第39話 安倍弥琴という男4
文字数 1,820文字
風に吹かれたハルは、地面へ吸い寄せられるように、木々の枝を折りながら落ちました。その時、とっさの判断で元の狐の姿に戻ったのが幸いし、上手に受け身をとることができたおかげでハルは大きな傷を負わずに済みました。
「ううっ、枝で目を刺してしまいました」
ゆっくりと体を起こして、左眼から流れる赤い血を前足で拭いて舐め取り、周りを見渡しました。薄暗い中、少し離れた北側になにやらぼんやりとした灯りが見えるので、そこまで歩きました。
そこは小さな神社で、手前に置いてある大きな二匹の狛犬の石像が異様な雰囲気を醸し出していました。
ハルが鳥居の前で頭を垂れると、狛犬の四つの眼 がハルを睨みつけました。
「狐や」
「狐や」
「何か用か?」
「何の用か?」
「白狐のハルと申します」
「なんや、礼儀正しい狐やな。でも顔色悪いで。我は『ギンガ』や」
「なんや、この子良い子やね。でも顔色悪いな。我は『ギンゴ』や」
ギンガとギンゴは石像の姿から伸びをして、体をぶるぶると震わせると、台座から飛び降りてハルの前に座りました。台座から降りた二匹はたちまち小さくなりました。それはハルよりも小さく、小型犬ほどの大きさ。黒毛のギンガと白毛のギンゴです。
「……小さいのですね」
ハルはそう言って二匹と目線に合わせるように体を地面に伏せました。
「ここ座ってる時は、体を大きく見せてんにゃ。ほんまは小ちゃい犬っころやさかい。ほんで、こんな山奥まで何しに来たん?」
「ちょっと人探しをしています」
「ここ、何も無いで?」
「ですが本殿に灯りが見えますあれは何でしょう?」
「あぁ、それは弥琴や。弥琴はここの神社の神主や」
「なんや、男 の子 連れて来てたなぁ。我ら以外に友だちが出来たんやなぁ」
「そやそや。家族もおらんし、今まではずっと一人ぼっちで、毎日泣いとったなぁ」
「『どうせ皆死ぬんや』言うてなぁ」
二匹の犬は、ハルの目の前に座り、何もないところを見つめながら話しました。『弥琴』と言う名前を聞いて立ち上がったハルでしたが、また体を地面に伏せて、耳を少し寝かせました。
「弥琴な、ここの神社を綺麗にしてくれたんや」
「『俺がここを守る』言うてな、誰も来んようなこの神社に住んで綺麗にしてくれたんや。あん子は良え子やで」
その時、本殿から「その辺にしとき」と、艶めいた声が聞こえました。
「どこの誰か分からん獣に、誰も頼んでへんのにベラベラと。しょーもないこと言わんとき」
ギンガとギンゴは声のする方に顔を向け、走って行きました。その声の主は、二匹の狛犬の体を優しく撫でました。
「あぁ、あんさんかいな」
「……私が分かるのですか。私がここに来た理由も分かりますね?」
安倍弥琴です。安倍は白い大きな狐を見て、口角を少し上げて目を細めました。
「なんでここが分からはったん?」
安倍の問いに、ハルは「風が運んでくださいました」と言いました。
「ご主人を返してください」
「あん子やったら、中におるで」
「……」
「安心しいや。怪我とか、そんなんない」
ハルは小さく何かを呟きました。そしてゆっくりと立ち上がり、本殿へ向かいました。
階段を十段ほど登って本殿の中に入ると、その中心にアキが眉をひそめてハルを見ました。安倍が言った通り、怪我などはなさそうです。
「ご主人!」
ハルはアキに近づこうとしましたが、足を止めました。よく見ると、アキの周りの床にはお札のような紙が五枚貼られていました。
「これは……」
「俺お手製の『結界』や」
ハルは安倍の方へと振り返りました。
「ご主人を返してください!」
「なんで?」
「ご主人は私たちの『仲間』です!」
「仲間?何言うてんの?」
乾いた木々の擦れる音がしました。
「勘違いしなや、俺の目的は、あんたや」
「は?」
「『狐』は、『石』に閉じ込めとかなあかんなぁ」
その時、アキとハルを分断するように、急に屋根が落ちてきました。埃が巻き上がるのと同時に、黒い羽根のようなものも無数に舞いました。アキとハルが激しく咳をしている声がします。少し落ち着いた頃、その正体はすぐに分かりました。与彦と夜彦です。与彦は上手に床に着地していましたが、夜彦は腰に手を当てて仰け反った格好で倒れていました。
「いったぁぁっ!腰打ったぁっ!」
「ふん、夜彦よ、我に突っかかった罰じゃ」
「お、お主がハル殿を……」
その時、夜彦はハルと目が合いました。
「あ、あれ?ハル殿」
「え?あ、ハル殿」
ハルは少し口を歪めて、小さくため息をつきました。
「ううっ、枝で目を刺してしまいました」
ゆっくりと体を起こして、左眼から流れる赤い血を前足で拭いて舐め取り、周りを見渡しました。薄暗い中、少し離れた北側になにやらぼんやりとした灯りが見えるので、そこまで歩きました。
そこは小さな神社で、手前に置いてある大きな二匹の狛犬の石像が異様な雰囲気を醸し出していました。
ハルが鳥居の前で頭を垂れると、狛犬の四つの
「狐や」
「狐や」
「何か用か?」
「何の用か?」
「白狐のハルと申します」
「なんや、礼儀正しい狐やな。でも顔色悪いで。我は『ギンガ』や」
「なんや、この子良い子やね。でも顔色悪いな。我は『ギンゴ』や」
ギンガとギンゴは石像の姿から伸びをして、体をぶるぶると震わせると、台座から飛び降りてハルの前に座りました。台座から降りた二匹はたちまち小さくなりました。それはハルよりも小さく、小型犬ほどの大きさ。黒毛のギンガと白毛のギンゴです。
「……小さいのですね」
ハルはそう言って二匹と目線に合わせるように体を地面に伏せました。
「ここ座ってる時は、体を大きく見せてんにゃ。ほんまは小ちゃい犬っころやさかい。ほんで、こんな山奥まで何しに来たん?」
「ちょっと人探しをしています」
「ここ、何も無いで?」
「ですが本殿に灯りが見えますあれは何でしょう?」
「あぁ、それは弥琴や。弥琴はここの神社の神主や」
「なんや、
「そやそや。家族もおらんし、今まではずっと一人ぼっちで、毎日泣いとったなぁ」
「『どうせ皆死ぬんや』言うてなぁ」
二匹の犬は、ハルの目の前に座り、何もないところを見つめながら話しました。『弥琴』と言う名前を聞いて立ち上がったハルでしたが、また体を地面に伏せて、耳を少し寝かせました。
「弥琴な、ここの神社を綺麗にしてくれたんや」
「『俺がここを守る』言うてな、誰も来んようなこの神社に住んで綺麗にしてくれたんや。あん子は良え子やで」
その時、本殿から「その辺にしとき」と、艶めいた声が聞こえました。
「どこの誰か分からん獣に、誰も頼んでへんのにベラベラと。しょーもないこと言わんとき」
ギンガとギンゴは声のする方に顔を向け、走って行きました。その声の主は、二匹の狛犬の体を優しく撫でました。
「あぁ、あんさんかいな」
「……私が分かるのですか。私がここに来た理由も分かりますね?」
安倍弥琴です。安倍は白い大きな狐を見て、口角を少し上げて目を細めました。
「なんでここが分からはったん?」
安倍の問いに、ハルは「風が運んでくださいました」と言いました。
「ご主人を返してください」
「あん子やったら、中におるで」
「……」
「安心しいや。怪我とか、そんなんない」
ハルは小さく何かを呟きました。そしてゆっくりと立ち上がり、本殿へ向かいました。
階段を十段ほど登って本殿の中に入ると、その中心にアキが眉をひそめてハルを見ました。安倍が言った通り、怪我などはなさそうです。
「ご主人!」
ハルはアキに近づこうとしましたが、足を止めました。よく見ると、アキの周りの床にはお札のような紙が五枚貼られていました。
「これは……」
「俺お手製の『結界』や」
ハルは安倍の方へと振り返りました。
「ご主人を返してください!」
「なんで?」
「ご主人は私たちの『仲間』です!」
「仲間?何言うてんの?」
乾いた木々の擦れる音がしました。
「勘違いしなや、俺の目的は、あんたや」
「は?」
「『狐』は、『石』に閉じ込めとかなあかんなぁ」
その時、アキとハルを分断するように、急に屋根が落ちてきました。埃が巻き上がるのと同時に、黒い羽根のようなものも無数に舞いました。アキとハルが激しく咳をしている声がします。少し落ち着いた頃、その正体はすぐに分かりました。与彦と夜彦です。与彦は上手に床に着地していましたが、夜彦は腰に手を当てて仰け反った格好で倒れていました。
「いったぁぁっ!腰打ったぁっ!」
「ふん、夜彦よ、我に突っかかった罰じゃ」
「お、お主がハル殿を……」
その時、夜彦はハルと目が合いました。
「あ、あれ?ハル殿」
「え?あ、ハル殿」
ハルは少し口を歪めて、小さくため息をつきました。