食堂。
この机ではもう皿は空け、ただコーヒーを飲む少時間になっていた。
というかさ、休みっつって訓練休んでも、他にやることあんの?
つーかそもそも動きがそんな痛くなさそうだよなあ。
…どうなの?
すごく疑う目をされた。おめーが聞いてきたのになぜ疑われなければならないのだ。
しかし、「安静にする」が確かに自分には十分に罰になるわけだが、改めてその時間を何に使えばいいのかと聞かれると何もすることがないな…。部屋で模擬訓練するか?いや、絶対叱られる。万一怪我が裂けたらバレる。
…真面目にどうしよう…。
食堂を出、部屋へ向かう。扉の前まで来たところで、ザースはそのまま歩いてゆく。
と声援を返す。
そしてラギーは部屋へ入っていった。
突然脇腹に激痛が走り、右側に重心が寄る。そのまま正面からベッドに倒れこんだ。必然的に息が荒くなり背中を丸める。いやな汗が止まらなくなる。
数分このままうずくまっていた。そのうち耳鳴りのように治まり落ち着く。息を整えてベッドに座りなおす。
しかし一体どうして突然激痛に襲われたのだろうか。脇腹が痛くなったところからすると根本的な原因としては明らかに昨日の刀なわけだが。毒でも塗られていたのだろうか。ここまで時間差で出るものなのかは疑問だが。
そういえばメデゼン救長にはこまめに診せにくるといいとか言われていた気がする。しかし今が初めてだったからまだいいだろうか。たまたまだったのかもしれない。
…いや、もう一度あの痛みを体験するかもしれないと考えれば行っておいたほうがいいのだろうか…。治療室に行くまでにもう一回なったら最悪だけど…、この時間じゃ館内を歩いている人もそんなにいないか…。
覚悟を決めて立ち上がる。少しふらりとした。多少おぼつかない足取りであったが、扉へ向かう。開ける前に深呼吸。
扉を開き外へ出る。万が一人に出会ったとしてもそんなに心配されないように普通のフリを心がける。
―――そしてなんとか途中で発作(と名付けておいた)が起こることなく治療室の前まで辿り着くことができた。
扉のチャイムを押す。
正直に貴方がこんな早く診せに来るとは思わなかったわ。
…何かあったの?
さすがにしっかり性格を捉えられているし察しが良かった。
いや…なんか急に脇腹の傷が痛くなったりして…。
さっき一回なったっきりなんですけど…。
メデゼン救長は顎に手をやり、まさに考え込む、というポーズをしながら唸っていた。
座って、というようにメデゼン救長の机の前にある丸椅子を指した。
座り、腹部の包帯を外してゆく。ほどきながらメデゼン救長は独り言のように話し始める。
内側に広がっていっている可能性も皆無とはいえない。
前提としては刀に何か塗られてるとして、このケースでは極低よ。
そのあたりの考え方は病気と同じね。
でも刀からと考えれば、異物を直接体内に入れられている。
でもあなた、話からすれば切られた後でも結構活発に動いていたんでしょ?
異物を取り込めば通常の傷以上の痛みが走るはずなんだけどね…。異端に異常を取り込んでも変化しないってことかしら。
さらっととんでもない暴言を吐かれた気がしたが気にしないことにした。
そしてメデゼン救長は傷跡に視線を戻す。
ケガ自体変化なし、問題なしね。
その突然の痛みが襲わない限りは生活に支障がない…かしら。
はい、おそらく。
でも痛み自体さっきの一回きりだったかもしれないんでなんともですけど…。普通に生活しようと思えばできると思いますよ。
「思えば」になんとなく引っかかったが、軽く受け流した。
というか、治療院に入ってもらおうかしら。
それならいつでも診れるし。
速攻ツッコミが返ってきた。それでもラギーはくじけない。
…とうに無理よ。
強制。本来あなたのケガ自体院行きなんだから…。
浮遊端末を開いて項目を埋めてゆく。ラギーは大人しく眺めていた。抵抗しきらないと思ったのだろう。
そこで再びチャイムが鳴る。さっきと同じように返事をして入室を促す。
丸椅子から立ち上がり抜けようとする。が咄嗟にメデゼン救長も立ち上がり、片手を机につけながらもう片手で服を摑まれた。
逃げ出すために扉側へ向けていた顔を、メデゼン救長へ向けた。
がっくし頭を下げられた。
数秒見合った。
なんだか見覚えがあるような気もするが細かくどこで出会った人なのか分からないので、おそらく会ってない…。
なぜか向こうには覚えがあったらしい。適当に合わせて声を出してみる。
メデゼンは呆れたように首を振った。
エナは顔を真っ赤にして次の言葉を探した。
メデゼン救長が間を割って入ってくる。ラギーとエナの表情を見た後、深々としたため息をついた。
どこの記憶を探っても彼女らしい情報が見当たらないのだが…。
脳内…頭をフル回転させて探る。なんだか引っかかりそうで引っかからないぞ…。
その間、エナは本当に自分の記憶が合っていたのか不安になってきていた。その表情を察したのかメデゼンが説明を加える。
まぁまぁ。
目標の顔をしっかり認識してなかったんだってとこは証明されたわね。
ラギーは嫌な予感がした。特定はできないが、雰囲気的に。
でも、資料はきちんと見てたんでしょ?
なら、彼女の名前ぐらいはわかるでしょう?
やな汗もでてきた。しかしここまできて簡単に引き下がるわけにもいかない。プライドとして。もしかしたらなんとなくで答えても当たっているかもしれない…。
不正解という合図を出すだけで、次を促すような間になった。仕方がないのでもう一つテキトーに考える。
最初の回答から意外と覚えてる説を期待して解答権を渡したがさらに離れていったため止めた。しかしなぜか二回答とも頭文字「エ」から離れなかったのが少し引っかかった。脳内には少し残っていたのだろうか。というかきちんと資料を見たっていうのはあながち間違いではなかったのだろう。
おそるおそるラギーはメデゼンのほうを見る。そしてエナを指差しながら聞いた。
服を掴んでいない空いている方の手で左の耳たぶを強く引っ張る。
ラギーはバランスを崩し左手を机に付いた。耳元で大きく息を音が聞こえて、死を覚悟した。
衝撃を受けてはっきりとは使えていない耳を使いながらおぼろげに声を聞き取る。
メデゼン救長はため息をついた。
日本軍の隷輪(目印)なんていつ爆発するか分からないんだから…。
それが外されているせいですぐに誰かわかりませんでした。
あなたの「すぐ」は数分なわけ?
…まあ実際、動力として力を引き出すために色々組み込まれてただけだったらしいけど。物を使ってそんなことをするなんて、技術の遅れを明らかにしたわね。
メデゼン救長は一度ため息をついて、空気を改める。目線をエナへ変える。
大体理解したが、結局関係がない気がし始めていた。そこで急に自分の名前を呼ばれたためそれらしい自己紹介がすぐに出てこなかったのでテキトーに返事をする。
エナはなるほどと頷き、ラギーへ目を向ける。そして軽く一礼をした。
足を小刻みに動かしながらラギーの正面へ歩く。なぜかスカートを軽くはらい、改まった姿勢であると表した。
そして次は深く頭を下げた。そしてこちらに聞こえるほど息を深く吸った。
そして数十秒沈黙した。その間彼女は腰を曲げたままだった。頭に血が上りそうだと密かに思った。
自分が何か言うべきかと思い、言葉に迷う。むしろこちらが助かったところがあったと思ったんだが。
シャツの背を引っ張る力が少し強まった。ずっと前屈みだったため軽く上半身が垂直に近付く。
この子はラギーとは比べものにならないほど純粋だったってコトよ。
こら。
お礼を言ってもらったら素直に返事をするべきよ。
本格的な幼児化ね。と無駄でとんでも失礼な一言を付け加えて自分に発言を促す。
でも――…、そんなお礼を言われるほどの事してないんすけど…。
満面の笑み。嘘偽りでないことを雰囲気全てを支配して表現しているようだった。押し負ける。
これ以上反論する言葉も見つからない。
突然エナが声を上げる。慌てて出口へ向かう。
ドアの前でこちら側を向き、再びお辞儀をする。
ラギーは彼女の出たドアを指差してメデゼンに言う。
人材を最大限まで活用するための重要な選択。
軍の最善策はいつもこれよ。
当然のことというように淡々と話す。
しかしもう何が言いたいかまた察し、渾身の嫌悪感を表情にさらけ出す。
ルームメイトは保護者じゃないわ…。
さっぱり諦めなさい。
そして人差し指を伸ばした状態を維持しながら、再び表示させた液晶に指を滑らせる。目線を下に向けながら言葉は確実にこちらに向けてくる。
今更完全に手遅れだが、痛みを申告したことを後悔した。
お望みなら何人だって女性の看護師はつけられるけれど――…。
不思議なところで間を空けた。
しかし女性という言い方に引っかかったが、自分はそんな奴に見えるのだろうか。
あなたと常時居させたら、翌朝ぐらいには体にしか興味のない殺人鬼のように、あなたは真っ赤なベッドで寝ているんでしょうね。
侮も辱もないわ。ただあなたの日ごろの行動を比喩しただけよ。
…ふむ、たしかにラギーには一般男性のような趣味は感じ取れない…。
どうやっても信憑性のない言い回しで返ってきた。あいまいな相槌を打った。
突然刺すような。
教師が生徒を静かに叱るような、そんなふうに名前を呼ばれた。
この雰囲気の質問にしてはさっきからと別段変わりのない質問をされたため、拍子抜けした。
じゃあ貴方の「暇じゃない時間」は軍人として訓練や実戦に参加している時?
つまり貴方は、
自分のケガがどうこうよりも、他人〈敵〉を殺す手段の強化に時間を費やしたい…ワケ?
じっとこちらを見据えていた視線を下の端末に移した。難しげなド真面目対話は終了したらしい。「…そ。」となんでもないような返事をした。
なんでも。
とにかく、完全に大丈夫だと判断できるまでは入院よ。
念の為後で再度精密検査ね。ザースには私から話しておくわ。
懲りずにまたラギーの声を無視して説明を続けた。
いつの間にかシャツの背を引っ張っていた手は離していたらしい。しかし今更逃げようとしたところでもうどうにもならないことは流石に察していた。大人しくメデゼン救長の指示に従うことにした。