父さんマジかお前
文字数 2,477文字
その日、私のお祖父さんが死んだ。大好物の羊羹を喉に詰まらせてしまったらしい。ただ、前提として私は悲しんでいるとか、同情しているとかそんな事を伝えたいわけではない。当然、幼い私によくしてくれたお祖父さんには感謝しているし、もう会えないと思うと悲しい事は確かなのだが、それでも今伝えたいのはそんな事ではなかった。
「ここに、爺さんの部屋から見つけた手紙がある」
私の父がそう言って、一枚の紙切れと封筒を食卓の上に置く。私はお祖父さん子で、よく似たような手紙を送っていた。
「あなたには難しいかもしれないけど、遺書っていうのよ」
私の母が、私の目を見てそう言った。
「遺書くらい分かるよ。私もう13歳よ?」
私の両親は、私の事を子供扱いするきらいがある。私から見れば両親の方がよほど無知でワガママで恥知らずの恩知らずな人間の恥なのだが、本人たちはどうもそこのところを分からないらしい。
言い過ぎだと思うだろうか? 実の両親に対してひどい言い草だと感じるだろうか?
しかし、私の意見が正しいという事は説明するまでもなくすぐに分かる事だ。この両親ならば、一切私の期待を裏切る事がないはずだ。
「この遺書を書き換えようと思う」
ほらね。
「この手紙はな、爺さんの遺産について書かれているんだ」
「お爺ちゃんが持ってたお金の事よ」
「分かるよ」
「爺さんが死んだ時、本当だったら俺たち兄弟で仲良く分けなくちゃならないお金なんだよ。でもな、この手紙に「お父さんにはあげません」って書いてあったら、お父さんだけはお金貰えないんだ。酷い話だろ?」
「遺言状っていうのよ」
これが、私の両親だ。
厚顔無恥の権化のような物言いであり、そもそもから言えば父さんがこんながめつい性格だから、遺産が相続されない可能性なんてものが出てくるのだ。お祖父さんが病床に伏せている時もろくすっぽ見舞いに行かず、死んだと聞いて意気揚々と姿を現した。
金目当てだと、隠しもしない。
「だから、この手紙をみんなで書き換えようと思うんだ。そうすれば、お父さんが仲間外れにされる事なんてないだろう?」
「お父さんだけお金がもらえないなんて酷いものね。仲間外れはいけない事だって学校で習ったでしょう?」
「……そうね。いけない事はしちゃいけないって習ったわ」
「そうだろう、そうだろう!」
非常に嬉しそうな父の言葉に、正直白い目を向けない事に苦労しなければならなかった。これほどまでの大馬鹿野郎を見る機会は、おそらくこれから長く続くだろう私の人生に現れないと思われる。というか現れたら困る。
「その手紙なんて書いてあるの?」
「そうだな! まず中身を見ないと始まらないもんな!」
まず、お祖父さんが父さんを遺産相続から外しているのかどうかを確認しなければ話にならない。まず間違いなくないと思うが、ともすれば、あるいは、もしかしたら、万々が一、父さんに相続するつもりだったかもしれない。こんな人間から出る塵芥を汚泥で固めたような人間であったとしても、一応は血の繋がった実の息子なのだ。遺言を残そうと考えるような精神状態の時に、ちょっとナイーブになって血迷ってしまったとしてもそれは無理からぬ事だ。
もしも、遺言状に父さんの名前があったならば。
そしてそれが相続についての事ならば。
さらにそれが遺産を受け取れるような内容ならば。
そんな奇跡のような事があるのならば、父さんは遺言を改竄するような愚かしい真似をしなくていいのだ。きっとその手紙は元あった場所に戻されて、しかる後に縁者の誰かが見つける事だろう。
そうなれば、私にできる事は誰かに見つかる前に遺言から父さんの名前を消す事だけだ。
「なんて書いてあるの?」
母さんが問いかける。
「…………」
父さんは、どうやら手紙を見て固まっているらしかった。その内容を凝視して、息も止めてしまっているのではないかと思えるほど真剣な表情だ。
もしかしたら、本当に遺産を相続できるのだろうか。そうだとしたら、確かに固まってしまうのも分かる。こんなやつに遺産を与えるなど、どんな精神状態によるものだとしても正気の沙汰ではないのだから。
父さんも、内容を確認する前から改竄すると断言しているあたり、そもそもからして自分の名前があるなどと考えてはいないのだろう。
しかし、答えは予想もつかないものだった。
「漢字が読めん!」
「それ貸して!」
昔からお父さんは大馬鹿者だと思っていたが、どうやらそれ以上に別の意味でバカだったらしい。父さんから手紙を奪い取り、その中身を私が確認する。
「…………」
「どうだ? なんて書いてある?」
「ちょっと黙って」
確認し、頭を抑える。
結論から言えば、父さんの名前は隅から隅までどこにもなかった。あの馬鹿には相続の価値なしとすら書かれていなく、まして可哀想だから相続させてやるかとも書いていない。
いや、その言い方は語弊があるか。なにせ、この手紙の内容は——
「——お祖父ちゃん大好き」
「……は?」
「て、書いてある」
端的に言えば、そう表して相違ない。もう分かるだろう。この手紙は、そもそも遺言状などではないのだ。何年も前に私が書いた、お祖父ちゃんへの手紙に間違いなかった。いくつもあるうちの、最後に書いた物だったと記憶している。
私は常々両親の事を馬鹿だ間抜けだと思っていたが、これはその枠に収まり切らないかもしれない。
「え、じゃあ遺言は?」
知らないよ。
言葉にはせず、小首を傾げた。
この後、父さんには内緒にされていた本物の遺言状によって、喜ばしい事に私たちの遺産相続はなくなった。
さすがはお祖父さん言うべきか、銀行の貸金庫に預けられていて、その存在を知らないのは私たち家族だけだったらしい。いくら病に臥せって精神が弱っているお祖父さんも、一番重要な最後の手紙に対する警戒だけは怠らなかったのだそうだ。
こうして、悪は滅びた。めでたしめでたし。
「ここに、爺さんの部屋から見つけた手紙がある」
私の父がそう言って、一枚の紙切れと封筒を食卓の上に置く。私はお祖父さん子で、よく似たような手紙を送っていた。
「あなたには難しいかもしれないけど、遺書っていうのよ」
私の母が、私の目を見てそう言った。
「遺書くらい分かるよ。私もう13歳よ?」
私の両親は、私の事を子供扱いするきらいがある。私から見れば両親の方がよほど無知でワガママで恥知らずの恩知らずな人間の恥なのだが、本人たちはどうもそこのところを分からないらしい。
言い過ぎだと思うだろうか? 実の両親に対してひどい言い草だと感じるだろうか?
しかし、私の意見が正しいという事は説明するまでもなくすぐに分かる事だ。この両親ならば、一切私の期待を裏切る事がないはずだ。
「この遺書を書き換えようと思う」
ほらね。
「この手紙はな、爺さんの遺産について書かれているんだ」
「お爺ちゃんが持ってたお金の事よ」
「分かるよ」
「爺さんが死んだ時、本当だったら俺たち兄弟で仲良く分けなくちゃならないお金なんだよ。でもな、この手紙に「お父さんにはあげません」って書いてあったら、お父さんだけはお金貰えないんだ。酷い話だろ?」
「遺言状っていうのよ」
これが、私の両親だ。
厚顔無恥の権化のような物言いであり、そもそもから言えば父さんがこんながめつい性格だから、遺産が相続されない可能性なんてものが出てくるのだ。お祖父さんが病床に伏せている時もろくすっぽ見舞いに行かず、死んだと聞いて意気揚々と姿を現した。
金目当てだと、隠しもしない。
「だから、この手紙をみんなで書き換えようと思うんだ。そうすれば、お父さんが仲間外れにされる事なんてないだろう?」
「お父さんだけお金がもらえないなんて酷いものね。仲間外れはいけない事だって学校で習ったでしょう?」
「……そうね。いけない事はしちゃいけないって習ったわ」
「そうだろう、そうだろう!」
非常に嬉しそうな父の言葉に、正直白い目を向けない事に苦労しなければならなかった。これほどまでの大馬鹿野郎を見る機会は、おそらくこれから長く続くだろう私の人生に現れないと思われる。というか現れたら困る。
「その手紙なんて書いてあるの?」
「そうだな! まず中身を見ないと始まらないもんな!」
まず、お祖父さんが父さんを遺産相続から外しているのかどうかを確認しなければ話にならない。まず間違いなくないと思うが、ともすれば、あるいは、もしかしたら、万々が一、父さんに相続するつもりだったかもしれない。こんな人間から出る塵芥を汚泥で固めたような人間であったとしても、一応は血の繋がった実の息子なのだ。遺言を残そうと考えるような精神状態の時に、ちょっとナイーブになって血迷ってしまったとしてもそれは無理からぬ事だ。
もしも、遺言状に父さんの名前があったならば。
そしてそれが相続についての事ならば。
さらにそれが遺産を受け取れるような内容ならば。
そんな奇跡のような事があるのならば、父さんは遺言を改竄するような愚かしい真似をしなくていいのだ。きっとその手紙は元あった場所に戻されて、しかる後に縁者の誰かが見つける事だろう。
そうなれば、私にできる事は誰かに見つかる前に遺言から父さんの名前を消す事だけだ。
「なんて書いてあるの?」
母さんが問いかける。
「…………」
父さんは、どうやら手紙を見て固まっているらしかった。その内容を凝視して、息も止めてしまっているのではないかと思えるほど真剣な表情だ。
もしかしたら、本当に遺産を相続できるのだろうか。そうだとしたら、確かに固まってしまうのも分かる。こんなやつに遺産を与えるなど、どんな精神状態によるものだとしても正気の沙汰ではないのだから。
父さんも、内容を確認する前から改竄すると断言しているあたり、そもそもからして自分の名前があるなどと考えてはいないのだろう。
しかし、答えは予想もつかないものだった。
「漢字が読めん!」
「それ貸して!」
昔からお父さんは大馬鹿者だと思っていたが、どうやらそれ以上に別の意味でバカだったらしい。父さんから手紙を奪い取り、その中身を私が確認する。
「…………」
「どうだ? なんて書いてある?」
「ちょっと黙って」
確認し、頭を抑える。
結論から言えば、父さんの名前は隅から隅までどこにもなかった。あの馬鹿には相続の価値なしとすら書かれていなく、まして可哀想だから相続させてやるかとも書いていない。
いや、その言い方は語弊があるか。なにせ、この手紙の内容は——
「——お祖父ちゃん大好き」
「……は?」
「て、書いてある」
端的に言えば、そう表して相違ない。もう分かるだろう。この手紙は、そもそも遺言状などではないのだ。何年も前に私が書いた、お祖父ちゃんへの手紙に間違いなかった。いくつもあるうちの、最後に書いた物だったと記憶している。
私は常々両親の事を馬鹿だ間抜けだと思っていたが、これはその枠に収まり切らないかもしれない。
「え、じゃあ遺言は?」
知らないよ。
言葉にはせず、小首を傾げた。
この後、父さんには内緒にされていた本物の遺言状によって、喜ばしい事に私たちの遺産相続はなくなった。
さすがはお祖父さん言うべきか、銀行の貸金庫に預けられていて、その存在を知らないのは私たち家族だけだったらしい。いくら病に臥せって精神が弱っているお祖父さんも、一番重要な最後の手紙に対する警戒だけは怠らなかったのだそうだ。
こうして、悪は滅びた。めでたしめでたし。