act.05-02 現れたのは、誰?

文字数 3,760文字

 拳を強く握った手のひらに爪が食い込んだ。ギター男は黙ったまま、生気のない目で俺を見ている。

 ――やるしかないのか?

 周りを見回す。武器になりそうなものは何もない。どうするか。

 だが次の瞬間。バイクのエンジン音が近づいてきた。ギター男も気を取られた。サイドカーつきの大型バイクに三人が乗っていた。シロが猛然と吠えた。そのまま駆け出し、バイクの前に飛び出していく。

「シロ! 行くな!」

 バイクもよけようとしたが、サイドカーで素早い取り回しがきかない。ブレーキも間に合わない。ドン! という衝撃音がして、小さな白い体は空中にはじき飛ばされた。

「こっち! 乗って!」

 バイクから下りてきた三人はみんな若い女性だった。そのうち、後部座席にいた巨体の女性が俺を引っつかんでサイドカーに乗せた。長身で肩幅が広く、腕もやたらと太い。そのゴリラみたいな怪力に抵抗のしようもなかった。そしてゴリラは「落ち着け」とでも言いたげに俺の肩をポンポンとたたいた後で謎の笑みを浮かべ、素早くサイドカーに屋根を装着した。

「何すんだよ! やめろよ!」

 俺は屋根をたたいた。透明なアクリルか何かと金属で作られたそれはずいぶん頑丈で、びくともしなかった。

「話は後で。今はそこに座ってて」

 運転していた女性が、屋根に顔を近づけて言った。明るい茶色の髪に深緑の目。見た目は明らかに外人なのに、完全に日本人の発音だった。そのままシートで縮こまってると、ゴリラと外人はバイクの両サイドに立って身構えた。周囲のあちこちに視線を飛ばす姿が、まるで俺を警護してるみたいだった。外人のほうは、耳につけたヘッドセットを使って誰かと通話している。

「あんたたち、誰なんだよ!」

 三人めの女性はバイク用のゴーグルを着けたまま、ギター男と対峙していた。銀色の長い棒を低く水平に構えている。小柄だけど張り詰めた体に隙はなく、何かの武道の構えのように見えた。

 静寂。空気が張りつめるなか、ふたりの視線がぶつかり合う。

 ゴーグル女性は不動のようにも見える。靴の中で指だけを動かしてるような、じりじりとした動きをしているようにも見える。

 俺は唾液を飲み込もうとした。でも口が乾ききっていて、喉が鳴っただけだった。

 ――俺はなんで襲われて、なんで助けられてんだ?

 見えなかった。

 ギター男がわずかに動いた。でもゴーグル女性の反応はあまりにも俊敏で、男に何もさせないまま棒の先端を相手の体に当てた。ビリビリビリ……という音とともにギター男は悶絶し、力を失って膝から崩れ落ちた。たぶんスタンガン。棒の先端に仕込んであった。

「相手はひとりだけか! 周辺の確認は!」

 今度は男の声がした。知らないうちに、ワゴン車が止まっていた。そこから降りてきたドライバーだった。三人の女性たちより年上で、三十代半ばぐらいだろうか。顎だけに伸ばしたヒゲが目立っていた。

()かさないでよ! 今からやる!」

 イラついた感じで外人が言い返した。顎ヒゲ男も女性三人も全員、警察か警備員みたいな制服を着ている。濃い緑色で、見たことのないデザインだった。

「ジェーン。本部の画像解析班と連携しろ!」

 顎ヒゲ男はなおも命令した。ジェーンと呼ばれた外人は呆れた顔で無線を使い、何度かやり取りを重ねた後でうなずく。

「単独。周辺もオールクリア」
「よし。そいつを確保して車に乗せろ」

 顎ヒゲ男は、上官か何かなのだろうか? ワゴン車に視線を向けて命じると、ふたりの男が新たに降りてきた。昏倒しているギター男に手際よく手錠をかけて抱え上げ、ワゴン車の後部に運び入れる。手錠は金属製じゃなくハリウッド映画に出てくるプラスチックの結束バンドみたいなやつで、車もアメリカの警察車両みたいなゴツいタイプだった。

「業務部は呼んだか?」

 顎ヒゲ男がジェーンに聞いた。

「もう向かってる。第一班の到着予定は十二分後」
「なら、ここの後始末は俺が引き受ける。お前たちは、彼を連れて本部へ。カイトの件との関連も調べてくれ」

 ――カイト? またそれか!

「ちょ……待ってよ! 降ろしてよ! どこに連れて行くんだよ!」

 怒鳴った。腹の底から声を振り絞った。

「ごめんね。突然でビックリしてると思うけど、しばらく私たちの言うとおりにしてほしい。別に怪しい集団とかじゃないし、何者なのかは走りながら説明するから」

 ジェーンが俺の目を覗き込んだ。サイドカーの屋根越しで聞き取りづらかったが、落ち着いた声だった。態度も真剣だった。でも――

「カナ……伽那子は! ケガしてるだろ! 犬はどうすんだよ!」

 ギター男を仕留めたゴーグル女性がカナに寄り添って、右手でオーケーのサインを出した。目を開いておらず意識もなさそうだが、呼吸はしているらしい。ゴリラはシロの様子を見に行き、首を横に振りながら戻ってくる。

「女の子は、すぐ病院に運びます。残念だけど、ワンちゃんはもう間に合わない」
「そんな……」

 確か三年か四年前、シロは生まれたばかりの頃に御厨家に来た。よちよち歩きがかわいかった。それからずっと、俺にもなついてくれていた。御厨家が旅行に行ったときには、何度も預かった。

 ――ああ、でも違うんだ。

 犬はシロじゃなくホワイトだった。彼女は、カナじゃなく小麦と名乗った。じゃあ、そこで倒れてる子は俺の幼なじみじゃなくて、カナと同じ顔してるだけの、別の幼なじみってことか?

 わからない。
 わからない。
 わからない。

「よし。動け!」

 顎ヒゲ男が号令をかけると、バイクとワゴン車が動き出した。道路にうずくまったままのホワイトが見えた。身動きひとつしていなかった。

          *

 サイドカーのシートは極限までに低く、地面スレスレを高速で飛んでるような気分だった。大型トレーラーと並走したときには、巨大なタイヤに踏みつぶされるかと思った。

「念のため聞くけど、君はカイトじゃないんだよね?」

 装着するように言われたヘッドセットを通じて、バイクを運転している外人と会話することができた。バイクの後部座席には誰も乗らずに、俺とふたりだった。

「違うよ! 俺は走野、七尾走野だよ! カイトって誰なんだよ!」

 さっきから、みんなが俺をカイトと呼び始めた。でも、この人は「カイトじゃないんだよね?」と確認してきた。ということは、確実に事情を知っている。

「なら、走野って呼ばせてもらうね。私の名前はジェーン・フォーラニ。見てのとおりの外見だからどこの国の人か知りたいだろうけど、イタリアとかギリシャとかベラルーシとかクロアチアとかの血が大量に混じっててメンドいから説明は省くよ。中身はみたらし団子を愛する日本人だけど、フツーにジェーンって呼んで」

 バイクにまたがったスカートが大きくめくれて、日本人とは明らかに違う真っ白い太ももが見えていた。皮膚の下の静脈まで透き通るようで、影が緑色だった。でもそれはスカートが緑色だったせいかもしれない。外人の年齢は想像もつかないけど、二十四歳か二十五歳ぐらいだろうか。

「あのさ走野。私はバイクを運転してるんだから、とりあえず前を見てなくちゃいけないの。縦とか横に首を振るだけじゃなくて、できたら元気よくイエスとかノーとか声に出して返事してくれる?」

 ヘッドセットの性能はかなりいいらしく、伝わってくる声は軽やかでクリアだった。でも、俺の心はどんよりと滲んだままだった。

「……わかったよ」
「そう、それでいい。ともかく、君は私たちの組織の本部に行ってもらいます」

「だから! その本部って何の本部なんすか!」
「そこは話が長くなるから途中を全部すっ飛ばしてサクッと結論だけ言うと、君は今かなりの危機的状況にあるの。今しがた襲われたのが、確たる証拠。しかも相当ヤバめの感じだから、今日からうちで君を保護します」

「……保護?」
「そのサイドカーは防弾仕様だから安全だし、前後を見てごらん?」

 前には、ギター男を乗せたワゴン車。知らないうちに、もう一台が後方にピタリとつけていた。本当に、サイドカーをガードしてるみたいだった。

 俺は確かに襲われた。そのあおりを食ってカナ……じゃなくてカナと同じ顔の小麦がケガさせられて、シロじゃなくホワイトが死んだ。それは事実だ。だとしたら、俺は本部とやらに行くしかないのか。流れに身を任せるしかないのか。

 バイクを運転してるジェーンや、一緒にいた制服の人たちは嘘つきでも悪人でもなさそうだし、少なくとも攻撃的じゃなかった。というか守ってくれた。ギター男も一瞬で倒した。どういう組織なのかは見当もつかないが、ハイレベルの訓練を受けたであろうことは一目瞭然だ。だからといって、簡単に信用していいのか――?

「じゃ、本部までちょっと飛ばすよ! ちゃんとつかまって、カーブのときは横Gに合わせて体重移動に協力よろしく!」

 ジェーンはスロットルを全開にした。バイクは、都心に向かって走っていた。
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