第35話4

文字数 730文字

……湯気でよく見えねェな

 既に窓枠を陣取っていた人物の呟きが耳に入った。

 男性は風呂に入らず二階へ来たらしく服をしっかりと着こんでいる。年の頃は三十ぐらいだろうか。手入れの悪い蓬髪を無理矢理撫でつけていた。

 袖口や袴の裾から見えている手足に十分な筋肉が付いているから町人ではなく武士なのかもしれない。

 左手首にはカラフルな数珠のようなものをつけている。ああいうのがこの世界ではおしゃれなのだろうか。

ここからなら風呂の様子が見られると思ってわざわざ来たっていうのに、まったく見えねェじゃないですかい

 未練がましく体を乗り出して一階を見下ろしている。

 そんなに必死になってまで見たいものなのかなあ。武士だと体裁とかあるのかもしれないけど。

 見られないのならわざわざ覗きに行くこともないだろう。

 ……別に悔しいとか残念とか思ってないからね?

ずず……ふう。

まったりできていいなあ

 外を見ると空が赤くなり始めていた。そろそろ二人も出てくる頃合いだろう。お茶を飲み終えて下に降りる。

 外で道行く人たちを眺めながら待っていると暖簾をくぐって二人が出てきた。

ごめんごめん、待たせちゃったかな
僕も出てきたばかりだよ
主様。銭湯はいかがでしたか
なかなかよかったよ。

葵は二階に行ってたそうだけどどうだった?

お茶とお茶菓子をいただきました。

美味しかったですよ

 そういえばお菓子の張り紙もあったな。次に来た時は購入しよう。何事も経験だ。

 美味しそうな匂いが漂ってくる。匂いに釣られて盛大に腹の虫が鳴いた。

よかったら食事していかない? 

葵もどう?

はい。お付き合いいたします
澪は?
いいわよ
じゃあ、澪のおすすめのお店があったらそこに行こう
いいわよ、任せておいて。

安くておいしいお店が近くにあるの

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登場人物紹介

不吹清正(ふぶき・きよまさ)

本作の主人公で元の世界ではゲームクリエイターをしていたが、自分の作ったゲームによく似た世界へ微妙に若返りつつ転移してしまう。

好奇心旺盛な性格で行動より思考を優先するタイプ。

連れ合いの機巧姫は葵の君。

葵の君(あおいのきみ)

主人公の連れ合い(パートナー)である機巧姫。髪の色が銘と同じ葵色で胸の真ん中に同色の勾玉が埋め込まれている。

人形としては最上位の存在で、外見や行動など、ほとんど人間と変わりがない。

主人公のことを第一に考え、そのために行動をする。

淡渕澪(あわぶち・みお)

関谷国の藤川家に仕える知行三百石持ちの侍で操心館に所属する候補生の一人。水縹の君を所有しているが連れ合いとして認められてはいない。

人とは異なる八岐と呼ばれる種族の一つ、木霊に連なっており、癒しの術を得意とする。また動物や植物ともある程度の意思疎通ができる。

大平不動(おおひら・ふどう)

操心館に所属する候補生の一人で八岐の鬼の一族に連なる。

八岐の中でも鬼は特に身体能力に優れており、戦うことを至上の喜びとしている。不動にもその傾向があり、強くなるために自己研鑽を怠らない。

直情的で考えるより先に体が動くタイプで、自分より強いと認めた相手に敬意を払う素直さを持つ。

紅寿(こうじゅ)

澪に仕える忍びで、八岐に連なる人狼の少女。オオカミによく似たケモノ耳と尻尾を有している。

人狼の身体能力は鬼と並ぶほど高く、その中でも敏捷性は特に優れている。忍びとしても有能。

現在は言葉を話せないもよう。

翠寿(すいじゅ)

澪に仕える忍びで、紅寿の妹。人狼特有のケモノ耳と尻尾を有する。

幼いながらも誰かに仕えて職務を果たしたいという心根を持つがいろいろと未熟。

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