錦糸町は、お菓子の街である①

文字数 1,853文字

 タイトルのように言われて、
「確かにそうだよね」とか
「言われてみれば!」なんて人はほとんどいないはず。
 錦糸町に住んでいる人たちですら、少ないのではないでしょうか。

 でも、はっきりと宣言します。
『錦糸町は、お菓子の街である』と。
 それでは、お菓子の街・錦糸町を紐解いていきましょう。

 まずは恒例(?)、亀戸との比較から。
 街としての歴史を反映してか、亀戸にはくずもちの「船橋屋」を筆頭に、亀の子せん「押上せんべい本舗」、天神煎餅「大木屋」など和菓子の老舗店が多くあります。
 それに対し、錦糸町で老舗の和菓子と言えば、人形焼の「山田屋」くらい。
「何だよ。錦糸町よりもまた亀戸の方が……」との声も聞こえてきそうですが、そこはグッと堪えていただき、まずは錦糸町の先攻で。


 「山田屋」は錦糸町駅・南口から徒歩二分ほど、昭和二十六年創業の人形焼専門店です。元々が卵問屋だったと言うこともあり、卵かけご飯専用ともいわれている高級卵「奥久慈卵」を生地に使用。口当たりもよく、しっとりした食感と、甘さを控えたこしあんが相まって、つい二個、三個と手を伸ばしてしまう程の美味しさ。甘いもの好きにはたまりません。
 あの料理評論家の服部幸應さんも推薦し、お取り寄せサイト「服部幸應のお取り寄せ」では売れ筋ランキング第一位を誇ります。

 ここからは一歩ディープな情報を。
 山田屋の人形焼は包装紙も有名なのです。
 緑色の包装紙に描かれているのは、江戸文化研究家でもある漫画家の宮尾しげをさんによる「本所七不思議」。江戸の頃から伝わる怪談をモチーフにしたイラストは、創業時の店主が「錦糸町名物に」との思いで宮尾氏に依頼し、ずっと守り続けてきたものになります。
 ちなみに本所とは、現在の墨田区のほぼ南半分を占める地域名で、江戸時代の居住区の一つでした。本所の名が歴史に出てくるのは、赤穂浪士の討ち入りで有名な忠臣蔵。討たれた吉良上野介の邸宅が本所松坂町(現在の両国三丁目)にあり、現在は本所松坂町公園となっています。
 亡くなった祖母は電話で挨拶するときに、かならず「本所の○○です」と言っていたのが思い出されます。祖母の世代だと「錦糸町の」ではなく、「本所の」だったんですね。
 警察署や消防署も「錦糸警察」「錦糸消防」ではなく「本所警察」「本所消防」というのも、本所という名の歴史を感じさせます。

 山田屋さんの話に戻ると、なぜ、本所七不思議だったのか?
 それには理由があり、錦糸町の由来ともなった錦糸堀を舞台にした「おいてけ堀」というお話が七不思議の中にあるからです。
 
 他のものを残したまま、その場を去ってしまうことを意味する「置いてきぼり」の由来となったとされるこのお話は、錦糸堀で釣りをして帰ろうとすると、どこからか「おいてけ~、おいてけ~」という声が聞こえ、いつの間にか釣ったはずの魚がなくなってしまう……そして、いつしか「おいてけ堀」と呼ばれるようになった、というものです。狸の仕業とも河童の仕業ともいわれていますが、山田屋さんでは狸説を採用。可愛い狸の人形焼きが一番人気になっています。
 山田屋さんから歩いて五分ほどにある錦糸堀公園では河童説を採用し、由来書きの看板と河童の像があるので、山田屋さんで買った狸の人形焼き(一個百八円からバラ売りもしています)を錦糸堀公園のベンチで食しながら、狸と河童のどちらに軍配が上がるのか、比べてみるのも一興です。
 
 この(くだり)を書いている途中で、小学生の時に山田屋さんの包装紙を題材として、地元の歴史を考える授業があったことを思い出しました。この包装紙に影響を受けたのは当時の担任だけでなく、作家の宮部みゆき氏もその一人です。
 山田屋さんを御贔屓にしていたそうで、包装紙をヒントに「本所深川ふしぎ草紙」(新潮社)を執筆。同作で吉川英治文学新人賞を受賞しています。

 人形焼きは四種類ありますが、狸のみの箱入りは、ふたを開けた瞬間に狸が並んでこちらを見ている様は、なかなかインパクト大。
 抜きと呼ぶ人もいる、餡なしの紅葉はトースターで表面を少しカリッと焼いて食べても美味しい。
 毎週木曜日は人形焼きが二割引き!
 (山田屋さんの話を書いた翌日、木曜まで待てずに狸・太鼓・三笠を各二個ずつ買ってきました♪。締めて五百四十円なり。)

 といったおまけ情報をご披露したところで、続いては亀戸の老舗和菓子をご紹介します。
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