第13話 佐藤泰志『美しい夏』

文字数 1,323文字

前回記事にした1985年、高井有一さん『半日の放浪』と、1984年、佐藤泰志さん『美しい夏』はまったく違う話なのですが、何か共通するものがあるようです。
『半日の放浪』の主人公は定年退職した男性で、『美しい夏』の秀雄は20代前半なのに、どちらも現在いる場所を居心地悪く感じ、どこかへ行きたいけれども、どこへ行けるわけでもありません。
つまるところ、物理的にどこかへ移動することが必要なのではなく、己自身の感じ方考え方を変える必要があったのでしょうか。
それが容易にできたら苦労はしないし、文芸は要らない気がするのですが。

佐藤泰志。2007年にベスト盤的作品集が刊行され、次々と映画化されて再評価、2007年以前に『日本文学100年の名作』の収録作の選考があったら、恐らく選ばれなかったのではないでしょうか。
そう考えるとこのシリーズは、よい作品を選ぶと同時に、いま現在売れてほしい・読んでほしい作家のカタログ的な意味合いがあるのかもしれません。
自分もアンソロジーで出会った作家が多いので、先の仮定を否定するわけではありません。

『美しい夏』の秀雄はカフェでウェイターをしており、安い賃貸住宅に同棲する光恵はパチンコ屋で働いております。
故郷を出たはいいけれども、都会では替えの利く労働力に過ぎず、鬱屈した秀雄は喧嘩をして前科こそつかないけれども警察の世話になり、突如として自然の多いところへ引っ越すと光恵に宣言し、引っ越し費用なぞないのに実際に光恵と物件探しに目当ての土地を訪れます。

無論よい物件が見つかるはずはなく、秀雄は己が何ものでもないことを思い知らされるわけですが、ふと中上健次の初期の短編『十九歳の地図』を思い出しました。
あの作品の主人公は住み込みで新聞配達をしながら大学進学を目指す予備校生で、でも予備校に行かず恨みを持った家や空港に脅迫電話を掛けており、彼と秀雄の鬱屈は同質のものであり、でも秀雄には光恵がいて19歳の予備校生に心を開ける女性はいませんでした。

予備校生と過激派を引き比べて論じた文があった記憶がありますが、やがてバブル景気が訪れようとする時期に生きる秀雄は、同伴者がいるから孤立せず、孤立しないから予備校生ほどの鬱屈も、それを突破した先も訪れないのでしょうか。

もちろん佐藤と中上は別人であり、でも中上と違う方向で再評価とは違う大輪の花を、生きている間に咲かせる可能性があった気がして、自死した作家はあまたおりますが、どうにも佐藤のそれは惜しい、もったいない、と個人的には感じてしまうのです。

『美しい夏』のラストシーンは、とても悲惨な気がしますし、マイナスにマイナスを掛けた結果プラスに転じるように、どこかヤケっぱちな明るさも感じます。
そこをどちらにも解釈できる辺りが、自分が佐藤泰志に惹かれる点かもしれず、本作の後に書かれた『海炭市叙景』は静謐にして冷たい空気の中に、不遇だけれど必死に暮らしを営むひとびとの息遣いがあって、好きな作品です。
第一話の、兄の帰りをロープウェイ乗り場でじっと待つ妹の姿は、実際に見たように忘れられません。
映画も、竹原ピストル演じる不器用そうな青年のはにかんだ笑顔が、切なさを伴って記憶に残っています。
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