第12話 光を求めて

エピソード文字数 3,214文字

 この世界には十人十色の地獄がある。地獄と言えば不幸なのではない。本当の地獄は地獄に墓石を立て光を見失ったときから始まる。その点で言うなら彼女の地獄はまだ薄い乳白色の光が差し込む地獄の波打ち際だった。

 その光源を頼りに彼女はひたすら、暗中行軍。土と土の隙間を人一人通れるのも厳しいマムシの通った穴を掘って進む。

 奇跡に近い偶然の活路だった。大分前のこと。地下空間を張り巡っていたバグ石による封魔結界の一部に綻びが生じた。奇跡だった。以前、食事にでたカエル。食べずに残したそれの死体を、辛うじて使えるようになった火おこしの魔法で少しづつ燃えるように小さな火を起こし、本当に少しづつ芳香なカエルの匂いが出るように燻しながら、たまに窓の外に一部を放ったりして、待つこと数か月。とうに匂いなどなくなったと半ば諦めた頃になって、土の隙間からマムシが現れた。彼女はそれを見逃さずすぐに道中の携帯食に焼いて保存し、開いた穴を掘り進めた。

 彼女の放り込まれている地下牢には柵すらない。だだっ広い石敷きの地下空間に老若男女数10名が放り込まれ、広がる無窮の地獄があった。十人十色の地獄たちはそれぞれに抱える地獄と向き合えず、膝を屈し、本当の地獄となっていった。ただ一人を除いて。

「はっはっ……まってろあいつら」

 手の使い過ぎで一部骨が折れ、爪はとうにない。

 呼気が断続的でたまに咳が混じる。

 歯を噛んだはずなのに血がにじんだ。口の中はろくに手入れをしていない。

 着崩れた衣装は囚人用のボロだが、擦り切れて、継ぎ接ぎしてあるそこに湿った土がかいくぐり、体のどこを嗅いでも土の匂いしかしないだろう。

 でもどこか特徴のある顔立ちはまだ地下で這いずっている囚人たちのそれとは違う、気品でも、風格でもなく、力強さがあった。

「私は、彼を、超えるんだ!」

 魂に刻むように声を吐く。誰かが言ったことがある。生まれた時代が悪いと。

 誰かが言ったことがある。人間は弱いと。

 誰かが言ったことがある。お前は人間じゃないんだと。

 誰かが言ったことがある。そんな奴ら切り伏せて馬に食わして先へ進め。

 誰かが言ったことがある。あんたは弱くなんてないから。自分で自分を弱いと洗脳し、その呪縛の世界で、死ぬなと。

 人間が通るには不可能に近い穴の中を昨晩に降った雨の力も借りてほり進める彼女の表情はもう地獄の住人のそれではない。

 既に見えている薄い乳白色の光。それはつまり、もう後僅かで届くという事。

 彼に借りたチャンスを今度は自力でのし付けて返す。

「待ってろ。絶対に私は、もう一度」

 10年。陽の差さない土の下にいた。その間に彼女は様々な自分の噂を耳にした。新規で入ってくる囚人や、既に没した囚人や、兵士の会話から。

 彼女が牢に入ってからすぐ、外で起きる災害はぴたりと面白いくらいにタイミングよく鳴りやみ、国民は歓喜しているとのこと。

 自然災害もだが、人為災害まで止み、一部で妄想狂が言い出した、思考災害までも止んだ、との話である。それが彼女が生まれて10年。研究開発された魔法技術の粋であるらしきこのバグ石とやらによる成果であり、だれかが言い出した言い出しっぺのわからない妄想話はいつしか完結され、彼女がいなくなったことによるもの──つまりそれまでの災いが全て、彼女の感情による災いであったと確定され、もう二度と彼女が外の土を踏めることは叶わなくなった。

 新設されたバグ石を全面に施した地下の牢獄に彼女は放り込まれた。彼女は牢屋は慣れていたはずだった。しかしかつての牢では扱いが厚遇されていたため、孤独には耐性があまりなかった。ほとんどの囚人と看守は彼女を恐れ、しばらく一切の交流はなかった。長きにわたる孤独は精神を切り刻み、何度も泣いて何度も叫んで、何度も助けを求めた。

 しかし時間はある程度流れる日々を柔らかにした。時間とともに次第に、恐れの消えた囚人とは一人また一人と打ち解け合い、徐々に希望すら見えてきた、そんなころ、再びやってきた、王族たちの視察と入れ知恵。彼女の周りにはまた人がいなくなった。

 気付いたら10年が過ぎた。赤子の頃から入っていた牢屋は彼女にとって無骨な森のようなものだ。でもあと1年、5年と経つうちにもう一切合切陽の光を拝む欲求すらも消えている自分がいる。そんな未来に恐怖した。

 最後の最後の一房の力。

 それを振り絞り、彼女は最後の土をかき分けて、地上へ這いだした。

「やあ、おはようだ毒蝮。奇遇だな」

 彼女は驚かなかった。まだ身体は半ばまでしか這い出ていなかったが、聞こえた声に耳を貸さずにさらに力を入れる。そこには視線を向けなかった。既に数人の息遣いが聞こえるがそれでも無視した。

「僕の事は覚えているかな? 悲しい事に君のせいで王族の地位を失った君の元姉の友であり婚約者でもある、私だ。バイロン・セザール。つまり本来なら妹と、この間柄をなぞるのも汚らわしいが」

 バイロンは彼女の監視役であり、貴族でありながら自らその役を買って出た奇特な人間でもあった。それ故、彼女の動向は逐一把握しており、彼女が看守の目を盗んで、出た、ことも、数か月前から策を練っていたことも知っていた。そのうえで、待ち構えていた。

「土に潜ったマムシのことはとうに気付いていた。お前に最後の絶望を知ってもらおうと、こうして待ち構えていたわけさ。どうにもお前はあのマムシのように地を這う生き物のくせしてどこか人間めいている。光を見過ぎなんだ」

 汚物を見るように睨み唾を吐いたが、彼女は目もくれずにどこかをみていた。バイロンは気になった。気になったが視線の先はただの太陽だった。バイロンは大笑した。

「はっ馬鹿かお前は。なにを」

「あ」

 は、っと思わず間の抜けたような声を漏らしたバイロンを見てーーいや別の何かを見て背後にいた衛兵たちが、驚く。

 そう、彼ら等どこ吹く風とでもいうように彼女は泣いていた。
その一音を何度も繰り返して、泣き崩れ、太陽を直視して。

 凡そ10年ぶりに踏んだ土の感触と陽の光を、遠い昔に亡くなった母を思うように、ひたすら、ひたすら。流れる涙が枯れ果てるまで。

 そんな彼女を、しかし彼らは待っていた。

 彼らとて鬼ではなかった。ただ自分たちに訪れた不幸や面倒が全て目の前の女のせいだと思うと、相手に悪意があろうがなかろうが、憎しみしかなかっただけで、まるで情けの心がないわけでもない。

 そんな思いを打ち消すように、バイロンは騒いだ。

「お前にもう時間はないんだよ! せいぜい踏みつけた人の幸福の分まで苦しめ、と言いたいところだがっ、同じ高貴な血統のよしみで情けを与えてやろう! 私はもう呪われてもかまわない。一瞬だ。ここで果てろ」

 最後は暗黒から湧き上がるような鈍重な声で、彼は背に抱えた長大な大剣を振り下ろし、切っ先を彼女に向ける。

 膠着は長かった。じっと主の出方を伺う兵と今必殺の剣を放たんとしているバイロンと、涙に顔を濡らす、彼女——マクイ。

 その膠着がようやく動き出した時、彼女は手を天に掲げ、同時に、バイロンの大剣が彼女の命を横凪ぎにかっさらう。

 バイロンとしてはその予定だった。

 しかし——。

「彼女はどこだ!? どこだ!?」

 消えていた。振った剣は虚空を切り、彼女はまるで幻影をきったようにくねっと曲がり、感触すらなく、そこにいた誰かがもういない。

「ふっふざけるなああああ!」

 叫んだ声が虚しく空に鳴いた。

 10年。彼自身もそんな長きにわたり、牢獄生活を監視していて、すっかり忘れていたのだ。彼女が、そもそも魔法を使える、魔喰い、だということを。

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登場人物紹介

後々記載するにゃ

実は前に出した分を削除してしまったので再投稿にゃ

因みに吾輩は作中で喋る猫として登場するにゃ

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