第1話 100枚の札
文字数 2,324文字
図書室を出発してから、この薄暗い通路をもう数十分歩き続けていた。カツーンカツーンと足音だけが異常に響く。上履きだぞ、私たちが履いているのは。左右にはカンテラが等間隔で並んでいて人が作った道であることは確かなのが救いだった。
「なあ、私は部屋までは入らないって言ったんだけど」
森本が一番後ろでぶつくさ言っている。その前に私。その前に見上げる形で久住がトショイインチョウに話しかけている。
「うわっ、なんかいる。なんかいるって。きもっ」
また何かを見つけた森本が喚いている。私は容赦なく進んでいく巨大なトショイインチョウと巨大ではない久住が森本を置いていかないように牽制しながら、怖がりの森本の心配もするという真ん中っ子精神を発揮しなければいけなかった。私は末っ子として生まれたはずだが、この調子だと遅かれ早かれ真ん中っ子になるのだろう。
道は僅かに右側に曲がっているようだった。左側に吊るされたカンテラの数が最初より減っているような気がする。右に少し曲がっているから左側の壁の方が右側の壁より長くなっているはずで、右側と左側に同じ数のカンテラを吊るすと左の方がカンテラ同士の間隔は広くなるのだから自然か、と一人で合点がいったところで、左側にあった一つのカンテラが爆発した。
「うぎゃあ」
腰から砕け落ちた森本は顎を殴られたときの吾妻遷に似ていた。正直、前文の吾妻遷のところには人間であれば誰を入れても良かった。顔はめパネルと一緒だね。
「大丈夫?」
尻もちをついた森本に手を伸ばした私と対照的に久住は手を叩いて大笑いをしていた。
対照的?
「仮に私が呪われたら私が久住を呪うから」
この店は奢ってもらったから次の店は私が奢るね、の構文を使って恐ろしく悲しい言葉を吐き捨てた。
「大丈夫だよ。かんちゃんが呪われることはないから」
久住のこの発言は誤っていた。それは人が生きている限り呪い呪われる生物であるからとかではない。
微妙に右に曲がる一本道は唐突に終わった。その代わり内臓みたいな壁とそこに貼られた100枚以上の灰色の札が目の前に立ちふさがった。森本はカンテラが爆発した後から、ずっと私の左腕を両手で握っていた。森本が恐怖で手汗をかいていなかったら、彼女の握力で私のか細い腕は潰されてしまっていただろう。それぐらい強く握られていた。
「なんで、学校にこんな気持ち悪いものがあんの」
たしかに。恐怖に支配されている割に森本の発言は核心をついていた。
「そうだ。これこそが最後の不思議。なぜこんなものが学校にあるのか」
トショイインチョウはまるで私たち以外の第三者に分かりやすく説明するかのように言った。
「これが最後の不思議」
久住はそう呟いて奇妙な壁を目に焼き付けていた。それは勝手にすればいいとして、我らの合言葉ラストオブワンダーはどうした。
こんなの考えても分からないと私は道半ばで諦めようとした。その時、急にトショイインチョウがしゃがみ込んで床を調べ始めた。しゃがみ込んだトショイインチョウの後頭部を何気なく眺めていたら、彼の耳の裏に爆発したカンテラのガラス片が突き刺さっているのが見えた。ここまで全くそんなそぶりは見せなかったのに。弱いところなんて一つも見せないで。私たちの精神的支柱になるために、心配はかけさせるわけにはいかないって抱え込んだのかな。ああ、ずるいくらいにかっこいいな。私は諦められなくなった。トショイインチョウのために。自分の好きな自分のために。
トショイインチョウは指を下に向けたジェスチャーをした。戦闘不能の森本を落ち着かせて、私と久住は彼が指したところを覗き込む。そこには汚い文字でこう書かれていた。
「不思議を解きたければ、壁に貼られた札を1人1枚剥がすこと。なお、剥がした札の裏側が真っ赤だった場合、貴方は前置きなく呪われる。呪われるのが怖い者は帰ると良い」
森本のために久住が声に出してゆっくりと読み上げた。
トショイインチョウは丸めていた背中を伸ばしながら、背後を振り返り、森本を一瞥した。静寂の音が流れる。誰の会話の番か分からない。
「どうする? 無理してやることじゃない。帰るなら今のうちだ」
「待って。かんちゃんは札を剥がさなくていい。私が2枚剥がせばいいでしょ」
「いや、そうはいかない。ここには1人1枚と書いてある。ルールを守るなら森本さんも1枚剥がさないといけない」
「なんだよ、もう。こんな不気味なところ今さら一人で引き返せないって。もう勝手にやってくれよ」
「みいこさん、彼女を頼んだ。僕は引くよ。このために来たんだから」
なんで私は下の名前で呼ばれたんだろう。ああ、作者の都合か。
トショイインチョウは奇妙な壁を前にして、腕を組んで考え込んでいるようだった。逞しい肩の筋肉からは恐怖と無縁の勇猛さが滲み出ていた。
左手を伸ばし、ちょうどトショイインチョウの目線の高さに貼られた札に指をかける。かなり強力に貼られているようで剥がすのに時間がかかった。トショイインチョウは上から剥がすことを諦めて、札の下の方から剥がそうと試みた。
「ぎゃあおう」
また、どこかのカンテラが爆発した。その衝撃波か風か分からないが、トショイインチョウが剥がそうとしていた札がふわりと浮かび、裏面が私たちの視界に入った。
赤かった。
札の上部は壁にぴったりとくっついていたので、札は剝がれることなくまた元通りの位置で静止した。
「見た?」
トショイインチョウが笑いを堪えているみたいに小刻みに震えながら、私たちの方に振り返った。久住は床を見て目を合わせないようにしていた。
「これ、まだ剥がしてないからセーフってことで大丈夫そ?」
多分、だめそ。
「なあ、私は部屋までは入らないって言ったんだけど」
森本が一番後ろでぶつくさ言っている。その前に私。その前に見上げる形で久住がトショイインチョウに話しかけている。
「うわっ、なんかいる。なんかいるって。きもっ」
また何かを見つけた森本が喚いている。私は容赦なく進んでいく巨大なトショイインチョウと巨大ではない久住が森本を置いていかないように牽制しながら、怖がりの森本の心配もするという真ん中っ子精神を発揮しなければいけなかった。私は末っ子として生まれたはずだが、この調子だと遅かれ早かれ真ん中っ子になるのだろう。
道は僅かに右側に曲がっているようだった。左側に吊るされたカンテラの数が最初より減っているような気がする。右に少し曲がっているから左側の壁の方が右側の壁より長くなっているはずで、右側と左側に同じ数のカンテラを吊るすと左の方がカンテラ同士の間隔は広くなるのだから自然か、と一人で合点がいったところで、左側にあった一つのカンテラが爆発した。
「うぎゃあ」
腰から砕け落ちた森本は顎を殴られたときの吾妻遷に似ていた。正直、前文の吾妻遷のところには人間であれば誰を入れても良かった。顔はめパネルと一緒だね。
「大丈夫?」
尻もちをついた森本に手を伸ばした私と対照的に久住は手を叩いて大笑いをしていた。
対照的?
「仮に私が呪われたら私が久住を呪うから」
この店は奢ってもらったから次の店は私が奢るね、の構文を使って恐ろしく悲しい言葉を吐き捨てた。
「大丈夫だよ。かんちゃんが呪われることはないから」
久住のこの発言は誤っていた。それは人が生きている限り呪い呪われる生物であるからとかではない。
微妙に右に曲がる一本道は唐突に終わった。その代わり内臓みたいな壁とそこに貼られた100枚以上の灰色の札が目の前に立ちふさがった。森本はカンテラが爆発した後から、ずっと私の左腕を両手で握っていた。森本が恐怖で手汗をかいていなかったら、彼女の握力で私のか細い腕は潰されてしまっていただろう。それぐらい強く握られていた。
「なんで、学校にこんな気持ち悪いものがあんの」
たしかに。恐怖に支配されている割に森本の発言は核心をついていた。
「そうだ。これこそが最後の不思議。なぜこんなものが学校にあるのか」
トショイインチョウはまるで私たち以外の第三者に分かりやすく説明するかのように言った。
「これが最後の不思議」
久住はそう呟いて奇妙な壁を目に焼き付けていた。それは勝手にすればいいとして、我らの合言葉ラストオブワンダーはどうした。
こんなの考えても分からないと私は道半ばで諦めようとした。その時、急にトショイインチョウがしゃがみ込んで床を調べ始めた。しゃがみ込んだトショイインチョウの後頭部を何気なく眺めていたら、彼の耳の裏に爆発したカンテラのガラス片が突き刺さっているのが見えた。ここまで全くそんなそぶりは見せなかったのに。弱いところなんて一つも見せないで。私たちの精神的支柱になるために、心配はかけさせるわけにはいかないって抱え込んだのかな。ああ、ずるいくらいにかっこいいな。私は諦められなくなった。トショイインチョウのために。自分の好きな自分のために。
トショイインチョウは指を下に向けたジェスチャーをした。戦闘不能の森本を落ち着かせて、私と久住は彼が指したところを覗き込む。そこには汚い文字でこう書かれていた。
「不思議を解きたければ、壁に貼られた札を1人1枚剥がすこと。なお、剥がした札の裏側が真っ赤だった場合、貴方は前置きなく呪われる。呪われるのが怖い者は帰ると良い」
森本のために久住が声に出してゆっくりと読み上げた。
トショイインチョウは丸めていた背中を伸ばしながら、背後を振り返り、森本を一瞥した。静寂の音が流れる。誰の会話の番か分からない。
「どうする? 無理してやることじゃない。帰るなら今のうちだ」
「待って。かんちゃんは札を剥がさなくていい。私が2枚剥がせばいいでしょ」
「いや、そうはいかない。ここには1人1枚と書いてある。ルールを守るなら森本さんも1枚剥がさないといけない」
「なんだよ、もう。こんな不気味なところ今さら一人で引き返せないって。もう勝手にやってくれよ」
「みいこさん、彼女を頼んだ。僕は引くよ。このために来たんだから」
なんで私は下の名前で呼ばれたんだろう。ああ、作者の都合か。
トショイインチョウは奇妙な壁を前にして、腕を組んで考え込んでいるようだった。逞しい肩の筋肉からは恐怖と無縁の勇猛さが滲み出ていた。
左手を伸ばし、ちょうどトショイインチョウの目線の高さに貼られた札に指をかける。かなり強力に貼られているようで剥がすのに時間がかかった。トショイインチョウは上から剥がすことを諦めて、札の下の方から剥がそうと試みた。
「ぎゃあおう」
また、どこかのカンテラが爆発した。その衝撃波か風か分からないが、トショイインチョウが剥がそうとしていた札がふわりと浮かび、裏面が私たちの視界に入った。
赤かった。
札の上部は壁にぴったりとくっついていたので、札は剝がれることなくまた元通りの位置で静止した。
「見た?」
トショイインチョウが笑いを堪えているみたいに小刻みに震えながら、私たちの方に振り返った。久住は床を見て目を合わせないようにしていた。
「これ、まだ剥がしてないからセーフってことで大丈夫そ?」
多分、だめそ。