壊れていく

文字数 1,134文字

 夜中。
 リンリン、リンリンという断続的な金属音に、意識が浮上する。
「ワタルっ!ワタルっ!」
 呼び鈴の音と一緒に、祖母の声が聞こえてきた。
 慌てて目覚ましを確認すると、セットしそこなっている。
 睡魔に負けて、ONの入れ方が甘かったようだ。
 
 寝室のドアを開けたのと同時にお盆が飛んできて、乗っていた薬袋が顔に当たる。
「遅いっ!」
 ダウンライトのスイッチを入れると、介護ベッドに半身起き上がらせた祖母が、ブルブルと震えていた。

 祖母は、夜中に必ず二回、トイレに行く。
 出ないときもあるけど、そうしないと不安で寝ないんだ。
 ポータブルトイレは「歩けるのに、なんでそんなものを」と拒絶している。

(ああ、出ちゃったんだ)
「申し訳ありません、おくさ」
 バシン!バシン!
 近寄ったとたんに、握っていた孫の手が振り上げられて、とっさに頭をかばった。
「グズ!ノロマっ!使用人のクセに、まともな仕事ひとつできないでっ!」
 新しいパンツ型オムツを取り出している最中にも、孫の手は腹や腕に打ちつけられる。
 結構痛いし、顔に当たると傷になるから取り上げたいけど、もっと騒ぎだすので我慢。
 母を起こしてしまうから。
「ごめんね、おばあちゃん、履き替えよう」
「誰がおばあちゃんだっ!」
 しまった。
 眠くて痛くて、設定を忘れていた。
 回らない頭で、どう切り抜けようかと、ボンヤリしていたのが悪かったのだろう。
 突然、高齢者とは思えないような力で突き飛ばされた。
 ガシャン!
 尻もちをついたところにあったサイドテーブルの角に、思い切り頭をぶつけてしまう。
「いってぇ……」
 痛みに耐えている間も、祖母の口は閉じられることがない。
「アタシは不幸だよっ!こんな目にあわされてっ」
「早くしなっ!誰のおかげで生きていられるんだいっ」
 これは病気が言わせている言葉。
 優しかった祖母が消えたわけじゃない。
 病気だから、仕方がないんだ。
「ごくつぶし!」
「出ていけ!」
「お前なんか、この世にいなくてもいいんだよっ!」
 
 目の前が真っ赤になった。 

 イナクテイイノハ、オマエダロ。
 オイサキミジカイクセニ。ナンデオレガ。ナンデオレバッカリ。

 いつの間にか、祖母の胸倉をつかんでいた。
「無礼モノっ」
 
 ウルサイ。ソノクチヲトジロ。
 
 思い切り振り上げた拳を、誰かがひっつかんで引き戻した。
 振り返ると、鬼みたいな顔をした母親が、涙を流している。
 何も言わないまま、ただ震えている母親を見て、我に返った。
 俺は、祖母を殴ろうと……。
 その事実に気づいたとたんに、膝から力が抜ける。
「ごめん、俺、起きれなくて。……迷惑かけて、ごめん、母さん」
 
 本当だね、おばあちゃん。
 俺は、この世にいないほうがいいね。
 もう……、疲れた。
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