第38話石舞台古墳は大きいな

文字数 1,751文字

「今度は石舞台古墳に行ってみるぞ」
しかしまたそこに行くまでにも近くて、自転車を漕ぎ出してから10分ほどで到着してしまった。
「本当に明日香村の史跡は、狭い範囲に集中しているんだな」
そして入場料金を払って石室に向かって歩いて行くと、その石組みの大きさに圧倒されてしまった。
「現代社会では当たり前のように使用している重機も無かった時代に、どのようにしてこんな巨石を運んで来たのであろうか?
しかも綺麗に上に積み重ねてもあるし。
エジプトのピラミッドも凄いとは思うのだが、この石舞台古墳を造った技術も凄いなあ。
これも約1400年前に造られたという話だから、日本の土木技術もその頃から既に世界の先端を行っていたという事か。
しかし、ここには誰が被葬されていたのかは不明だという。
ミステリーだなあ」
そして石舞台古墳の石室内は解放されており、中へと入ってみた。
すると先ほど見てきた高松塚古墳のレプリカと比べてみると、その規模の違いに驚かされてしまった。
長さ7メートル70センチ、幅が3メートル50センチ、そして高さが4メートル70センチも有るそうである。
「この大きさからして余程の当時の権力者が、ここには埋葬されていたんだろうな?
今では高松塚古墳と同じく、がらんどうになっているだけなのだが」
その後、俺は石室内から出てきて敷地内にあるベンチに座り、周りの風景を眺めていた。
そしてこの古墳が大勢の人たちの手によって造られたであろう1400年前の様子を空想して、ロマンに浸っていた。
すると4月上旬の暖かい日差しを背中に受け、ウトウトとしてきてしまった。
「あ、俺はこんなことは、していられないんだ。
高松塚古墳から新たに見つかった文字についての正確な解釈を得るために、遥々とこの地までやって来たんだ。
ところで、もう何時になるのかな?
午後3時半か」
そこで俺は持ってきていた明日香村の観光ガイドを、何気なくパラパラッと捲っていってみた。
するとそこには、この地域の特産品である古代米や手延べそうめん、それと柿の葉寿司などが載っていた。
その他にも、この場所から近くにある橘寺という所で、後の聖徳太子となる厩戸皇子が誕生した事なども記載されていた。
「長閑に見えるこの地域に奈良、平安よりも古い飛鳥時代の都があったとはなあ。
それとなになに、その頃には我が国の呼び方も、まだ日本という言い方にはなっていなくて倭国と呼ばれていたのか。
フーン、歴史を感じるなあ。
ところでこの石舞台古墳と高松塚古墳とでは、どちらの方が古いのだろうか?」
そこで俺はガイドの中の、年表の欄を開いてみた。
「ああなるほど、石舞台古墳が造られたのが西暦600年前後で、高松塚古墳が西暦694年から710年の間に造られたと書いてあるな。
と言うことは、こちらの方が100年ほど古いんだ」
そこで俺は高松塚壁画館に入館した時にもらった館内の案内を鞄の中から取り出し、改めて見てみる事にした。
そしてユックリとその解説文を読み進めていくと、意外な文字が目に飛び込んできた。
それは鳳凰という文字であり、そこの解説文に書いてあった内容とはこうであった。
「高松塚古墳の石室内にある壁に描かれている四神について。
四神とは天の四方の方角を司る、中国の神話に出てくる伝説の神獣である。
北方の守護神は玄武といい、亀の甲に蛇が巻き付いた形をしている。
東方の守護神は青龍といい、青色の龍の形をしている。
西方の守護神は白虎といい、白い虎、または伝説上の生物である麒麟の形をしている。
そして南方の守護神は朱雀といい、神鳥、または鳳凰の形をしている」
「これだ、高松塚古墳の石室内にある南方の守護神が鳳凰という事だったんだ」
俺は中国にそのような神話があったこと自体を、全く知らないでいた。
そこでこう思ったのである。
「もう一度、高松塚壁画館へと行ってみたいな。
何時までやっているのだろうか?
あ、午後5時までか、まだ間に合うな。
よし、もう一度行ってみよう」
俺は高揚した気分で、来るときの倍ぐらいの速さで自転車を漕いでいった。
それは不思議なマリモに関する、貴重なヒントとなる何かを掴めそうな予感がしたからであった。



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