果たされた約束 2

文字数 6,699文字

「盗み聞きしたのね!」
 怒りに顔を赤らめたアントニーナに対し、ガートルードは表情を変えず、しらっとした声で答えた。
「おや、盗み聞きとは物騒なことを。私はまだ何も言ってませんよ。それともなにか親に聞かれて困ることでもあったのかしら」
 そして素知らぬ顔でカップにお茶を注ぎ足している。しばらく赤い顔で睨んでいたアントニーナは、フッと息を吐いて母親に言い返した。
「ええそうね、知っているわ。水晶魔女の本当の力――目を合わせた者に自ずと本心を語らせてしまう力のことでしょう。それが何か? ジグラーシ魔女なら知っていて当然だわ。私が何を語ったかなんてママには絶対言いませんけど!」
「ほう、それは結構だこと」

 母娘の不穏な空気を割って、オーレグは手を挙げた。
「ちょっと……待ってよ」
 普段なら魔女同士の言い合いなんて恐ろしくて口を挟めたものではないが、ガリーナのこととなると別だ。
「目を合わせたら本心を、ってなんのこと? 嘘だよ。僕はいつだってあの子と目を合わせてしゃべってたけど、そんなことは一度も、それどころか」
 オーレグは拳で口元を押さえてガリーナとの会話を懸命に思い出した。本心を言うどころか、自分はいつだってはぐらかし、肝心なことは誤魔化してきたではないか。絵を描かせてという簡単なひと言さえずっと言えずにいたのだ。
「お前は影響を受けないはずです。目を合わせて本心を自ずと語ってしまったのは、むしろガリーナのほうでしょう。鏡とはそういう役目のものです」
「僕と目を合わせたせいで、ガーリャは自分で自分に魔法をかけちゃったってこと?」

  窓を挟んで他愛ないおしゃべりをした日々がオーレグの脳裏によみがえる。悪ガキと言われて無邪気に喜んだガリーナ。ジェインに叱られたと言って涙をこぼしたガリーナ。羊の声に感動し、雷の音に怯えたガリーナ。あれは皆、偽りのない本心そのままの姿だったのだろうか。だったらジェインが言った伯母の目論見など、最初からガリーナは知らなかったのじゃないだろうか。
「何を語ったかは問いませんよ。トーニャにもです。肝心なのはそんなことではないわ」
 カップを置いて、ガートルードは冷静に話を続けた。
「そう、水晶魔女は相手が隠した本心を語らせてしまう。それが個人の間だけならばどうということはない、けれど権力を持つ者に使われたなら、恐ろしい力ともなるのですよ。言っている意味がわかるかしら」
 アントニーナはどうにか怒りを収めたのか、黙って話の先を促すように母親を見つめている。ガートルードは虚空に絵を描くように指を振った。三人の目の前に薄い映像が浮かぶ。古い絵物語のような映像だった。

「かつてジグラーシにいたころの水晶魔女は、この力を利用されてきたようです。例えば時代ごとの王が、自分に腹背する者をあぶり出すために。敵国の虜囚に機密をしゃべらせるために。他にもいくらでも……とてもおぞましくて、全てをガリーナに伝えることはしなかったけれど。様々な物に宿った断片的な記憶がそれらを教えてくれたと、イサークは言っていたわね」
「ガーリャは? ガーリャもそんな風に利用されたの?」
 本の頁ページをめくるように切り替わる映像を目で追いながらオーレグは聞いた。ガートルードはきっぱりと首を振る。
「いいえ、私たちは隠してきましたとも。そのためにこの国に移り住んだのですからね。魔女たちの秘中の秘として、もう二度と権力を持つ者たちにこの力を使わせてはなるまいと、あらゆる手段を使って隠してきたのです。禁を破って水晶魔女の秘密を他に漏らしたり、少しでも記録を残そうとした者は、二度と人前に出られぬ罰を受けたのですよ。この屋敷の地下に棲む魔女たちのようにね」
 罰と聞いて、オーレグの喉がヒュッと鳴った。
「安心なさい、おまえの絵を見てもあれが水晶魔女とは誰も思いませんよ。せいぜい隠しておくことね」
 ガートルードはたしなめるように言う。

「私がお仕えした『賢しのガリーナ』はけっして水晶の砦に籠るようなお方ではなかったわ。むしろ積極的に世の中の情報を求めようとなさっていた。そしてイサークから聞いた過去の話を紡ぎ合わせ、深く深く思索を巡らせて、ひとつの予言をしたのです」
「予言?」
 アントニーナの声と被るように、薪が燃え落ちる音がした。ガートルードが再び指を振ると、暖炉の火を写し取ったような炎の映像が立ち上がった。
「100回目の『終焉のガリーナ』のころに、世界中を巻き込むような大きな戦争が起こると。それは情報の戦いになってくるだろうと。殺し、焼き尽くす。そういう大きな力は科学と技術(テクノロジー)が担うでしょう。私たちの力が及ぶところではない。けれど、敵国の機密を探り情報を得るために、水晶魔女の力を利用しようとする者は、必ず現れるでしょうと。それだけは避けなければいけないと。私とイサーク、それにオーリガとあと数人の魔女が賛成しました」

「矛盾してるわね」
 アントニーナが突き放すように言った。
「水晶魔女の力を利用させないですって? ガリーナが生み出した水晶を今までさんざん利用してきておきながら、もう一つの力は隠すとか護りたいとか。ずいぶんご都合主義なのね、大人たちって」
「何も矛盾していませんよ。私たちが使う魔法は、人が生きるためのものですからね。この国で一族が生きるために水晶を利用してきた事実は、なんら恥ずべきものでもないし、魔法の使い方として間違っていないわ。けれど人を殺めるために使われてしまったら、それは魔法ではなく呪いの力になる。一度それを許してしまうと、呪いはどんどん肥大して、やがてはその地を滅ぼす力となってしまうのですよ――かつてのジグラーシがそうであったように」
 オーレグの目の前に、羊皮紙に描かれた世界地図の映像が浮かび上がった。自分たち一族の出身地、ジグラーシという小国の名はどこにも記されていない。百年も前に動乱があり、北の大国ルーシクに飲み込まれてしまったと教わってきたのだが。まさかその原因が、魔法と関係あったとは。

「とはいえ、巨大な力に抗うには我々は小さ過ぎました。一度目の大戦の時にも、我が一族を軍の管理下に置こうとする動きはあったのですよ。お祖父様たち移民初代の方々が懸命に計らってくれたおかげで、それは免れましたけれど。今度の大戦では次第に抗い切れなくなって、水晶魔女の力が当局に知れるのは時間の問題だったでしょうね。我が夫イサークが自ら軍に志願したのは、そういう時でした。魔法なんて不安定な力が近代戦では役に立たないことを証明してくるよと、冗談のように言って。彼は彼なりに、ガリーナの100回目の務めが無事に終わるまで、なんとしても時間稼ぎをしたかったのでしょうね」
「うそ、パパはそんな理由で行ったの? 私はてっきり……」
 映像はイサークの横顔を映している。アントニーナは困惑した顔でオーレグのほうをちらっと見た。
「てっきり? どんな理由だと思っていたの、トーニャ」
「いいえ。先を続けて、ママ」

 オーレグから目を逸らしたアントニーナをよそに、ガートルードはイサークの映像を消し、淡々と話を継いだ。
「とにかく、今の時代に水晶魔女の力は呪いにしかならない、もう終わらせるべきだというのが『賢しのガリーナ』の考えでした。もちろん反対する者もいましたよ。リュドミーラが率いる転移の魔女など、特に。あの灰色魔女たちは、水晶魔女がいなくなると自分たちの存在意義がなくなってしまいますからね。それはもう強固に反対したのです、時には手段を選ばず。あの者たちの不評を買って人に非ざる者に姿を変えられた魔女もいたわね」
 人に非ざる者……化け物のようか何かだろうか、とオーレグが思う先で話は続いていく。映像は複雑な歯車機構に変わっていた。

「水晶魔女の運命は、緻密に組み上げられた時計の歯車のようなもの。毎年毎年、少しの狂いもなく水晶を育て生み出すための歯車です。私たちはガリーナの願いを叶えるために、運命の歯車の中にほんの少しずつの(バグ)を仕掛けていくことにしました」
 映像の中の歯車が、目立たない箇所から少しずつ不安定な動きをし始めた。
「長い時間がかかりましたよ。なにしろあの狡猾なリュドミーラを出し抜かなくてはならないのですからね。少しずつ、けれど効果的に手を打たねば。私とイサークが結婚して、水晶魔女からいったん離れてみせたのもそう。あのクレーブと契約をしたのもそう。たとえ将来の水晶魔女が泣いて嫌がろうと、この呪いを終わらせるという役目を果たしてほしい、それが『賢しのガリーナ』から託された願いでした」
「じゃあ僕も(バグ)のひとつだったわけだ」
 オーレグが拗ねた声で呟いた。
「それはどうかしら――でも一番難しかったのは、次の水晶魔女の誕生を阻むことでしたよ」
「次の水晶魔女? たしか今年十三歳になる魔女の中にいるって、リュドミーラが言ってたよね」
「そう。オーリャと同じ1927年生まれの誰かが、ガリーナの次の水晶魔女として既に選ばれているはずです。でも、それが誰なのかは十三年後の今年にしか明かされない。そういうしきたりですからね」

 映像が変わり、黒い絨毯を引いたどこかの広間に、幾人もの若い魔女が見えた。大勢の古い魔女たちが見守る中、黒いローブと円錐帽子の正装で列をなして歩いている。大きなお腹をした者、まだ目立たないお腹に誇らしげに手をやる者、ただ不安げに祈る姿勢の者。
「1926年、水晶魔女選出の儀式ですよ。私の記憶に残っている映像です」
「次の水晶魔女は、生まれた直後に水晶の精霊に選ばれるのじゃなかった?」
 見ていたアントニーナが不審そうに眉を寄せた。
「いいえ。精霊は何も選びませんよ。水晶という鉱物に意味を持たせるのも力を見出すのも、所詮は人間の都合ですからね。水晶魔女自らが次の代を選ぶのです。まだこの世に生まれ出でる前の赤子を水晶魔女が祝福し、その中の一人だけに(しる)しを与えるのです。他の誰にも判らない印しを。この重要な年の水晶魔女は『言少(ことずく)なのガリーナ』と呼ばれていたわね」

 映像が一人の魔女を映し出した。
「オーリガ叔母様?」
 アントニーナの声に反応し、オーレグは身を乗り出して映像を間近で見ようとした。記憶にあるより若いが、確かに亡き母、オーリガに似ている。
「母さん……?」
 そこに居ないとわかっていながら、思わず映像に手を伸ばしてしまう。だがその手は当然ながら、誰の体温にも触れることなく空を掴むしかなかった。
「座っていなさい。集中が乱れます」
 ガートルードは目を閉じて静かに言い、乱れた映像を再び立ち上げた。
「でもママ、生まれてくる子が魔女とは限らないでしょう。ほら、オーリャは男の子だったし。それに誕生を阻むって、まさか」
「恐ろしげなことを考えるのではありませんよトーニャ。ええ、その年に生まれる子全員の魂を抜いてしまえば、簡単だったでしょうけどねえ」
 魂を抜くという言葉を聞いて、オーレグは思わず自分の鼻と口を庇った。ガートルードはこういう悪魔のような言葉を平気で言う。

 その間にも儀式は滞りなく終わり、魔女たちがそれぞれに帰途に就く。オーリガもその人波に紛れ、ガートルードと目を合わせることもなく去っていく。が、そのお腹に一瞬だけ、水晶の結晶型をした光が灯ったように見えた。
「え、まさか」
 アントニーナが目を見張った。
「そのまさかですよ。あの光はあとから私がイメージとして加えたものですけどね」
 ガートルードは亡き妹の映像をじっと見ながら言った。
「ようは、魔女が生まれなければ良いのです」
「どういうこと?」
「鈍いわね、あんたの母さまが印しを貰ったって言ってるのよ。ちょっと黙ってて」
 いらいらとオーレグを叱ったアントニーナは、それで? と話の先を急いた。
「オーリガは若くして賢女称号を得るほど優れた魔女でした。将来の自分の子の性別くらい、結婚前から決めていましたよ。だからこそ『賢しのガリーナ』は、密かにオーリガに託したのです。『どうか将来生まれる貴女の息子に印しを授けさせてほしい、そしてその子が生まれて十三年後、必ず水晶魔女の歴史を終わらせてほしい』と」
「ええっ、じゃ、僕……」
 戸惑うオーレグに、ガートルードは皮肉な笑いを浮かべて言った。
「そうですよ、次の代の水晶魔女はお前になるはずでした。お前は男の子だから、何の影響もないでしょうけどね」
「そんなバカなことって!」
 アントニーナが天井を見上げた。

「この年の水晶魔女には『賢しのガリーナ』の願いを、確実に実行に移していただかねばなりません。手紙すら残せない中で、どう託すか。それが一番の課題でした。オーリガはその願いを壁の絵に紛れ込ませた」
「壁の絵?」
「そう。ブラスゼムにある屋敷で、歴代の水晶魔女が使っておられた寝室の枕元には、古い絵がありました。その絵を修復するために、一度だけ外部に出したことがあるのです」
「伯母さま、まさかその絵を修復したのって……」
「そうです。オーリャの父、絵師のシウン。なんの地位も、財力も、姓すら持たない東洋人の男!」
 吐き出すように言って、ガートルードは目を閉じ、息をついた。突然父の名を出されたオーレグは言葉もなく、ただ話の続きを待つしかない。
「でも、シウン叔父さまは魔力がない普通の人だったってママは言ってなかった?」
「ええ。だからこそリュドミーラはじめ魔女達の目を欺くには適任だったのでしょうね。とにかくオーリガは、シウンの絵に願いの言葉を紛れ込ませた。毎夜毎夜語りかけ、次の水晶魔女選びの際に、間違いなく自分のお腹の子を選ぶよう、深い意識にすり込むためにね」
 足下が崩れるような思いがして、オーレグはふらつきそうになった。けれどガートルードの言葉は続く。
「『言少なのガリーナ』はその呼び名のとおり、無口でおとなしい方でした。まさか次の代を選ぶという重要な儀式で、しかもリュドミーラはじめ大勢の魔女が見守る中で、堂々と偽りを成してみせるとは誰も、ガリーナ様ご本人も思わなかったことでしょう。実行した妹も豪胆ですけれど」
「なんてこと……もしもバレたらどうするの? オーリガ叔母様は、ううんシウン叔父さまだって無事じゃ済まないはずよ」
 両手で頬を押さえ、アントニーナは蒼白になっている。

「水晶魔女の言葉を疑う者なんていない」
 ぽつりとオーレグが呟いた。
「ガーリャが言ったんだよ。水晶魔女ってね、本当は悪ガキなんだ。僕の知っているガーリャがそうなんだから、『賢しのガリーナ』だってきっとそうなんだ」
 言いながら、オーレグはクッと笑った。可笑しいのではない。妙に悲しかった。けれど笑わずにいられなかった。
「そうだよ。人を利用して、何年も何年も嘘を隠しとおすなんてさ。魔女なんてやっぱり嘘つきなんだ。母さんだって、伯母様だって、ガーリャも……」
 自分でもわけのわからない感情を持て余すうち、痙攣したような笑いが喉にせりあがり、同時に涙が滲んできた。止めようとしても過呼吸のような

は止まらない。オーレグは両手で顔を押さえた。
 決められていた。生まれる前から、大人たちに勝手に役割を決められていた。まるで盤の上の手駒だ、自分もあの子も。
 『終焉のガリーナ』と呼ばれた、淡く光に透けそうな少女の顔が目に浮かぶ。あの子は自分が最後の水晶魔女だと知っていたのだろうか。
 「オーリャ」
 アントニーナの手が両手に重ねられる。オーレグはそれを振り払い、地面に向けて叫んだ。小さな雷のような、身をよじって吠える獣のような声だった。
 何度も叫び、地団駄を踏み、叫び疲れ、やっとのことで呼吸を整えると、ガートルードの仮面のような顔を睨みながら彼は言葉を継いだ。
「母さんは僕のこと、水晶魔女を終わらせるのに都合がいいから生んだの? それとも約束がなくても生んだ? 1927年じゃなくて他の年に生まれて、使えない子だとしても……生んだ?」
 伯母はオーレグの両肩を押さえて静かに言った。
「お前の誕生を利用したことは、私たちの罪です。怒りならいくらでも私に向けなさい。けれどこれだけは覚えておきなさい。オーリガは、シウンとの子を……おまえという命を生みたいと願った、だから生んだ。そこに嘘はない。水晶魔女との約束とか、何年生まれとか、本来なら何の関係もなかったはずです」
 ガートルード伯母の瞳の奥に、少しだけ隙が見えた。閂の魔法が外れかかっている。頑丈な心の扉の向こうに見え隠れしているのは、ガートルードの悲しみか、記憶か。
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