一月十九日。手術当日。
文字数 2,513文字
こうして入院生活に突入した私。
病理検査の結果、最初の方のエピソードで申し上げた通り、胃癌のステージⅡAだと最終結果がでました。
このステージⅡについて少しおさらいをしましょう。
『リンパ節に転移はしていないが、浸潤 (広がること)している。または、腫瘍は広がっていないが、リンパ節に少し転移している』という状態を指します。
私の場合、胃壁の深い場所まで癌の進行が認められるものの、57箇所採取した細胞の全てでリンパ節への転移は見つかりませんでした。(これがⅡAです。リンパ節への転移があると、ⅡBという表記になります)
これは本当に、不幸中の幸いでした。
リンパ節に転移があった場合、がん細胞が血液の流れに乗って、全身を巡回する可能性があるのです。そうなってしまうと、別の臓器への転移が発生する可能性が、非常に高くなってしまうのですから。
さて、入院生活なのですが、前エピソードでもお伝えしたとおり、案外と悪くない日々でした。
仕事のストレスからも解消され、寝たいときに好きなだけ昼寝ができるという悠々自適な生活。もう、ここぞとばかりにダラけきっていました。
チャットアプリで、何度か会社の後輩と遣り取りをして引き継ぎを済ませると、会社のことなど綺麗サッパリ忘れて、ゆっくりしていました。
そんな中不満点をあげるとしたら、特にやるべき事がなく退屈なのと、就寝時間が早いこと。つまる所暇なので、癌告知された当日に受け取ったアイテムを駆使してのソシャゲが捗る捗る。
病院食は美味しいしテレビも観放題。深夜帯の番組は流石に無理ですけどね。名探偵コナンと金田一少年の事件簿を欠かさず観ていたのを覚えています。
度々、会社の人も見舞いに来てくれました。また、長男の友人の父親──ようは、PTA関連で交流のある方──が、この市民病院で事務職を担当していたため、『いや~びっくりしたよ』と態々顔を出したりも、してくれました。
こんな時こそね、人の繋がりとか温もりが有り難く感じられるものなんですよ。
一方で会社の社長は、仕事の話を手土産に持ってきましたけどね笑。
『いや、こんな時くらい、忘れさせて下さいよ』と思いましたね。
2016年は、雪の多い年でした。
病室の窓からみえる景色は一面の銀世界。病院の脇に存在している池も、全面凍りついて真っ白になってました。
思えば、よく雪が降ったことが、次の波乱を呼び込んだのですが。
自堕落な日々は過ぎ去り一月十九日。手術の当日を迎えます。
朝から雪の降っている日でした。
相応に冷え込んでいたのでしょうが、病院内は空調が効いているのでよく分かりませんでしたけれどね。
ストレッチャーに載せられて手術室に入る直前、仕事を休んで来てくれた妹。家族やら妻にかけられた励ましの言葉は本当に胸にしみました。泣きたかった、という訳でもないです。それでも、瞼の裏が、ごく自然に熱を帯びていました。
……と、ここまで順調に物事が進んでいるように見えますが、実のところ、そうでもなかったのです。
私の腹腔鏡手術を担当する医師は東京の大学病院に居る方で、朝の飛行機で秋田入り (ああ、そう。私秋田県人です。知ってる人、創作界隈に結構いますけどね)する予定になっていました。けれど、
『悪天候 (大雪)のため飛行機が飛ぶか分からない』らしいのです。
とはいえ、ここまできて手術日を変えるわけにもいかない……という理由から、一先ず手術室に入ることになった私。
血圧や心電図を測る機械を繋がれて、全身麻酔の注射を脊髄? だったかな、に打たれます。意識が未だ冴え渡る中、ぼんやりと体を寝台の上に横たえている間にも、周辺ではスタッフがざわついていました。
不安を見透かしたように、私の担当医師が声を掛けてきます。
『もし飛行機が飛ばなかったとしても、大丈夫ですよ。その時は私が担当しますので。ただし、開腹手術になってしまいますが』
『はい。宜しくお願いします』
としか言いようがなかったです、正直笑。
開腹手術に移行したとしても、実際、問題はないのですけどね。術後の傷みがより強くなって、回復に時間が掛かるというだけのこと、です。
もう個人的には、『どっちでもいいから、一思いにヤっちゃってよ』そんな感じの気分でした。
極限状態に置かれた私に、選択権などあろうはすがありません。
そうこうしているうちに、次第に意識の混濁が起こり……私は夢を見ていた……なんて小説みたいなドラマチックな展開もなく (記憶ないです。なんか夢見てたのかなあ?)気が付くと手術も終わって集中治療室で寝台の上に寝てました。
というか、未だ麻酔も効いているため全身の感覚は遠く、体を動かせるって実感がありませんでしたね。肘から下は、まあ、なんとなく動くかな……とか大袈裟じゃなくそんな感じ。
段々と視界に光が戻ってきて、点滴が複数繋がれてるなあ、と確認して、傷口の痛みもないなあ、とか考えを巡らせる中、目が合ったのは妻でした。
妻曰く、結局飛行機は飛んだそうです。予定通りに腹腔鏡手術で胃を3/4切除して、患部は全て切除し滞りなく終わったこと。手術自体は四~五時間で終了し、今は十八時頃であること、を続けて聞かされました。
そうか。無事に終わったんだな。
これで諸々の苦しみから解放されて、先々の事を考えられるな、とようやく安堵していました。
やっぱり手術が終わるまではね、来年の予定とかそういった然々に頭を回す余裕がなかったんですよ。
肩の荷が下りた。そんな心地でした。
この日は一晩集中治療室で過ごし、時々点滴を変えたり血圧を見る為やって来る看護師さんと二言三言会話をし、そのまま朝を迎えました。
いやあ、ぐっすり寝られましたよ。なんだかんだで安心していましたし、体は満足に動かせないものの傷口もまったく痛くなかったですしね。
翌朝、四人部屋の一般病棟に移りました。直ぐに飲食は出来ないので、数日間、点滴だけで過ごしました。
あとはゆっくり傷口の回復を待って、数週間もすれば退院できるかな、なんて甘い事を考えている矢先に、傷口が痛みはじめるのです。
続く。
病理検査の結果、最初の方のエピソードで申し上げた通り、胃癌のステージⅡAだと最終結果がでました。
このステージⅡについて少しおさらいをしましょう。
『リンパ節に転移はしていないが、浸潤 (広がること)している。または、腫瘍は広がっていないが、リンパ節に少し転移している』という状態を指します。
私の場合、胃壁の深い場所まで癌の進行が認められるものの、57箇所採取した細胞の全てでリンパ節への転移は見つかりませんでした。(これがⅡAです。リンパ節への転移があると、ⅡBという表記になります)
これは本当に、不幸中の幸いでした。
リンパ節に転移があった場合、がん細胞が血液の流れに乗って、全身を巡回する可能性があるのです。そうなってしまうと、別の臓器への転移が発生する可能性が、非常に高くなってしまうのですから。
さて、入院生活なのですが、前エピソードでもお伝えしたとおり、案外と悪くない日々でした。
仕事のストレスからも解消され、寝たいときに好きなだけ昼寝ができるという悠々自適な生活。もう、ここぞとばかりにダラけきっていました。
チャットアプリで、何度か会社の後輩と遣り取りをして引き継ぎを済ませると、会社のことなど綺麗サッパリ忘れて、ゆっくりしていました。
そんな中不満点をあげるとしたら、特にやるべき事がなく退屈なのと、就寝時間が早いこと。つまる所暇なので、癌告知された当日に受け取ったアイテムを駆使してのソシャゲが捗る捗る。
病院食は美味しいしテレビも観放題。深夜帯の番組は流石に無理ですけどね。名探偵コナンと金田一少年の事件簿を欠かさず観ていたのを覚えています。
度々、会社の人も見舞いに来てくれました。また、長男の友人の父親──ようは、PTA関連で交流のある方──が、この市民病院で事務職を担当していたため、『いや~びっくりしたよ』と態々顔を出したりも、してくれました。
こんな時こそね、人の繋がりとか温もりが有り難く感じられるものなんですよ。
一方で会社の社長は、仕事の話を手土産に持ってきましたけどね笑。
『いや、こんな時くらい、忘れさせて下さいよ』と思いましたね。
2016年は、雪の多い年でした。
病室の窓からみえる景色は一面の銀世界。病院の脇に存在している池も、全面凍りついて真っ白になってました。
思えば、よく雪が降ったことが、次の波乱を呼び込んだのですが。
自堕落な日々は過ぎ去り一月十九日。手術の当日を迎えます。
朝から雪の降っている日でした。
相応に冷え込んでいたのでしょうが、病院内は空調が効いているのでよく分かりませんでしたけれどね。
ストレッチャーに載せられて手術室に入る直前、仕事を休んで来てくれた妹。家族やら妻にかけられた励ましの言葉は本当に胸にしみました。泣きたかった、という訳でもないです。それでも、瞼の裏が、ごく自然に熱を帯びていました。
……と、ここまで順調に物事が進んでいるように見えますが、実のところ、そうでもなかったのです。
私の腹腔鏡手術を担当する医師は東京の大学病院に居る方で、朝の飛行機で秋田入り (ああ、そう。私秋田県人です。知ってる人、創作界隈に結構いますけどね)する予定になっていました。けれど、
『悪天候 (大雪)のため飛行機が飛ぶか分からない』らしいのです。
とはいえ、ここまできて手術日を変えるわけにもいかない……という理由から、一先ず手術室に入ることになった私。
血圧や心電図を測る機械を繋がれて、全身麻酔の注射を脊髄? だったかな、に打たれます。意識が未だ冴え渡る中、ぼんやりと体を寝台の上に横たえている間にも、周辺ではスタッフがざわついていました。
不安を見透かしたように、私の担当医師が声を掛けてきます。
『もし飛行機が飛ばなかったとしても、大丈夫ですよ。その時は私が担当しますので。ただし、開腹手術になってしまいますが』
『はい。宜しくお願いします』
としか言いようがなかったです、正直笑。
開腹手術に移行したとしても、実際、問題はないのですけどね。術後の傷みがより強くなって、回復に時間が掛かるというだけのこと、です。
もう個人的には、『どっちでもいいから、一思いにヤっちゃってよ』そんな感じの気分でした。
極限状態に置かれた私に、選択権などあろうはすがありません。
そうこうしているうちに、次第に意識の混濁が起こり……私は夢を見ていた……なんて小説みたいなドラマチックな展開もなく (記憶ないです。なんか夢見てたのかなあ?)気が付くと手術も終わって集中治療室で寝台の上に寝てました。
というか、未だ麻酔も効いているため全身の感覚は遠く、体を動かせるって実感がありませんでしたね。肘から下は、まあ、なんとなく動くかな……とか大袈裟じゃなくそんな感じ。
段々と視界に光が戻ってきて、点滴が複数繋がれてるなあ、と確認して、傷口の痛みもないなあ、とか考えを巡らせる中、目が合ったのは妻でした。
妻曰く、結局飛行機は飛んだそうです。予定通りに腹腔鏡手術で胃を3/4切除して、患部は全て切除し滞りなく終わったこと。手術自体は四~五時間で終了し、今は十八時頃であること、を続けて聞かされました。
そうか。無事に終わったんだな。
これで諸々の苦しみから解放されて、先々の事を考えられるな、とようやく安堵していました。
やっぱり手術が終わるまではね、来年の予定とかそういった然々に頭を回す余裕がなかったんですよ。
肩の荷が下りた。そんな心地でした。
この日は一晩集中治療室で過ごし、時々点滴を変えたり血圧を見る為やって来る看護師さんと二言三言会話をし、そのまま朝を迎えました。
いやあ、ぐっすり寝られましたよ。なんだかんだで安心していましたし、体は満足に動かせないものの傷口もまったく痛くなかったですしね。
翌朝、四人部屋の一般病棟に移りました。直ぐに飲食は出来ないので、数日間、点滴だけで過ごしました。
あとはゆっくり傷口の回復を待って、数週間もすれば退院できるかな、なんて甘い事を考えている矢先に、傷口が痛みはじめるのです。
続く。