第1話

文字数 1,883文字

師走、晦日。帰省ラッシュの夕方便の特急車内には、嬉し忙しといった独特な空気が満ち溢れている。少し奮発した帰省土産に百貨店の袋やらなにやらを抱えて乗り込む人も多く、座席も上の荷物用戸棚も、満杯状態だ。

なんとか乗車券の座席番号にたどり着いたら、ボックス席の50㎝四方をいそいそと最大限自分仕様に整える。
 リクライニングシートは後ろの方と目配せしてから、隣の人よりは気持ち高め程度に倒す。
机を出して、お土産の調達ついでに駅のデパートで買った穴子寿司とお茶を置いて、膝にはストールをかけて。文庫本も手元に置いたら、2時間旅専用基地の完成である。
さあ、ここでお寿司を平らげて、読書にも疲れたら、ひと眠りしよう。目を開けたらもう故郷だ。そして、明日も明後日も、その次も、まだまだ休み。
満ち満ちた空間で、幸せな未来だけを待つという(少なくとも、1週間ぐらいは)この気持ちこの場所は、一年のうちでも今日だけ味わえるご褒美である。

そんな安寧のなかでのことだった。
「緊急停車、緊急停車、乗客の皆様はお気を付けください。この先の線路上に倒木が発生しましたため、しばらく処理作業に当たります。ご不便をおかけし大変申し訳ございませんが、今しばらくご乗車のままお待ちください。」
 ほお、多少の遅れならばと、目を閉じていると、またほどなくして
「皆様へご案内いたします。倒木の影響が大きく、復旧には時間を要する見込みです。次の○○駅到着後、しばらく停車します。次のお知らせまで、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。バスの振替輸送を始めますので、こちらもご検討ください。」
「ええーっ」車内にも、どよめきが起こる。
実家に向かうための終点駅までは、まだあと3つ以上ある。バスではうちの近くまではいかれないし、タクシーを使えばなかなかの距離だ。
そもそも、こんな時間でこの駅で、タクシーなんてつかまらないだろう。
大人しく復旧を待つのが一番ましな手段かもしれないと思いつつ、いったいどのくらい待てばよいかという情報もなく、不安が募る。
「おいおい、どうなってんだよ!倒木くらいさっさとどかせられないんか!人の時間を勝手に使って、保障しろよ!」心ないことを言うおじさまも出てきた。
 いやだな、なんだか、年の瀬に何だか縁起が悪いなあ。さっきまでの浮かれポンチは跡形もなく、焦る大人たちの張りつめた空気。

 新しい知らせはないまま、バスへ切り替える者も増える。私のように待つしかすべがないのか、様子見しようか、という人々だけが残されていく。
 電車が止まってしばらくの時が経ち、ますます静かな車内である。
 おじさまと車掌さんの終わりなき会話だけが響く。
 そこにもう一つ、可愛らしい、電話音が響いた。車内全員の耳がそちらへ向いたとわかるほど、空気が動いた気がした。
「もしもし、あのね、電車が止まってしまったんよ。…そう、倒木って。どかすのも大変だろうにね、動くまでは、まだかかるって。」
大学生くらいの女性が、携帯電話で会話を始める。相手は親御さんだろうか。
「今、○○駅だけど…迎え?えっ、いいよ、いいよ。うん、だって、『みんな』待ってるから」

!!!!!
「みんな」。

それは、確実に、ここにいる私たちのことを指しているのだった。
お迎えはしなくていい。だって、同じ状況を共有している「みんな」も、ここにいるし、「みんな」は、待つしかないのだから。

 そうか、私たちって、共同体だったんだ。
つい1時間前までは年末休みに浮かれて、高揚していた「みんな」。
今は、家族や大切な人を待たせつつ、ままならぬ事態に遭遇している「みんな」。
車内の私たちは、その一言で、喜怒哀楽を共にしてきた共同体として、改めて誕生したのだった。

文句垂れていたおじさまも、しーん。
イライラしていた私の心も、しーん。
その他あまたの人々の焦りや悲しみもきっと、しーん。

ありがとう、女子大生。
 今、あなたのその発言に、何人の大人が癒され、そして、いらつく自分を恥じただろう。
ありがとう、女子大生のお母様、お父様。彼女を過保護に育ててくれたあなた方のおかげで、娘さんはこんなにも優しく育ち、見えないリーダーシップで見事に「みんな」をまとめ上げたのである。ご実家に戻られた暁には、尾頭付き鯛でお迎えしてほしい。

窓の外では、雪がしんしんと降り続けている。
復旧作業をなさる駅員さんはさぞかし大変な作業だろう。
どこの誰とも知らないけれど、同じ場所で一緒に時を過ごす人たちがいて、一緒に耐えている。そのことが、心をじんじんと温める。

いま、ここの「みんな」に、来たれ、良い年。

〈了〉
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