前編

文字数 3,801文字

 サイリウムが揺れるこの光景が、美春(みはる)は好きだった。
 自分たちに向って振られるその統率された動きが、いつ見ても泣きそうになるくらい、美春の胸をいっぱいにしていた。
 しかもこの日は、これまでやってきたステージとは規模が違った。
 今までは千人とか二千人キャパだった。デビュー当時はもう一桁少ない。それがこの日はついに一万人近いハコで、しかもそれが立ち見も含めて満席だった。
 最後の曲を終えて、また光の波がざわっと鳴りそうなほどの勢いで左右に踊る。
 ここが人生の頂点(ピーク)か、何も考えられないといった感じのやや呆けたまなこが、色とりどりの光をただ映していた。
 初めて見た時は、ただ圧倒されて息を呑み、瞳を潤わせた。
 それからネット動画にアップされていた『講座』を見て、自分たちの曲それぞれに振り方のパターンを作っているのに驚き、それがいざ本番実際に目にすると音に合わせ、振りつけに合わせて縦に、横に、あるいはゆらりと上げていったり三連符に従って止めたり、とその『講座』通りに動いていることに感動した、と仲間内で話し、リーダーの初穂(はつほ)には「ミハルは可愛いね」と言われた。
 別れを歌った曲の時に左右ゆっくりと手を振ったら、次回のライヴからはその手に光が連なってきてぞくぞくとした興奮を感じたと言ったのが情報誌に載って、ファンサイトを騒がせた。
 いつかのMCで「みんな、この空間と歌と、一緒になりたいんだよね」と言って「天使か!」と突っ込まれ、『ミハル語録』が生まれた。
 そのそれぞれの時ほどではなくなっているのかも知れないが、それでも美春にとってこの光はいつも、控えめな膨らみの胸の奥を熱くさせるものだった。
「ミ~ハルっ」
 すぐ隣の『あっきぃ』――晶子の手が露出した肩に触れていた。
 何度か衣装チェンジを行った末に、ハニカム模様のチューブトップとミニスカートになっていた。
 数歩の距離を近付いてきただけでも、晶子のバストは主張するようにふわりと揺れ、こげ茶の外跳ねレイヤーが踊る。
「いい? ハケる(・・・)よ」
 もう少し密着して美春のサイドテールをそっと避けて、耳元でそう言いながらステージの中央に押してゆく。
 百五十センチそこそこの美春はこの中では一番小柄だ。晶子を見上げて頷き、六人で固まれる場所まで進む。
 エンディングの恒例だった。
 メンバー六人全員で手をつなぎ、大きく上げて、一礼とともに下ろす。
 歓声と光がもう一度湧き上がった。
 笑顔で手を振りながら、端の晶子から一人ずつステージの下手に消えてゆく。最後は皆が出て行くのを待っていたリーダーの初穂。これも、百人規模の小さなハコから変わっていない。
 照明が落とされ、ステージ上が沈黙と闇に包まれても、観客席が静まり返る様子は薄かった。
 むしろ、どこからかハンドクラップが生まれ始め、その音がじわりと広がりつつあった。
 拍手とは違う一定のリズムで叩かれるこの響きがホールを埋めるのも、そう時間は要さないだろう。

 楽屋ももちろん、六人一緒だった。
 初穂の指示で汗を拭き、水分補給をして、トップスの上に今回物販のTシャツをかぶる。
 手拍子の、自分たちに会いに来てくれたファンの要求に応えるためだ。
 アンコールは、二曲用意されていた。
 目聡いファンならセットリストから一曲は予想しているかも知れない。でも、もう一曲はここが初お披露目となる、リリース情報もまだの新曲だ。
「私、この瞬間が好き」
 メンバー最年少の『きゅん』こと九華(きゅうか)が言う。外では『不思議ちゃん』キャラを貫いているが、素の顔は冷静そのものだ。
 それが、いつになく興奮を露わにして、頭の左右高いところで括って形を作って踊らせた、栗色からピンクへグラデのかかったツインテールを左手で弄んでいた。
「ああ、呼ばれてる。求められてる、そんな気持ちが押し寄せてくる感じで。
 今日はなかったらどうしようって、私ばっかり不安に思ってたから余計にそんな気分になってるのかも」
「みんなそうやよ」
 ふわりとした空気感の『なこ』こと美奈子が、その九華の手を握った。
 滋賀県出身の美奈子は、ゆるめの関西弁も、神戸巻きに近い淡茶のロール髪も、キャラづけ(・・・・・)の一つになっている。
「こんな大きいところ初めてで、ガラガラやったらどうしよう、MC噛んでもたらどうしよう、本番で音出んかったら――とか、ね」
 優しく言う。九華も笑顔で頷き、マネージャーと話していた初穂を呼んだ。
「初穂さん、何分使います?」
「ん――三分くらいにしよっか」
 初穂はいつも物腰柔らかに、しっかりと皆をまとめている。
 ステージ上では編んでいる髪を今は下ろしていた。このままアンコールに出るならともかく、セットし直すなら三分では間に合わない。
 あと二曲とも、激しい振付のあるものではない。長い黒髪はそのままで出るのだろう。
 短い休憩時間で、六人めいめいにペースを整えるのは慣れていた。
 しかしその中で――美春はスポーツドリンクをひと口飲んだきりで、そっと下腹部に手を当てていた。
「美春?」
 それに気付いたのは千奈津(ちなつ)だった。この六人の中では最年長で、他の五人に常に気を配っている。リーダーが年上の千奈津ではなく初穂になっているのは「私は裏で手を回したいから」と彼女が結成当時に言った冗談とも本気ともつかない言葉による。
 その話が漏れたわけではないが、千奈津は普段の言動から『裏ボス』とファンの間では言われている。
「お腹痛い? もう少し時間もらってトイレ行く?」
 ポニーテールを結び直した千奈津の問いに、美春はゆっくりと首を振った。
「違うの……」

 この『HeX』は三年目に突入したばかりの、六人ユニットのアイドルだ。デビュー当初から初穂を中心にしながらも時にいがみ合ったり、小さな諍いが起こったり、といったことはあるものの、こうして数万人を集められる、ダウンロードも含めた楽曲販売もチャートの中盤に食い込めるグループに成長した。
 六人それぞれのキャラクターや、それに合わせたメディア露出など、事務所の戦略がそこそこの成功を収めている、ともいえる。
 それこそ「ついにここに来た」と云っても過言ではない今回のライヴはこの日が初日で、あと二日ある。
 スリーデイズ、約三万枚のチケットは平日開催にも関わらず、半年前の先行抽選券封入シングル、ファンクラブチケット、一般販売それぞれ数日で完売し、ネットオークションでは通常価格の六倍近くまで高騰した。
 そうして迎え、期待と予測を超える大盛り上がりとなったこの日もいよいよアンコールを残すばかりとなり、そして「その時」を待ち、望み、呼ぶ音の波は建物そのものを揺らすほどの勢いとなっていた。

「違うの」
 美春がもう一度言う。
「いっぱいすぎてもう、どうしよう、って」
 くすりと千奈津が笑声をこぼし、美春に近寄る。
 千奈津とは二十センチ以上の身長差がある。その頭を撫でて、汗で額に張り付いた前髪と、右耳の上に結った白メッシュ入りサイドテールを整える。
「美春は感動しい(・・・・)だもんね」
「それもだけど、それだけじゃなくて」
 美春の眼には、涙が浮かんでいた。
「あたし、これでいいのかなって。こんな幸せでいいのかな、って」
「いいじゃない」
 晶子がウェットティッシュを差し出す。美春とは一番仲が良く、仕事のない時も買い物やご飯に一緒に出かけることも多い。
 グループ内の立ち位置としての美春は、マスコット的なものだ。MCでのボケ役、イジられたり突っ込まれたり、という役回りで、それが美春にとって嫌だとか変えたいとか、そういうことではないと瞳に現れていた。
「あたし、みんなに隠しごとしてる。言わなきゃっていつも思いながら、言えないままここまで来ちゃって、どうしようどうしようってずっと悩んで、それなのに今日になっちゃって、こんな立派な場所であたしみたいなのがなんで立ててるんだろう、あたしがこんな嬉しいことを受け取っちゃっていいのかな、って――」
「考えすぎ」
 キャラ以外での九華の言葉は短いが、冷たい響きはない。
「そうやよ」
 美奈子も、美春に声をかける。
「秘密くらい誰にでもあるし、言いたくなかったら言わんでええし、ねぇ」
 美春以外の全員が頷く。
 手拍子のコールはかすかに楽屋にも届いていた。
 美春がまた、首を振る。
「ううん、やっぱり、聞いてほしい。言わなきゃいけない。それであたしが『HeX』抜けろって言われても仕方ないぐらいのものだから」
 五人に緊張が走る。
 楽屋は、六人だけになっていた。
「どういうこと?」
 皆をまとめるリーダーの意識からか、初穂が言う。
「マネージャーは知ってること?」
 美春は緩い微笑で首を振り、否定する。
 誰ともなしに美春を中心にして、固まって座っていた。
「あたし――」
 美春は五人の仲間を潤んだ瞳で見回し、目を伏せようとして思い留まったように顔を上げた。
「人を、殺したことがあるの」
 十数曲を歌ったあとの、さらに涙混じりの少し掠れた声で、しかし美春ははっきりと言った。
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