日公演を行った。東京ドームで2月27日まで10回の公演を行った。
11月12日、明仁天皇の即位の礼が挙行された。2月21日、日経平均株価が1日で1161円下がり終値が3万5734円。2月26日は、1569円安の終値3万3322円。日本株のバブル崩壊の足音が聞こえてきた。3月3日,ポール・マッカートニーがソロとして初の来日し東京ドームにて13日まで6公演を行った。
3月27日大蔵省「土地関連融資の抑制について」総量規制が通達されバブル崩壊へ向かった。4月1日、熊坂の子供達、熊坂真利愛、熊坂健闘は、小学校を卒業して中華街の中国人や本牧のアメリカ人も通う国際的な横浜市立港中学へバス通学を始めた。1990年11月21日、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が新発売された。
4月2日、日経平均株価が1日で1978円下がり終値が2万8002円となった。10月1日、東証一時2万円割れした。しかし、1990年10月2日、東証、前日より2676円55銭高い22898円41銭で取引を終了した。
前日の2万円割れの反動と橋本龍太郎蔵相の株価対策発表を受けてのものであった。11月17日、長崎県の雲仙普賢岳が約2百年ぶりに噴火活動を開始した。11月21日、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が発売開始された。
9月27日、横浜ベイブリッジ開通した。11月4日、オウム真理教問題を追及していた弁護士・坂本堤とその一家がオウム真理教幹部により殺害された。一方、ヨーロッパでは、1989年12月2日~3日にかけのマルタ会談が地中海のマルタで行われた。これをもって44年間続いた東西冷戦は終結したかに見えた。
東欧革命やベルリンの壁崩壊を受けてアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフによる首脳会談で第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言した。これを標語的に「ヤルタからマルタへ」という。
マルタ島沖のソ連のクルーズ客船マクシム・ゴーリキーの船内で行われた。この会談にはソ連側からはシェワルナゼ外務大臣、アメリカ側からはベイカー国務長官及びスコウクロフト国家安全保障問題担当大統領補佐官、ライス国家安全保障会議東欧ソ連部長、ジャック・F・マットロック・ジュニア駐ソ連アメリカ大使などが同席している。
ブレント・スコウクロフトをはじめとするアメリカ政権内では、当初からマルタ会談は「時期尚早」として、ソ連のスタンドプレーを許す結果になるとして反対していた。しかし、フランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相をはじめとするヨーロッパ首脳とメリカ合衆国議会はゴルバチョフとの対談を説得した。
マルタ会談では特に何の合意もされなかった。主な目的はアメリカとソ連が「鉄のカーテン」を引き上げることにおける喫緊の変更点について会談を持つことにあり、これをして冷戦の公式な終結と見られた。ミクロ的に見れば冷戦時代の終結に保証を与えるために緊張を緩和した。
東西関係というものに大きなターニングポイントを与えた。会談を通じてブッシュ大統領はペレストロイカにおけるゴルバチョフの指導およびその他の共産圏の改革を支持した。共同声明に当たって、ゴルバチョフ書記長は、次のように述べた。
「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている」
「我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた」
「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」
「私はアメリカ合衆国大統領に対しアメリカ合衆国と戦端を開く事はもはやないと保証する」
ブッシュ大統領は、これに対して、以下の様の述べた。
「我々は、永続的な平和と東西関係が持続的な共同関係になる事を実現することができる」
「これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ」
ゴーリキー号が停泊したのは、マルタ南部の観光地で漁村のマーサシュロックと同じ湾に臨むビーゼブガ沖である。ブッシュ大統領は記念品としてベルリンの壁の破片を出席者全員に渡した。その後、12月29日、日経平均株価が史上最高値38915円を記録。やがて1991年が明け1月5日の朝、証券会社の担当者から熊坂俊茂に電話が入った。
その電話で商船三井株の気配値が1190円で売り株数が多いと聞いた。全株成り行き売り注文を出すと11万株、全株が売れた。その結果、税引き後利益が11860万円で残金が14261万円となった。2月14日、ローリング・ストーンズが待望の初来日公演を行った。東京ドームで2月27日まで10回の公演を行った。
11月12日、明仁天皇の即位の礼が挙行された。2月21日、日経平均株価が1日で1161円下がり終値が3万5734円。2月26日は、1569円安の終値3万3322円。日本株のバブル崩壊の足音が聞こえてきた。3月3日,ポール・マッカートニーがソロとして初の来日し東京ドームにて13日まで6公演を行った。
3月27日大蔵省「土地関連融資の抑制について」総量規制が通達されバブル崩壊へ向かった。4月1日、熊坂の子供達、熊坂真利愛、熊坂健闘は、小学校を卒業して中華街の中国人や本牧のアメリカ人も通う国際的な横浜市立港中学へバス通学を始めた。1990年11月21日、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が新発売された。
4月2日、日経平均株価が1日で1978円下がり終値が2万8002円となった。10月1日、東証一時2万円割れした。しかし、1990年10月2日、東証、前日より2676円55銭高い22898円41銭で取引を終了した。
前日の2万円割れの反動と橋本龍太郎蔵相の株価対策発表を受けてのものであった。11月17日、長崎県の雲仙普賢岳が約2百年ぶりに噴火活動を開始した。11月21日、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が発売開始された。