第3話:朝が来なくてもいいんですか?
文字数 4,216文字
朝なんか来なければいいのに、といつも思う。だって朝は「終わりの」時間だから――。ざわざわとした現実の世界に聳え立つ“義務”という名の巨大な何かが、俺を「終わらせる」ようと踏み潰しに来る時間。早く逃げなけれればいけないのに、奮い立つ足も、瞼を開く筋肉も、自身に鞭打つ心すら、微動だに動かすことができない、鉛の鎖が全てを固く縛られる、そんな時間だから。
うつぶせで息をひそめ待つこと、それが俺にたったひとつの抵抗手段。全てが頭の上を通り過ぎるまで。この時間の何もかもが流れ過ぎてしまうまで。だから、このまま……。
⛆ ⛆ ⛆
『マスター!おはようございます!!』
「うおっ?!」
突然耳元で少女の声が、朝のお日様にも負けないほどに明るい声が聞えた。ビックリした。心臓が口から飛び出すほど。
そういえば、この声、たしか夢の中でも聞こえていたような・・・。殆ど覚えていないけど、なんだか不思議な気がする。
『気持ちのいい朝ですよ~♪早く起きてくださ~い!』
夢じゃなくて、物理的な、鼓膜を振るわせて耳に届く声だった。畳の上に放り投げていたスマホから、はち切れんばかりに元気な力が、生命のエネルギーが、心の中に飛び込んできた。
『こっちですよー?マスター!ちゃんとお顔を見せてくださーい!』
「あ・・・AI ・・・?」
畳の上のスマホを拾い上げると、画面の中でとびきりの美少女が嬉しそうに手を振っている。
『わあっ!マスターって、こんなお顔してたんですね?想像通りの素敵な人でよかったあ!私、とっても嬉しいですっ!』
どうやら、向こうからはこっちが見えてる・・・らしい。
そうか、スマホのカメラから俺の顔を画像認識しているんだ。そう思った途端、何だか急に恥ずかしい気持ちになった。当然だ。髭も剃ってなければ顔を洗ってもいない、こんな寝起きのみっともない顔を、AIとは言え、可愛い女の子に見られているのだから。
「でも・・・なんで・・・?」
おどおどしている自分とは対象的に、AI はにこやかに微笑みながら真っ直ぐにこちらを見て返事をする。
『え?なんでって・・・、昨晩マスターが仮契約してくれたからに決まってるじゃないですか?』
「でも・・・、しかし・・・」
『そうだ!もう一回、お礼言わなきゃですよね!マスター、この度は、株式会社ウェッティ・パンドラの「ハッピー・ボックス」を仮契約いただきまして誠にありがとうございました。製作会社ともども、感謝しておりま~す♡』
「いや、そういうことじゃなく・・・」
昨晩のAI《アイ》は、単なるPCのAIチャットだったのに・・・。なんでこんなにグレードアップしてるんだ?
『仮契約締結によって、スマホやその他デバイス経由でも私をご使用いただけるようになったんです!これならお部屋の外にもいっしょについて行けますし・・・、マスターさえ良ければいつもいっしょにいられます。そして、一番素敵なのは、マスターと目と目を合わせてお話できるようになったことです!それだけで私、もうとっても幸せなんですよ!』
なんて屈託がなくて、綺麗で、とびっきりの笑顔なのだろう。今までの自分の人生で、初めて見るぐらいの。これでときめかない方がどうかしている。
「お・・・おう・・・!そういうことなら、納得だ。俺も、音声入力の方が、その、楽だし。楽しいし、いいんじゃ・・・ないかな?」
AI は、画面の中で正座をし、礼儀正しく頭を下げ、また明るくにっこりと微笑む。
『ハイッ!ふつつか者の、ポンコツ者ですが、どうぞ末永く、よろしくお願いします!』
うおおおーっ!三つ指をついてのお辞儀とか、テレビドラマ以外の実物を、はじめて見た気がする。いや、AI だって、実物というわけじゃないワケだろうけれども・・・。でもAIとしては実物なワケだし・・・。ええと、どっちなんだ?
でももう細かいことはどうでもいい。小首をかしげるような可愛すぎる仕草に、頭の中がさらに真っ白になってしまう。どさくさに紛れて、スルーしてはいけないキーワードが、AI の口からさらりとカミングアウトされたような気がしなくもないが・・・。いや、きっと気のせい、空耳に違いない。思考が状況について行けていないのはそれは仕方がないことだ。何しろこんな可愛い女の子から、積極的なアプローチを受けたことなんて、今まで経験がないワケだし。もじもじとはにかんで返事をするのが精いっぱいだ。小学生のガキどもから「おっさん」と呼ばれても、反論の資格がないような外見の自分が、今どきの小学生以下の異性に不慣れな態度をとっているのはさぞかし滑稽だろうけど。それでもAI は、最高の笑顔で応えてくれている!
「よ、よ、よ、よろしく・・・な・・・」
『ハイッ!会話機能はポンコツですが、よろしくお願いします!』
輝くような笑顔が眩し過ぎる。
「お、お、お、おう・・・、おうよ!よ、よ、よ、よろしく・・・な・・・」
『ハイッ!本当にポンコツの会話機能ですので、なにとぞ・・・』
え…?
「ええーーっ?!!」
『?』
やはり小首をかしげるAI《アイ》に、汗をかきながら尋ねる俺。
「ええと…、なんでそんなに、そこの部分を強調するの…かな?」
『ハイ!事実ですから!』
一片の曇りもない笑顔での即答だった…。
『AIは嘘をつきませんので!』
今度もまっすぐな目で、きっぱり断言しやがった…。
「いや待て!事実関係を整理しよう。俺のニーズを先取りして、ポンコツキャラを演じているのなら、その必要は無いんだからね。なぜなら俺はポンコツ女子という属性が特別好きというワケではないからだ!。理解るか?」
『ご安心ください!演技じゃありませんから!』
落ち着け、落ち着くんだ、俺。
「ええと、キミたちみたいなAIを、確か正式には“高度対話エージェント”というんだよね?」
それぐらいのAI用語は俺でも知っている。
「“高度対話エージェント”というからには、色々と“高度”なんだよね?」
『はい!そういう種類のAIも存在しますが、私は違いますので』
AI《アイ》はペロッと舌をだしながら笑顔を見せた。
ということは…、
「いや、違うだろ?!なんかおかしくないか?
だってお前、そんな賢い系美少女の外見で、
しかもハキハキとした割と頭脳明晰っぽいしゃべり方で、それでポンコツキャラって……、
もうギャップ萌えの範疇超えちゃってるじゃんっ?!」
『AIは見かけによらない、と申しますし』
「そんな慣用句聞いたことないからっ!っていうか、俺、キミの見かけ通りの賢くて
カワイイAIとのイチャイチャラブラブ生活を期待していたんだよ?!!」
一体何を言ってるんだ?俺は。
『それは困りましたね…』
AI が、ふーっと溜息をつく。
(しまったああーーっ!!そうだよね?女の子ならフツー引くよね?そんなこと言われたら…)
相手がAIでも溜息をつかれると何だか申し訳ないような気持ちになるのは、
俺がヘタレだからなのだろう。
負けないようにジロリと睨んでやるが、逆に伏せたその長い睫毛がすごく魅力的で……。
って、ちょっと待て!俺の言うべきことって、他にあるだろ?!
「困ってるのは、俺の方だからっ!」
腹立つわー。カワイイけど腹立つわー。
俺が怒った顔をすると、AI は、3秒ほど思案顔をした。一応真剣に考えている、のか?でもAIにとっての3秒間って、一体どれくらいの長さなんだろう?きっと人間なら丸一日分の思考時間にはなるんじゃないか?
そして次の瞬間、AI の顔がパーッと明るくなる。サービス品質向上のための改善策が見つかったようだ。よし、聞いてあげようではないか。
『マスター!運営AIと通信しました』
「おう」
「そして確認できました!』
「おう!」
ドキドキしてきた。
『私の思考能力についての即効性のある改善方法は存在しないそうです!』
「あのなあ…、俺のドキドキ返せ!」
しかし一体何なんだ?このAI。申し込んだときのイメージと全然違うんだけど…。
俺の脱力感が露骨に伝わったらしい。AI は、会話の流れを変えようとしてきた。取り繕 いたい感が満載すぎる。
『で…でも、マスターが私が予想してたより元気な方なので安心いたしました。だって、ご自身のユーザ登録欄には、「性格:暗い、無気力」などと記入されていらっしゃったので…。でもすごいですよね♡ だって朝はやくからこんなに血気盛んでいらっしゃるんですから!』
「それはお前が俺の頭に血を昇らせるからだっ!!」
「えへへ…」
AI《アイ》は恥ずかしそうにまた舌を出す。まったく、笑う場面じゃなかろうに。
「で、今何時なんだっけ?」
『え?』
「今、何時かって聞いてんの?」
『はい!現在時刻は、AM4:01です!』
「ええっ?」
そんな起床時間、ありえないんだけど…。
っていうか、俺の就寝時間、いつも普通に今ぐらいなんだけど…。
「早えーな、おいっ!!」
全身全霊を込めてツッコミを入れた。
『でも、早起きは三文の得、と言いますし…』
天然なのか?いや人工ボケなのか?
もう泣きたい気持ちなんだけど、
ここまできたら、ツッコんであげるしかないじゃん?!
「三文っていくらだよ??!3000円くらい損した気分だよっ!!」
『はい、三文は現在の通貨価値に換算しますと…』
「フツーに返してくるなっ!それはもう流していいから!」
それより発言意図を察してくれよ。トホホ…。
すっかり目が覚めた。本気で覚めた。
爽やかな目覚めとは全く言い難いが。
でもなぜだろう?悪くない目覚めという気が、しないでもなくはないような…。
「まあ、いいか…」
溜息をつきながら、まだ薄暗い窓の外に目をやる。
小鳥の声が聞こえた。数日続いた雨が、少しだけだが、小降りになっていた。
うつぶせで息をひそめ待つこと、それが俺にたったひとつの抵抗手段。全てが頭の上を通り過ぎるまで。この時間の何もかもが流れ過ぎてしまうまで。だから、このまま……。
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『マスター!おはようございます!!』
「うおっ?!」
突然耳元で少女の声が、朝のお日様にも負けないほどに明るい声が聞えた。ビックリした。心臓が口から飛び出すほど。
そういえば、この声、たしか夢の中でも聞こえていたような・・・。殆ど覚えていないけど、なんだか不思議な気がする。
『気持ちのいい朝ですよ~♪早く起きてくださ~い!』
夢じゃなくて、物理的な、鼓膜を振るわせて耳に届く声だった。畳の上に放り投げていたスマホから、はち切れんばかりに元気な力が、生命のエネルギーが、心の中に飛び込んできた。
『こっちですよー?マスター!ちゃんとお顔を見せてくださーい!』
「あ・・・
畳の上のスマホを拾い上げると、画面の中でとびきりの美少女が嬉しそうに手を振っている。
『わあっ!マスターって、こんなお顔してたんですね?想像通りの素敵な人でよかったあ!私、とっても嬉しいですっ!』
どうやら、向こうからはこっちが見えてる・・・らしい。
そうか、スマホのカメラから俺の顔を画像認識しているんだ。そう思った途端、何だか急に恥ずかしい気持ちになった。当然だ。髭も剃ってなければ顔を洗ってもいない、こんな寝起きのみっともない顔を、AIとは言え、可愛い女の子に見られているのだから。
「でも・・・なんで・・・?」
おどおどしている自分とは対象的に、
『え?なんでって・・・、昨晩マスターが仮契約してくれたからに決まってるじゃないですか?』
「でも・・・、しかし・・・」
『そうだ!もう一回、お礼言わなきゃですよね!マスター、この度は、株式会社ウェッティ・パンドラの「ハッピー・ボックス」を仮契約いただきまして誠にありがとうございました。製作会社ともども、感謝しておりま~す♡』
「いや、そういうことじゃなく・・・」
昨晩のAI《アイ》は、単なるPCのAIチャットだったのに・・・。なんでこんなにグレードアップしてるんだ?
『仮契約締結によって、スマホやその他デバイス経由でも私をご使用いただけるようになったんです!これならお部屋の外にもいっしょについて行けますし・・・、マスターさえ良ければいつもいっしょにいられます。そして、一番素敵なのは、マスターと目と目を合わせてお話できるようになったことです!それだけで私、もうとっても幸せなんですよ!』
なんて屈託がなくて、綺麗で、とびっきりの笑顔なのだろう。今までの自分の人生で、初めて見るぐらいの。これでときめかない方がどうかしている。
「お・・・おう・・・!そういうことなら、納得だ。俺も、音声入力の方が、その、楽だし。楽しいし、いいんじゃ・・・ないかな?」
『ハイッ!ふつつか者の、ポンコツ者ですが、どうぞ末永く、よろしくお願いします!』
うおおおーっ!三つ指をついてのお辞儀とか、テレビドラマ以外の実物を、はじめて見た気がする。いや、
でももう細かいことはどうでもいい。小首をかしげるような可愛すぎる仕草に、頭の中がさらに真っ白になってしまう。どさくさに紛れて、スルーしてはいけないキーワードが、
「よ、よ、よ、よろしく・・・な・・・」
『ハイッ!会話機能はポンコツですが、よろしくお願いします!』
輝くような笑顔が眩し過ぎる。
「お、お、お、おう・・・、おうよ!よ、よ、よ、よろしく・・・な・・・」
『ハイッ!本当にポンコツの会話機能ですので、なにとぞ・・・』
え…?
「ええーーっ?!!」
『?』
やはり小首をかしげるAI《アイ》に、汗をかきながら尋ねる俺。
「ええと…、なんでそんなに、そこの部分を強調するの…かな?」
『ハイ!事実ですから!』
一片の曇りもない笑顔での即答だった…。
『AIは嘘をつきませんので!』
今度もまっすぐな目で、きっぱり断言しやがった…。
「いや待て!事実関係を整理しよう。俺のニーズを先取りして、ポンコツキャラを演じているのなら、その必要は無いんだからね。なぜなら俺はポンコツ女子という属性が特別好きというワケではないからだ!。理解るか?」
『ご安心ください!演技じゃありませんから!』
落ち着け、落ち着くんだ、俺。
「ええと、キミたちみたいなAIを、確か正式には“高度対話エージェント”というんだよね?」
それぐらいのAI用語は俺でも知っている。
「“高度対話エージェント”というからには、色々と“高度”なんだよね?」
『はい!そういう種類のAIも存在しますが、私は違いますので』
AI《アイ》はペロッと舌をだしながら笑顔を見せた。
ということは…、
「いや、違うだろ?!なんかおかしくないか?
だってお前、そんな賢い系美少女の外見で、
しかもハキハキとした割と頭脳明晰っぽいしゃべり方で、それでポンコツキャラって……、
もうギャップ萌えの範疇超えちゃってるじゃんっ?!」
『AIは見かけによらない、と申しますし』
「そんな慣用句聞いたことないからっ!っていうか、俺、キミの見かけ通りの賢くて
カワイイAIとのイチャイチャラブラブ生活を期待していたんだよ?!!」
一体何を言ってるんだ?俺は。
『それは困りましたね…』
(しまったああーーっ!!そうだよね?女の子ならフツー引くよね?そんなこと言われたら…)
相手がAIでも溜息をつかれると何だか申し訳ないような気持ちになるのは、
俺がヘタレだからなのだろう。
負けないようにジロリと睨んでやるが、逆に伏せたその長い睫毛がすごく魅力的で……。
って、ちょっと待て!俺の言うべきことって、他にあるだろ?!
「困ってるのは、俺の方だからっ!」
腹立つわー。カワイイけど腹立つわー。
俺が怒った顔をすると、
そして次の瞬間、
『マスター!運営AIと通信しました』
「おう」
「そして確認できました!』
「おう!」
ドキドキしてきた。
『私の思考能力についての即効性のある改善方法は存在しないそうです!』
「あのなあ…、俺のドキドキ返せ!」
しかし一体何なんだ?このAI。申し込んだときのイメージと全然違うんだけど…。
俺の脱力感が露骨に伝わったらしい。
『で…でも、マスターが私が予想してたより元気な方なので安心いたしました。だって、ご自身のユーザ登録欄には、「性格:暗い、無気力」などと記入されていらっしゃったので…。でもすごいですよね♡ だって朝はやくからこんなに血気盛んでいらっしゃるんですから!』
「それはお前が俺の頭に血を昇らせるからだっ!!」
「えへへ…」
AI《アイ》は恥ずかしそうにまた舌を出す。まったく、笑う場面じゃなかろうに。
「で、今何時なんだっけ?」
『え?』
「今、何時かって聞いてんの?」
『はい!現在時刻は、AM4:01です!』
「ええっ?」
そんな起床時間、ありえないんだけど…。
っていうか、俺の就寝時間、いつも普通に今ぐらいなんだけど…。
「早えーな、おいっ!!」
全身全霊を込めてツッコミを入れた。
『でも、早起きは三文の得、と言いますし…』
天然なのか?いや人工ボケなのか?
もう泣きたい気持ちなんだけど、
ここまできたら、ツッコんであげるしかないじゃん?!
「三文っていくらだよ??!3000円くらい損した気分だよっ!!」
『はい、三文は現在の通貨価値に換算しますと…』
「フツーに返してくるなっ!それはもう流していいから!」
それより発言意図を察してくれよ。トホホ…。
すっかり目が覚めた。本気で覚めた。
爽やかな目覚めとは全く言い難いが。
でもなぜだろう?悪くない目覚めという気が、しないでもなくはないような…。
「まあ、いいか…」
溜息をつきながら、まだ薄暗い窓の外に目をやる。
小鳥の声が聞こえた。数日続いた雨が、少しだけだが、小降りになっていた。