第1話

文字数 1,890文字

 少し飛ばしただけで《鉄馬(モトホース )の関節は逆方向にひん曲がりそうになる。手間を惜しんで中古販売サイトで買ったせいだ。

 メタリックでほっそりとした馬身。まさか運命なんて大それたものを感じたわけじゃなかったけどな。即決だった、だけど。

 時間と金をケチらず、ヨハネスブルグまで出向いて新品を買うべきだった。メインストリートのショウウィンドウには、もっとつやつやして丈夫そうなのがいくつも並んでいたはずだ。

 後悔先に立たず、か。
 森内光矢(もりうちこうや)は、鋼鉄製の馬のうなじから突き出たT字ハンドルを握りながら、鉱山都市のあの意外なほど洗練された中心街を思い返していた。

 振動も想像以上だな。きっと、アフリカ奥地の悪路を走ることまでは想定していないのだろう。サイトの商品情報には「衝撃吸収に優れ、(くら)なしでもOK」とあった。
 
 何が「OK」なものか。《鉄馬》の前脚がこぶし大の石でも踏もうものなら、直にまたがった鋼の背が尾てい骨に無慈悲な一撃を食らわせてくる。

 一週間前に乗り始めてから、これで何度目かしれない。特に、今日のような火急の用で叩き起こされた日にはなおさらだ。さっきからなんでもない起伏を通るだけでも、いつもなら吸収できる衝撃が、まるで地獄の餓鬼が突き上げる拳のごとき打撃に変貌する。
 
 ただし、悪いことばかりでもない。疾駆する鋼鉄製馬とそれを操る俺の姿を見て、たまに地元の子供たちが、ひゅう、と口笛を鳴らす。

 フルフェイスのヘルメットをかぶっているため、子供たちに微笑み返すことはできないが、それでも首だけ向けて関心を示すくらいのことはする。


 ふいに軽快な着信音が森内の意識を再び前方に戻した。ヘルメットのシールド内側に「比嘉(ひが)さん」の文字が浮かんでいる。

 着信音が決して愉快なものでなくなったのはいつからだっただろう。ちょうど給料をもらって生活し始めたときからかもしれない、などと考えながら森内は視線とともに動く小さなカーソルを下部の「応答」に合わせた。もちろん《鉄馬》の速度で迫り続ける背景にも注意しながら。

「今、どこにいる」比嘉の不機嫌そうな声がヘルメットのスピーカーから響く。
 どこにいるって、出勤途中に決まってるだろう。つい三十分前に俺を眠りの底から引きずり出したのを忘れたとでも言うのか。森内はそのような不平を飲み込んだ後、一つ咳払いして言った。

「今、現場に向かってます。あと十分くらいで着きます」
「急げよ。今回ばかりは人命がかかってるんだ」
 森内が「了解」と言う前に通話は切れた。フェイスシールドは再び、何も映さない透明なプラスチックプレートに戻った。

 同僚の浅井ルーカス健が今朝方、坑道の奥で消息を絶った。
 まったく、あのバカめ。
 詳細は、比嘉がやたら早口だったのと、自分の頭がまだ十分回っていなかったため覚えていない。

 何でも、ダイヤとは違うものが出てきたという。何だ、奴はタンザナイトかブラックオパールでも見つけたのか。
 
 仮にそうだとしても、俺たちがサインした(させられた)契約書には「ダイヤモンドまたはその他の鉱物を、職長及び現場作業監督の許可なく外部に持ち出してはならない」とあるはず。

 よって浅井が何を見つけたとしても、どのみちそれを猫糞(ねこばば)することはできないのである。もちろん、法を破る覚悟があるのなら話は別だが。

 脇から伸び出た細い木の枝がヘルメットをかすり、ちっ、と音がなる。これ以上スピードを出せばこいつの前脚は折れ、ついにお釈迦になるだろう。せめて、就労ビザの期限が切れるまでは「健康」でいさせたい。

 砂のオー・ルージュのような登り坂を突っ切ると、見えてきた。作業員の間でSad Hades(サッド・ハデス)と呼ばれている巨大な穴。
 元々はダイヤを掘り尽くされた露天掘り坑で、所有者であるイギリスの鉱山会社は、それを人口湖としたまま百年以上放置してきた。しかし耐熱自動穿孔(せんこう)機やフライングポッドが出現し、掘削技術が飛躍的発展を遂げると、状況は徐々に変わっていった。

 歴史を伝える遺産としての役割しかなかったこの穴に再び、世界中から採掘権目当ての開発業者が群がってきた。蟻の巣のように掘り進められて出来たこの階層的採掘坑は現在、地下で数百の鉱区に分割され、混然としたダイヤモンド・シンジケートを形成している。

 はあ、と吐くため息でフェイスプレートが一瞬曇る。森内は、地獄の入り口にしか見えない巨大坑を眺めながら思った。景気のいい話の裏で、これまで生き埋めになった作業員は数え切れない。

 今日も冥府の神ハデスに祈るのみだ。悠久の時の結晶をほじくり返す俺たちをどうか見逃してください、って。
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