ああ……死にたくねえな……

文字数 2,271文字

「はぁ……はぁ……」

 まだ意識は失っていなかった。
 だが、足が動かなくなってしまった今、這いつくばって進むしか手が残されていない。
 
――ズン……。ズン……。

 背後からはリーパー・リントヴルムがこちらに向かってくる大きな足音が聞こえていた。
 そして俺はついに大きな岩石の前までやってくると、そこにもたれかるようにして座った。
 結局はペルガメント山の外周から離れることができず、前方には山頂までくっきりと見える。

「まあ、墓場にするにはちょうどいい場所じゃねえか。絶景、絶景……」
 
 ドラゴンは決着がついたと感じているのだろうか。
 勝利の余韻を楽しむかのようにゆっくりと足を進めている。
 気付けば怒りの炎で真っ赤にそめた体は、漆黒へと戻っていた。
 
「へへ……。そっちの方が、『死をもたらす龍』ってネーミングにぴったりな色だぜ」

 と、最期くらいは強がるのが、男の美学ってもんだ。
 一方のドラゴンの方は、弱点である口を見せつけるように大きく開いた。
 
「ほう……。それは俺を飲み込んでやろうって意思表示かね? たいして旨くねえんだ。やめておいた方がいいぜ」

 そしてこれが本当に最後の強がりだった……。
 
 奴は俺から一歩だけ離れたところで静止すると、じっと俺を睨みつけてきた。
 まるで処刑台に立たされた囚人だ。
 
「最期の祈りの時間を与えてくれているのか……」

 ただ俺は祈るまでもなく、後悔はまったくしていなかった。
 大切な者を守るために、このどうしようもない人生の最期を飾ることができたんだ。
 落ちこぼれフィトにしちゃあ、上出来じゃねえか。
 
「お前さんの英雄になれたかい? もしそうなら、また笑顔を見せてくれよな。天国からきっちり見てやるからよ」

 もうこれでいいんだ……。
 心残りがあるとすれば、ペットのポチにお別れが言えなかったことくらいか。
 あとは酒場のマリーの花嫁姿を見るってのもあったな。
 まあ、天国からでも拝めることを願っているぜ。
 
「さあ、もういい。ひと思いにやってくれや!」

 そう左手を挙げた時だった――

――ポロッ……。

 と、何かが落ちた音がしたので、その方へ目をくれると、それはタブレットだった……。
 偶然にも画面が上向きになって地面に落ちると、その衝撃でひとりでに起動してしまった。
 そしてそこに映し出されたのは……。

 『地図』だった――

 それを目にした瞬間……。

――やったぁぁぁぁ!!

 というクリスティナの喜ぶ声が頭の中に響いてきたのだ。

「おい……やめてくれよ……」

 あれほど鎮まっていた心が彼女の声によってかき乱される。
 同時にぐわっとこみ上げてくる感情は、涙腺を強く刺激したのだ。
 それでも「泣くもんか!」と言い聞かせる。
 ここで涙を流したら、それまで孤独を装って生きてきた自分の矜持に反すると、変なところで意地になっていたのだ。

 しかし、俺はすっかり忘れていたんだ。
 彼女は出会った時から、無鉄砲で無遠慮。
 容赦なく俺の懐に飛び込んでくる人だってことを……。

 次に彼女は『笑顔』で襲ってきた――

 地図を作る冒険をともにした間に、彼女が見せた様々な笑顔が、心の中にまるで花火のように大輪を咲かせては消えていったのだ。
 どれも眩しくて、どれも美しくて、俺の心をがんがんと揺さぶる。
 ついに涙が溢れ出してしまった。

「やめて……くれ……俺は……俺は……」

 とめどなく流れる涙の理由は考えるまでもない。

「ああ……死にたくねえな……」

 もっと一緒にいたかった。
 もっと色んな話をしたかった。
 できればよぉ、王国に連れていって、マリーやカタリーナ嬢にも紹介してやりたかったよ。
 きっとみんな仲良くしてくれるはずさ。

 もっと『未来』の話をしたかったんだよ。
 だから……。だから……。

「やっぱり死にたくねえよ。死んだら、全部おしまいじゃねえか」

 左手をゆっくりと動かして、腰に引っ掛けてある短弓にかけた。
 無意味だって分かってはいるが……。

「最後の最後まで、諦められるか!」

――ドシュッ!

 間近に迫った奴の口の中に向けて矢を飛ばす。
 もちろん結果なんて目に見えていた。

――バキッ!

 奴は素早く口を閉じて矢を防ぐと、眼光を鋭くして大きく腕を振りかぶった。
 ちょうど太陽が奴の爪を照らしていて、眩しく輝いて見える。

「さよならだ……クリスティナ。俺が惚れた最初で最後のエルフ」

 そう口元に笑みを浮かべて、俺はそっと目を閉じた……。
 最後くらい、お前さんと同じように笑顔でいてえのさ。
 そんな風に肩の力を抜いて、その時を待っていたのだった――

 しかし……。
 いつまでたっても『その時』は訪れなかったのだ……。
 さらに言えば、奴の気配すら消えているじゃねえか。

「まさか!?」

 嫌な予感が背筋に一筋の冷たい汗となって流れ落ちる。
 しかしそんなことに気を留めずに、急いで目を開けた。
 そして目に飛び込んできた光景に、血の気が引いてしまった――

「バカヤロウ……バカヤロォォ!!」

 どんなに大声を張り上げても届かないだろう……。
 山頂を優雅に飛んでいる豆粒よりも小さな存在には……。

「クリスティナァァァァ!!」

 それは彼女がリーパー・リントヴルムの卵の周囲を旋回している光景であった――





 

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