海なんて二度と行かない

文字数 4,105文字

 ああ、暑いったら。なんでこんなに毎日、暑いんだか、ほんと訳分かんない。
 そう私が言ったからって、「だったら海に行こう」ってあなたの発想はあんまりだと思った。だってそれこそ海ってエアコンきいてなくって街中より暑いじゃない? 高校生とか家族連れがいるのも賑やか過ぎて正直、得意じゃないし。可愛い水着を着るのは好きだけど、日焼け止め塗りまくったって絶対に日焼けしちゃいそうだし。

 どんなにあなたが熱を込めて「少し遠いけど、ほんとにキレイな海なんだよ?」「一度はマユに見せたい、一緒に行きたい、って思ってたんだ」って誘っても、荷物持って電車に乗って行って帰ってくるって考えただけで、もう疲れちゃう。あなたったら免許持ってないんだもの。

 それだったら、どうせなら都心のホテルのプールの方がいいんだけどな。写真映えするから夕方からが特に人気なんだって誰かが言ってた。プールサイドのビーチチェアに寝そべって、サイドテーブルにはノンアルコールのカクテルとキャンドル。夕方からなら日焼けだって気にしなくていいし。近くてラクだし。大人しかいなさそうだし。それに……、ううん、なんでもない。
 でも、そんなことあなたに言ったら、また困ったような顔して「そういうオシャレなのは、オレにはちょっと……」とかって言うに決まってる。
 分かってる、それくらい。だから言わない。そんなこと言わせたくないし、聞きたくもない。そんなこと言われちゃった日には、「えー?」って首を傾げて小さく笑うことくらいしかできないでしょ。
 で、あなたがまた、しまった、って顔になっちゃって。「あー……、」って口ごもって。そんな顔も見たくないから、私は笑ったまま目を逸らす。それでおしまい。

 私たち、最近はそんな感じになってばっかりじゃない? 何か話してても結局は最後、ふたりして言葉を飲み込んで、そのままお互いしばらく黙ったままで。居心地悪くって、沈黙に耐えきれなくって、意味もなくグラスの中の氷をストローでぐるぐるかき混ぜたりなんかして。
 前は黙ってたって、見つめ合ったりくすくす笑ってたり、とにかく『居心地』なんて考えもしなかった。一緒にいられるってただそれだけで嬉しかった。一体いつから私たちこんなになっちゃったんだろう。


 あれからあなた、海のこと全く口にしないから、逆に気になってたの。「代わりにどこか違う所に行かない?」って言おうかどうしようか、ずっと考えてた。例えば水族館とか、プラネタリウムとか。映画館でもこの際いいかな、なんて。たまには私から誘ってあなたのこと驚かせたら、前みたいな仲に戻れるかな、って。
 柄にもなくそんなこと考えながら、大学へと向かう道。向こうからあなたが歩いてくるのが遠目に見えた。あ、なんかこれっていいタイミング? そう思ったらやけに嬉しくなって、手を振ろうとしたその直前で、からだが固まった。
 あなたの横に、知らない女の子が並んでた。
 小柄で、目がくりくりしてて、日焼けした肌の上にセミロングの栗色の髪が揺れている。
 可愛い子。私とは全然違うタイプ。きれいなオレンジ色で彩った唇を横いっぱいに広げてあなたを見上げてる。あなたの顔にも近頃、私が目にした覚えのないような屈託のない笑みが浮かんでる。
 思わず目を背けた。なんでか、いたたまれなかった。あなたたちから身を隠したかった。でも、走って逃げ出したらかえってあなたの目に留まりそうで、どうしていいか分からなくって立ちすくんだ。と、目の端に入ったのが、電話ボックス。中には誰もいない。そう思ったら、条件反射みたいに飛び込んでた。
 ドアが閉まる。途端に外の音が小さくなる。気のせいか景色も遠のいて見えた。とっさに受話器を持って、下を向く。かけるあてなんか思いつかない。どうしよう。でも、ほんとにかけてようがかけてなかろうが違いなんて分からないだろうって思う。ただのポーズ。怪しまれなければそれでいい。街中に溶け込む風景。

 それでもなんでだか、かけてみる気になった。受話器を首に挟んで、手にはコイン。背中越しにさり気なく目を外に向ける。あなたたちが近づいて来てるのが見えた。こっちになんて目もくれない。楽しそうな笑顔。笑い声まで聞こえてきそう。
 やだ。なんで? いきなり視界の端がわずかに滲んだ。悔しい。何が悔しいのか分かんないけど、それでも悔しい。あんまり悔しくって、叩きつけるように数字を押す。
 間髪入れず、ポケットの中が震える。私のスマホ。ああ、サイレントにしておいて良かった。ここでコール音が鳴って、それであなたが振り返ったらと思っただけでドキッとする。そんなことあるわけないのに。あんなに楽しそうに笑い合ってるひとが、こんな道端の箱の中の音なんて気付くわけないじゃない。
 並んだふたりの姿が大きくなり、一瞬で電話ボックスを通り越し、そうしてふたり分の背中が遠ざかる。顔を下に向け、上目遣いで中からその背を見送る。ポケットの中はずっと震えたまま。私の心みたい。震えて震えて止まらない。受話器から聞こえるコール音。同じく鳴り続けてる。誰か止めてよ。止めてよ。止めてよ。──止めてよ!
 叫びそうになったところで、我に返って受話器を置いた。ガチャン。コインがカチャカチャコトッと乾いた音を立てて下に落ちる。電話から吐き出されたコインみたいに、私のからだからはため息が溢れた。肩が上下してる。コインを取ろうとして指先が震えてることに気付いた。バカみたい。ほんとバカみたい。呟きながら、コインをつまんで財布に戻した。
 ドアを開けて外に出る。熱風が乱暴に頬を撫ぜる。熱くて痛い。また目の端が染みてきそうで、そんなのってイヤ過ぎるから、瞬きをひとつした。ふたりの姿は乾いた視界のどこにももう見当たらない。


 どこからか流れてきたうわさ話。あの可愛い女の子、あなたと同じサークルの後輩であなたのことが大好きで、なるたけ一緒にいたいがためにあなたのこと同じバイトに誘った、って。で、あなたったらそのバイトを引き受けた、誘われてまんざらでもないみたいだった、って。
 違うサークルの私が直接聞くような話じゃないのに、不思議、そういう話ってどういうわけかちゃんと届くようになってるみたい。聞きたくなんかないのにね。でも、知った方がいいから耳に入るのかなあ。
 うわさ話なんて知らない聞かないだってあなたのこと信じてるから、って言い切れたらいいのに。言い切れない私は、あなたの前に立って小首を傾げる。で、「海、行ってもいいよ?」なんていまさらなこと呟いてみる。ふたりで会うのは久しぶりだった。
 一瞬であなたの顔が曇った。ああ、その顔を見たら、答えなんか聞く気にもなれないじゃない。それこそ走って逃げ出したくなる。それなのにあなたったら口ごもりながらも
「いや、やっぱり無理して行くほどのことじゃないから止めておこう」
 だなんて、やけにきっぱりと言い切った。
「紹介があって、この前から海の家でバイト始めたんだ。行ってみたら思ってた以上に日差しが強くて暑くって、色白で肌が弱いマユには向いてないって気がついた。止めて正解だったんだなって思い直してたんだ。ほんと考えが甘いって言うか、分かってなかったって言うか」
 ふだんは言葉数、少ない方なのに、いつになく饒舌なあなた。
「朝早めに行かないと混むし、いいお店とかにも入れないらしいけど、マユ、朝、苦手だし」
 ごめんな、と口にするあなたの目がどこか危うく揺れている。
「分かった」
 とだけ答えて、それ以上は何も言わずに別れた。ほんのわずか、あなたの目が物言いたげに見えた気がしたけど、きっと気のせい。振り返りなんかしない。引き止められもしなかった。


 実際、朝は苦手。1限出るのだって結構しんどい。だけど今朝は頑張った。今朝だけは。
 だって、あなたが今日、朝イチでバイトに行く日だってこの前、小耳に挟んでたから。スマホのアラームだけじゃ心許ないから、目覚まし時計までセットして起きた。

 起きて、顔をぱぱっと洗って、日焼け止めとフェイスパウダーだけ叩いて、ワンピースを頭からかぶって着替えて外に出る。
 暑い。こんな時間からもう暑い。日差しが眩しくって慌てて帽子を取りに戻った。その分、急ぐ。小走りになる。10分くらい歩いたところにある電話ボックスへ。この前、探して見つけてた、家から一番近い電話ボックス。空。誰かが使ってる所ってそう言えば一度も見た記憶がないかも。
 開けたらもわっとした空気が流れ出してきて、一瞬怯んだ。それでも入る。入って、コインを入れて、ねじり込むようにボタンを押す。大丈夫。間違えてない。
 短いコール音の後、声が流れてきた。聞き慣れた、でも、不審気な声。
「……もしもし?」
 そこで言葉が切れる。息を詰めて耳元の声に聞き入る。
「……もしもし?」
 さっきより少し声が大きくなってる。いつも耳にしているのは、もっと優しくてゆっくりした声、だったと思う。好きな声、なの。ほんと。声だけじゃない、けど。多分。
 ふーっ、と息が漏れるような音がして、そうして
「誰?」
 と尋ねられた。それでも喉元に力を込めて沈黙を守る。
 突然、音が途切れた。ツーツーツー。電話、切れてる。
 受話器を握りしめたまま、あなたの声の後ろから聞こえてきていた音を思い浮かべる。
 波音。波音。波音。合間を縫って、「どうしたの?」って甘い声が流れてた。甘い、甘い声。

 こんな時間から一緒にいるんだ。
 こんな時間までずっと一緒にいたかったのは私なのに。

 受話器を戻して、外に出た。コインは戻ってこなかった。


 この前、初めて知ったの。電話ボックスから電話するのなんて初めてだったから。ここからかけるとスマホには『公衆電話』って表示されること。そうでなかったら私、今の電話、できなかった。できない方がよかったのかどうかは知らない。分からない。


 ねぇ、あなたは知ってた?
 『公衆電話』の表示のこと。
 ねぇ、あなたは分かってた?
 私の気持ち。


 さよなら、海。
 さよなら、あなた。

 もう二度と会わない。







 
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