第二十二話 魔獣の咆吼、闇を裂く五芒星

文字数 3,656文字

 ――私は悪くない……!
 (つま)()(しとみ)も閉じた(へや)の中で、かの男は震えていた。
 (やしき)の女房や、舎人(とねり)が心配して声をかけてくるが、男はどれも自分を()(なん)する声に聞こえる。お前の()()だ。お前があの男を殺した――と。
 ――違う……! 私は彼を殺してはいない!
 (からだ)の震えが止まらない。息が詰まる。
(みつ)(ひろ)……』
(とう)(だい)の灯りが揺れて、(はかな)げに()けた男が立った。
「ひっ……、(つゆ)(ふさ)……」
 烏帽子に狩衣と見知った姿ではあったが、(ゆう)()であることは男――、(この)()(みつ)(ひろ)にも理解できた。かつて(がく)(しよ)(きそ)った友・大伴露房(おおともつゆふさ)――、彼がそこにいた。
『教えてくれ。私はなにゆえ……』 
「ち、違うのだ! 私はただ――」
 ただ、(ねた)ましかった。身分も笛の腕も彼の方が上。(こう)()の血をひく(みなもと)(ひろ)(まさ)に彼が一番目をかけられていた。(ほこ)らしげな彼の顔が、友として隣で笑う彼が妬ましく、憎かった。いなければいい。そうすれば、自分の笛の音が()える。そう、いなくなればいい。
 なのに、失敗した。
 (たん)()(せち)()を前にした練習の場で、男の龍笛は音を(かな)でることはなかった。ようやく(つか)んだ(ふえ)(だくみ)の座。なのに、息が詰まってしまった。
 聞けば、露房は節会の舞楽には光弘を龍笛の笛工に(すい)(きよ)したという。
 ――知らなかったのだ。私はお前が私のことを(あざ)(わら)っていると思っていた。友だと言いながら下に見ていると。
 そんな光弘の前に、あの男は現れた。願いを叶えるという。
「露房……」
 悪いのは自分だった。あの男に打ち明けなれば露房は消えることはなかった。本当は大事な友だった男をなくすことはなかった。
「許して……くれっ」
 (どう)(こく)の光弘の前に、露房の姿はもうそこにはなかった。
 


 (ろく)(じよう)(ぼう)(もん)(こう)()――、魔獣と(たい)()していた晴明は(かつ)(もく)した。
魔獣のやや斜め後方、それは突然表れた。半透明でゆらっと揺れる姿は見慣れているものだったが、その顔に(うれ)いはない。
 晴明がこれまで会った幽鬼はこの世に未練を残していたが、『彼』からはその念はない。
『我が声に耳を傾けてくれて礼をいう』
 声はその一言、男の姿は(じよ)(じよ)に透けて、溶けるように消えていった。
 晴明としては何かをした訳ではなかったが、彼はなにゆえ(おのれ)が死んだのか知ったのだろう。それが誰かの依頼だったにせよ、彼の顔に憎しみはなかった。
忌々(いまいま)シイ……。人ニ妬マレテイタトイウニ』
 魔獣にもここで襲った男の(さい)()の声が聞こえたようだ。
「お前には、わからんだろうな。人間は必ずしも憎しみだけで生きているわけではないことを」
(だま)レ! 貴様トテ、半分ハコチラ側ノ存在デハナイカ!? 思い出すがいい。(はん)(よう)と知ったお前に人間はどうした? 憎んだ出あろう? お前も。いなくなればいいと思ったであろう? のう? 安倍晴明』
 魔獣の声に、人の声が重なる。
 晴明は(どう)(もく)した。
「お前――まさか……」
『我が名は叢雲勘岦斉(むらくもかんりゆうさい)(じか)()いたかったが(われ)は忙しい身でな』
 (わら)う男に、(けん)(げん)した十二天将・(たい)(いん)(ふん)(がい)する。
 叢雲勘岦斉と言う男は、よほど隠れるのが好きらしい。
 今回も何処かで、成り行きを見届け、失敗したとしても、彼には痛手にはならないのだろう。晴明は唇を噛んだ。
『なによ、(えら)そうに。とっとと地獄に()ちなさいよ!』
『ほぅ。これが噂の十二天将か。思ったほどではないな』
 勘岦斉は(わら)っている。()(ゆう)(しやく)(しやく)の態度は、太陰の()()をさらに上げたようだ。
『失礼ね! あなたも陰陽師なら、十二天将に対する(うやま)(かた)は知ってるでしょ!?』
『その十二天将が、我らに勝てたなら考えよう』
『何様のつもりよ!!』
 彼女が起こした風が(かま)(いたち)となって魔獣を襲う。
 しかし魔獣は、一撃を受けるもビクともしない。
『下手な矢も数打てば当たる……だな』
 (せい)(かん)していた二番目の天将・(とう)()が口を開き、
『何処かで聞いたような言葉だけど、意味としては正解だな』
 三番目の天将・玄武が続いた。
『ちょっと、騰蛇に玄武。それって酷くない?』
「口論はあとにしろ」
 感情に任せては相手に勝てない。
 晴明は(さん)(はしら)を制すると、狩衣の(あわせ)から呪札(じゆふだ)を引き抜いた。
「オン、サンマンダバサラダン、センダンマカロシャダソハタヤ、ウンタラタカンマン
 再び(けつ)(いん)し、真言を唱える晴明の前に、青い光が()(ぼう)(せい)を描く。
 魔獣は、五芒星に(とら)われ、太陰が動いた。
天将(わたし)たちがあいつの動きを止めるわ。晴明』
 太陰、騰蛇、玄武が魔獣の三方を囲む。
『逃がすかよ。俺たちを誰だと思っている? ワンコ野郎』
 玄武の言葉に、魔獣の爪が彼を掠める。
『危ねぇなぁ……。ワンコが気に入らなかったか?』
『玄武、遊んでいる場合ではない』
『わかってるよ。騰蛇』
 晴明は、呪を唱えた。
(りん)(ぴよう)(とう)(しや)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)!!」
『グァ!!』
 五芒星の中で、魔獣は黒い(ちり)となって()(さん)する。
『やったわ!晴明』
 (かん)()する太陰だが、晴明は渋面で魔獣がいた()(しよ)(にら)んだ。
「いや……」
『――問題の男が気になるのか? 晴明』
 問うてくる騰蛇を(いち)(べつ)し、晴明は思案する。
 叢雲勘岦斉――、ついに明らかになった男の名。
 やはり彼と対決しなければ、この戦いは終わらない。
あの余裕と態度――、(あやかし)(いつ)(たい)(たお)しても、彼は次の妖を生み出す。
 そんな気がする晴明だった。

◆◆◆

「それで――、例の龍笛は元通りになったのか?」
 (すの)()(えん)(こう)(らん)()しに、闕腋袍(けつてきのほう)に身を包んだ冬真が興味深そうに聞いてくる。
 冬真が所属する左近衛府の(じん)(※左近衛府武官の詰め所)は内裏の南東、()(よう)殿(でん)西(にし)(むね)にある。
 (せい)殿(でん)(※()(しん)殿(でん))の(ぜん)(てい)を通れば、かの殿舎は正殿と隣り合っているため、左近衛府とは目と鼻の先である。
 晴明は冬真に会いに来たわけではなく、内裏の外に出ようと(しよう)(めい)(もん)に向かって歩いていた所を声をかけられたのである。
「ああ。(みなもと)(ひろ)(まさ)さまに出世の話を振られたよ」
 ここに来る前――、陰陽寮を出た晴明は、(こう)(しよ)殿(でん)(くろう)()(ところ)を訪ねていた。この日の源博雅は蔵人所にいるという。(こう)(たい)(ごう)(ぐう)(ごん)(たい)()となる彼の(ぜん)(しよく)は、蔵人所の長・(くろ)(うどの)(かみ)であった。
 その蔵人所がある殿舎・校書殿は正殿を挟んで右側、近衛府のもう一つ、右近衛府の陣がある。晴明が蔵人所の博雅を訪ねたのは、預かっていた龍笛を返すためである。
「その(えさ)に食いつくお前じゃなかろう? 俺もそうだが」
「もちろん、きっぱり()()けたよ。もしかしすると、関白さまの他にもう一人、(にら)まれる人間を作ったかも知れないが」
 おそらく、晴明に出世をちらつかせたのは博雅の意思ではなかろう。晴明を味方に取り込んだところで、彼に何の得にもならないと思われる。ならば(むし)ろ、彼の背後にいる人物が晴明の力を欲した。
 出世も興味ない晴明だが、権力争いに巻き込まれるのもごめんである。
 そんなことになれば、出仕もしずらい上に、関白・藤原頼房に何をいわれることやら。
 あれからあの龍笛は、美しい音を奏でるようになったという。
 ただ龍笛を奏でるはずの笛工が、突然楽所を離れてしまったらしい。お陰で楽所では、新しい笛工の人選に慌てることになったらしいが。
 すると冬真が、話題を変えてきた。
「そういえば、後宮で妙なことが起きているらしいぞ」
「妙なこと……?」
 晴明は眉を寄せた。
(あや)()から聞いたんだが……」
 冬真曰く、従妹(いとこ)・菖蒲から聞いた話によると、やたらと物が自然に落下するらしい。女房たちは怖がっているそうだが、弘徽殿の中宮・藤原瞳子は落ち着いていたという。
「ならば、心配いらんだろう」
 晴明の想像では、物が落下するのは潜り込んだ(ぞう)()()(わざ)だろう。彼らにとってここが何処かなど関係なく暴れているのだろう。
 中宮が落ち着いているということは、見鬼の才をもつ東宮が母である中宮に何かを話したかしたのだろう。
 だとすれば、内裏に侵入している雑鬼は――。
(注意しておくか……)
 晴明は()(てい)にいる雑鬼を脳裏に浮かべ、そう思った。
 東宮とは知らずに彼を友達にした雑鬼、鬼を怖がらない東宮。
 人と妖が平和に共生する世――、東宮が帝位に就いたとき、そんな世が生まれるかも知れない。
「晴明……?」
 冬真が()(ろん)に眉を寄せる。
「いや……、あとで(れい)()を届けよう」
 晴明はそう言って、直衣の(たもと)(ひるがえ)した。
 


 六条坊門小路での件から間もなく、楽所の楽士が路で一人の僧とすれ違った。
「近衛光弘……どの?」
 かつて楽所の笛工だった男の名だが、その僧はその男に良く似ていた。
 近衛光弘はある日、楽所を辞めた。その理由がなんなのか、仲間たちは知らないという。
 僧は振り向くことなく歩き続け、声をかけた楽士も「人違いか」と思って踵を返す。それは、よく晴れた文月の中頃のことであった。
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