第22話:柳生親子の同居とオバマ大統領の広島訪問

文字数 1,739文字

 柳生敦夫が、母の死後、長男の柳生利一に、みなとみらいのマンションで一緒に住まないかと電話で連絡した。それを聞いて9月19日からの連休にお邪魔して良いかと言われ了解した。すると、9月19日の午後15時にみなとみらいのマンションに来て、海の景色を見て、素晴らしいですねと、利一の奥さんの麗子さんが言った。

 息子の10歳になる武夫君も良い所ですねとバルコニーで叫んだ。それを見て敦夫が、ここで一緒に、住もうかと武夫君に言うと、ほんとですか、そりゃーうれしいなと喜んでくれた。麗子さんも橫浜なら息子の教育の問題もないし、便利で、言うことなしですと言い、家賃は、いくら支払えば良いですかと聞くので5万円で良い告げた。

 するとインターネットで調べたら家賃相場25万円と書いてあったので、その点が一番気になっていたと告白した。利一が、中をとって10万円にしましょうと言った。それで話が決まり、今年の年末休みに引っ越して来ますと言った。詳細は、決まり次第、電話しますと話した。麗子さんが、引っ越したら、電動自転車を買って近くを走りたいと語った。

 そして3人で中華街や山下公園、元町、海の見える丘公園、外人墓地、洋館など、名所をサイクリングして回りましょうと構想を練った。麗子の小学校時代の友人がフェリスを出て元町の坂の上に住んでいるので遊びに行きたいと話した。そして、みなとみらいのマンションに3泊して、9月22日に帰った。その後、12月24,25日に引っ越すると連絡が入った。

 12月25日、10時過ぎに利一の一家が大型トラックと利一の借りたレンタカーでやってきた。その後、一部屋に荷物を運び込み、広いリビングの奥に、ついたてで間仕切りして、武夫君のベッドと勉強机が一体になった物を、そこに設置した。みなとみらいから川崎の富士通に30分で通えると話した。この話に、奥さんの梅子がさんが、大喜びした。

 長男の重一は、地元の小学校へ徒歩15分で通う事になった。そして2015年9月1日から同居を始めた。そして、秋、利一家族と一緒に5名で熱海温泉に2泊の旅行にでかけ、温泉で、暖まって帰って来た。やがて2016年となり孫の重一は、徒歩25分の中学校へ入学。2016年3月に中学に入学の手続きをとり4月から通い始めた。

 2016年4月14日、夜21時26分、熊本でマグニーチュード6.5の大地震が起き、隣の益城町では、震度7の地震に見舞われ多くの家が崩れ落ちた。4月16日午前1時25分ごろにも益城町と西原村で震度7の地震が起き1995年の阪神大震災と同規模のM7.3を記録。連続した地震活動で震度7が2回観測されたのは49年に震度6の上に7が新設され初めて。

そのため、気象庁は、4月14日の地震が、前震で、16日が本震との見解を示した。地震による直接死と関連死を合わせた死者は、150人を超えた。住宅被害は、約17万8000棟に上り、そのうち約8300棟が全壊。熊本城も天守閣の屋根瓦が、剥がれ、「しゃちほこ」が。落下するなど、大きな被害を受けた。

 オバマ米大統領は、2016年5月27日、現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花した。被爆地訪問はオバマ氏が2009年1月の就任時から模索し、任期最後の年に実現した。原爆投下の事実と向き合うよう米大統領に求めてきた被爆者にとっても、長年の願いがかなう歴史的訪問となった。

 オバマ氏は、伊勢志摩サミットに出席後、広島入りし、安倍晋三首相と共に平和記念資料館、原爆資料館や原爆ドームを視察。式典に参列した被爆者とも言葉を交わした。献花後の演説では「われわれには歴史を直視し、何をしなければならないか自問する共通の責任がある」と述べ、就任以来掲げてきた「核兵器なき世界」を追求する重要性を訴えた。

一方海外では、英国は6月の国民投票で欧州連合「EU」からの離脱を決めた。「東欧からの移民流入で職が奪われている」との不満やEUの規制に縛られることへの反発などが背景。EUから加盟国が抜けるのは初めてで、経済規模で2位、そして世界の金融センター、シティーを擁する英国の離脱は、経済のみならず政治的に大きな打撃となる。
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