29*神様、一生のおねがい。

文字数 5,081文字

「ツクヨミ、神の言霊を覚えてるか」
「クエビコさん、こんなときになにを……」
 えーとえーと、たしか神威、神の威力、奇跡の力。
「こ、こんなときだからだ。ツクヨミと話してたとき、ずっと考えた。こ、言霊は言葉に憑る霊威。願立て、誓、契、詔、祓詞、呪咀。すべて言霊だ。古の戦で天ツ軍が勝ったのは、オ、オレは言霊と考えた。オレは考えるのは得意だが、お、思うのは不得意だ。思うのは理に合わない。理は考えて決まる。水軍が軍船を降り、軍力を落とし、キ、キイの山々を越えると、オレは考えない。しかし越えた、勝った。天ツ軍は一軍となり、越える、勝てると思い込んだ。ま、正しく言霊だ。オレは動けない。う、動けると思い込んでも動けない。だ、だが、動きたいと思えば、動くための方法を考える。お、思い込むだけなら、脳髄の弱いスサノヲもできる。できると思い、できる方法を考えれば、できる。さ、さきに思うことが大事だ。言挙げだ。の、脳髄は物を考える処に非ず。思う処だ。それで……」


「どうすればいいのかな」
 大阪城の上空を跳ねまわるスサノヲさんとニギハヤヒを見ながら独り言ちる。まずは戦を止めさせる。つぎに話を聞かせる。そしてイヅメの作った結界を破らせる。できれば、イヅメを倒させる。戦を止めさせるには……。

『ほ、方法が考えられなかったら負ければいい。隠世に、か、隠れればいい。……笑えないが』

 クエビコさん、ありがとう。
 できることはわからないけど、なんとかしたいから。なんとかする。
「翔んで近づかないとなりませんね」トミビコさんは長く翔べない。
「ボク、もう時空は翔べないけど、空は翔べる」
 トミビコさんに支えられたワカヒコくんが私を見つめる。
 トミビコさんにクエビコさんを渡す。
 クエビコさんが目の処の右の、のの字を潰す。ウインクだろうか。
 ワカヒコくんと手を繋ぐ。ワカヒコくんが目を瞑ると、ふわっと私達は浮く。トミビコさんが仰ぐ。ワカヒコくんが大阪城の上空を見る。私達は翔ぶ。
「あまり翔べないから。ツーちゃん、早く、早くしてほしいな」
 神威が弱く、翔ぶと体力と気力の消費が大きい。傷だらけで、喋る体力も気力もない。

「……お、おかしい」
「クエビコ殿?」
「ス、スサノヲが、ニギハヤヒと2日も戦ってる。本気のスサノヲと互角に戦える神は、そ、そんなにいない」
「大殿は本気で戦ってないと言われるのですか。しかしニギハヤヒも、さらにヒダル衆の霊威を得ました。互角では」
「ち、違う。スサノヲは本気で、た、戦えてない」

「スサノヲ」
 スサノヲさんに近づく。肩で息。顔に脂汗。斬られた黒衣の下の創傷が黒くなってる。ヒダルに冒されはじめてる。
「あ、兄神、こんな処でなにしてる。危ない、ぞ」横目で私を見る。
「クマノでニギハヤヒを退けた。なんで本気で戦わない」
「神威が抑えつけられてる。結界が張られてる。外に出たが、ニギハヤヒに引き戻された」
 電車で会ったのは偶然じゃなかった。本気でワカフツヌシさんに怒ってた。
 ずっと戦ってたんだ。スサノヲさん、ごめん。

「け、結界が張られてる」
「カワチ国からセッツ国までとなると、かなり広うございますが」
「いや、キ、キイまでも結界が、張られてる。新大阪駅だけでない。考えられない。な、なにかある。オレ達の行動に合わせ、け、結界を張ってる。オレ達の行動……そ、そうか天ツ軍の行軍地だ。イヅメは天ツ軍の軍将だ。み、巫神だ。イヅメがニギハヤヒに知らせ、ヒダルに冒させた。け、結界を張った」
「天ツ軍の行軍地といえど、どうすればワタシ達の行動がわかるのでございますか」
「……け、顕彰碑だ」

「ツゥゥク、ミィィまァァァァってたぞォォォォ」
 ニギハヤヒが黒い影を放つ。スサノヲさんが長剣を振る。しかし全ての黒い影を斬り落とせず、スサノヲさんを、私達を襲う。
「退がれ、兄神」
 ニギハヤヒはヒダルに冒されてる。ニギハヤヒが黒い影を生じさせてるのでない。イヅメが結界の中に生じさせ、ニギハヤヒは寄せてるだけ。寄せる、冒される原因は強い欲望と殺意。そして熊野で結界を破り、スサノヲさんを呼んだのは……。
「ツーちゃん、もう、もう、ダメ」ワカヒコくんが危ない。
「ワカヒコくん、あのビルで休んで。スサノヲさん、私をニギハヤヒの処に連れていって」
 もうひとつ、確認を。
 スサノヲに抱えられる。ワカヒコくんをビルの屋上で休ませ、トミビコさんに伝える。

「顕彰碑を壊せばよい、と。さすが東の軍師クエビコ殿。それで顕彰碑はどこに?」
「わ、わかるか」
「わからないのでございますか」
「現代に建てられたのだぞ。……そ、そうだ、難波碕に建ってる。ツクヨミが言ってた。ト、トミビコ、ここで戦ったんだろう、難波碕はどこだ?」
「わかりません」
「わ、わからないのか」
「現代のカワチ国はわかりません。どうすれば。……そうです、クエビコ殿。姫の携帯電話という物で調べればわかるのでは?」
「ス、スマートフォンだ。よし、ツク……って、オマエは脳髄がないのか。い、居ないだろう」
「どうすればよいのでございますか」
「お、大阪城だ。大阪城の南方の、右側だ。ど、どうだ、顕彰碑は見えたか?」
「……建物が邪魔で見えません」
「た、建物の上だ。トミビコ、そのくらい、と、翔べるだろう」

 丹土で塗られたニギハヤヒの赤い顔は黒ずみ、更に恐ろしく、醜く。剣は、もう振れない。しかし言葉を喋ってる。完全に正気を失ってるわけじゃない。
「ニギハヤヒ。あんな尽くしてくれた、あんなきれいなニウヒメさんを醜い姿に変えていいの。ニウヒメさんを助けたんでしょう。国ツ神は神威が弱い。早く。早くニウヒメさんのヒダルを抜かないと、助けないと、ほんとヒダルになっちゃうよ」
 一瞬、ニギハヤヒが止まった……ように見えた。
「オォォレサマにィィ命じるゥゥのかァァァァ。うるさいィィィィ」
 ニギハヤヒの放った黒い影の塊に私とスサノヲさんが飛ばされる。すごい風圧。
 ワカヒコくんのいるビルの屋上に落ちる。スサノヲさんが庇ってくれたけど、コンクリートの上を滑り、血だらけになる。焼けるように痛い。食いしばる。
 ニギハヤヒは命じられるのが、ほんと嫌らしい。
 しかし。
 ニウヒメさんが好きなんだ。ニウヒメさんのために欲望は抑えられる。
「結界を破れば、できる」

「姫、大殿」クエビコさんとトミビコさんもいる。
「ス、スサノヲ、顕彰碑を捜せ。け、顕彰碑を壊せば……」
 クエビコさんが強ばる。トミビコさんが見あげる。
「なァァんだァァァァそろって、じゃないかァァァ」
 ニギハヤヒが降りてくる。
「殺したはずのォォトミビコがァァなんでェェ生きてる、だァァァァ」
 記憶がおかしくなってる。早くしないと。
 足を引きずりながら歩いてくる。ヒダルに冒され、無痛になってる。早くしないと。
 首にかけてる品物比礼を握る。見あげれば、キューピーちゃん。
「ニギハヤヒ」
 スサノヲさんの止める手を払い、トミビコさんがニギハヤヒに近づく。
「弟神の契を交わさなければ、天ツ神にヤマト国を、中ツ国を渡さなかっただろう。ワタシがまちがってた。しかしオマエはワタシを騙し、天ツ神にヤマト国を、中ツ国を渡し、なにを得た。醜い心か、体か?」
「……うるさいィ……」
 親指の爪を噛む。正気に戻ってる。そうか命じなければいいのか。ヤンデレか。
「醜い心と体となり、次は、なにを得たい?」

『おちこまないでください、ニギハヤヒ様。アタシが食べさせてあげますからー』

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

『慎ましくー、楽しくー、いきましょー、ニギハヤヒ様」

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

『アタシの希望はー、ニギハヤヒ様とー、いつも一緒にいること』

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

『ホノアカリは国照大神になりたいの。高天原への復讐が、アナタの欲望ね』

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

「……オレサマはァァ大神にィィ成るゥゥゥゥ」
 黒い影が湧き上がる。黒い影がニギハヤヒを包み込む。
「ニギハヤヒ、なんで?」
「キサマらァァァァ、まとめてェェ死ねェェェェェェ」
「やめて、やめて、やめてッッッッ」
 ニギハヤヒが剣を投げる。黒い影が剣に纏わりつき、巨大な剣となり、トミビコさんを貫く。
 トミビコさんを貫いた剣は、私を……。

 品物比礼が、ふよふよと浮かぶキューピーちゃんに絡まり、高く舞い上がる。品物比礼と、黄色に染まったキューピーちゃんが輪を作り、ふよふよと漂う。
 ふよふよと漂う品物比礼に剣がぶつかった瞬間、纏わりついた黒い影が消え、剣が落ちる。品物比礼の輪は広がり、ニギハヤヒを包み込み、ビルを、周辺を包み込む。
 ニギハヤヒは気を失い、倒れる。黒い影が消える。熊野と同じ。
「け、結界が破られた」クエビコさんが独り言ちる。
 また、私はなにもできなかったけど。キューピーちゃん、ありがとう。
 結界が破れると同時に雨が降ってくる。
 顔を上げ、手を翳すと、雨粒は手を、顔を抜け、地面に落ちる。そうか。隠世に隠れてた。
スターパークの駐車場で、初めて隠れたときを思いだす。現世も夜だと、どっちに居るかわからない。同じ世界に居るのに、居ない。

***
『ひ、姫』
『……め、命令だ。ヤ、ヤマトを、中ツ国を、ま、守れ……』
『わ、わかりました。この髪どめにクマノの山神に誓を立てました。離さず、しっかりと握ってください』
『……はやく、天ツ軍を……』

『戦に勝ち、ヤマト国を守りましたら姫は助かります』

***
「トミビコさん」
 トミビコさんの腹は抉られてる。コンクリートが見える。抱えることも、支えることもためらわれる。体中に黒い影に斬られた黒い深傷。ヒダルに冒されてる。石切劔箭神社だ。
「なんで上之社に行かなかったの」嗚咽で声にならない。
 トミビコさんの手を握る。
 トミビコさんは虚ろに手を伸ばし、語りかける。
「オオクニヌシ殿が羨ましかった。ワカヒコの話を聞くたびに、羨ましかった。ニギハヤヒと義兄弟の契を交わしたときは嬉しかった。姫、ニギハヤヒを責めないでください。どうしてもワタシは、ニギハヤヒを憎みきれません」
「トミさん」
 よろけるようにワカヒコくんが近づく。
「……ワカヒコ、色々と叱ってしまいましたが、じぶんの子のように思ってました」
「トミビコさん、もう喋らないで」
「姫……」
「スサノヲさん、早くトミビコさんを隠世に隠して。神社に眠らせて」
「オレはトミビコの社を知らない」
「また、造ればいいじゃない」
「姫、大丈夫でございます」なにが大丈夫なの。
「ワタシは、既に世に居ない存在でした。死んでました。イコマの山神に、……生かしていただきました。数日間でございましたが、傍に居られました……。姫と話せました、……姫の笑顔を見れました……」
「もういい、もういいから、トミビコさん」
「あの星空を仰いだときを思いだします。……ありがとうございます……」
 なにがありがとうございますなの。
「……約束は果たせ……ません。……許してください。もう、……剣を……振るえません。もう、戦えません。もう、……疲れ……」
 トミビコさん。生きて、みんなのために、じぶんのために。
「スサノヲさん、早く」
「ツ、ツクヨミ、トミビコを死なせて、やれ。辛そうだ」
「クエビコさん。辛そうってトミビコさんのなにを知ってるの」
「兄神は知ってるのか」
「そ、そうだ。トミビコが望んだ、こ、ことだ」
「なに、みんな言ってるの」
「トミビコが死ぬことを望んだ。なのに兄神が生きることを決めるのか」
「だって生きとけば良かったって思うかもしれない」
「死んだら悔やむことはない」
「だって生きとけば、死ななくて良かったって思うかもしれない」
「いつか死ぬ。兄神が死ぬときを決めるのか。トミビコが、なにを思って生きてきたのか、死のうとなんで思ったのか、わかるのか」
「だって……」
「思い上がるな」

 トミビコさんは、もう目を開けてくれない。もう手を握ってくれない。
 もう……。

 神様、(2度目の)一生のおねがい。
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