第2話

文字数 1,730文字

「おはよう、ございまぁ~す」
 学校に行きがてら寄ったゴミ捨て場で、俺は世間話をしている三人のご近所さんに、いつも通り愛想良く挨拶をする。
 昨夜の訪問者に腕を捕まれ、気が遠くなったと思ったら朝だった。寝過ごさずにすんだのは、出がけに珍しく爺さんが声をかけてくれたからだ。
「燃えるゴミの日だけぇ、忘れんじゃねぇぞ」
 はいはい、わかってますよクソジジィ。昨夜の訪問者のこと知ってやがるくせに、その件に関してはスルーなワケね? 
 まあ、起こしにきたってことは一応、心配してくれたんだろう。
「あら庚(こう)くん、おはよう。一時間くらい前にお爺ちゃんと会ったけど、ゴミ出しは庚くんの仕事なのねぇ? 偉いわぁ」
「はぁ……」
 ちょっとマテ、このオバサン達は一時間もここで立ち話してるのかよ?
 今朝の気温は、七時過ぎで既に三十度を超えていた。蝉でさえ鳴くのを止める暑さだってのに、呆れるのを通り越し感心するよ。
 どうやら今朝の話題は、家を買った誰かの悪口のようだな。妬み、嫉み、陰口、よく下らない話のネタが尽きないもんだ。
 一人は斜め向かいの奥さん、一人は真下、もう一人の赤茶色に髪を染めているおばさんは……知らない人だから別棟の人かな。三人の普段と変わらない態度からすると、昨夜の雄叫びは聞かれなかったみたいだ。
 ある時を境に、風鈴の音に似た耳鳴りが、招かれざる客の訪れを教えるようになった。
 訪問者に慣れてなかった頃、夜中に叫び声を上げて団地が大騒ぎになったこともある。小学生だった当時は恐い夢を見たで済んでも、さすがに中学生でそれは通じない。
 最近はグロテスクな外見にかなり免疫がついてきたはずなのに、予想外のアクションにはつい声を上げてしまうんだよなぁ……。
 団地内の俺は、早くに両親を事故で亡くした気の毒な子ども。
 ただでさえ爺さんとの二人暮らしは、好奇と同情の目で見られているんだ。これ以上、奇行で目立つようなことがあれば団地でなんか暮らせない。
 知られたくないことが多くても、暇な連中に根掘り葉掘り探られて、あらぬ噂を煽られるのがオチだからな。目立たないように、気を付けなくちゃ。
 ゴミを置くと丁寧にカラス除けのネットをかぶせ、俺はオバサン達に会釈した。礼儀正しい素振りも重要だ。
 すると面識のない赤毛のオバサンが、目を細めながら俺の斜め向かいの奥さんに話しかけた。
「まぁ~、今時めずらしい高校生ねぇ」 
「違うわよぉ、あの子はまだ中学3年生。D棟3階、あの結羅木(ゆらぎ)さんのお孫さんで庚くん」
 斜め向かいの奥さんは、骨張った手を口元に当てると厚化粧にサインペンで描いたような眉と細い目を吊り上げ、意味深に笑う。
「ああ! あの結羅木さん。どうりでねぇ……背は高いし、なかなかイケメンじゃない? ちょっと細すぎる気もするけど」
 途端に三人の視線は、俺の品定めにかわった。
 爺さんの知名度が高いせいで俺は、いつも恥ずかしい思いをしている。
 公団のトム・ハンクス(自称)、老人クラブのプレイボーイ。まあ団地の御婦人方にモテる爺さんのおかげで、毎日の手作り総菜に事欠かないんだけどね。
 つまり飯だけ炊いておけば、男所帯でも不自由しないわけだ。
「おはようございます、今日も暑くなりそうですね」
 三人の視線から上手に逃れる口実を探していると、新しい顔がタイミング良く話の輪に加わった。
「おはようございます、サワダさん。きいたわよ、一戸建て買ったそうじゃない」
「あっ、でも小さな家なんですよ。間取りもこの公団と同じくらいだし」
「いいわねぇ、お金のある人は」
「郊外だから、安かったんですよ」
「普段から節約上手の人だと思ってたけど、見習わなくちゃ」
「おほほほほ……」
 幽霊より、生きてる人間の方が恐いとはよく言ったものだ。数分前の陰口相手に笑っているのだから、まるで狐と狸の化かし合いじゃないか。
 ホントに暇な連中だ。
 冷めた感覚を頭の隅で感じながら俺は、腕時計を見てからバス停めがけ走り出す。公団の児童公園を抜けバス通りに出ると、客を乗せ終わってドアが閉まりかけたバスに俺はかろうじて飛び込んだ。


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