第1話 失恋
文字数 1,548文字
もう、だめだ。
これで私には何もかもなくなってしまった。
和樹の荷物がすべて運び出されやけに広くなった、つい昨日まで二人暮らしだったこの部屋。射し込む夕日を背中に受けながら、その場に呆然と立ち尽くしている私には、もう流す涙さえ残っていなかった。
背後では11月の太陽がだんだんと沈んでいき、部屋の中はどんどん薄暗くなっていく。温度も下がって肌寒いはずだが、私には体の感覚さえも無くなってしまったらしく、もう何も感じない。
暗く沈んでいく二人の部屋を、私はそこに突っ立ったまま、ただ見守ることしかできなかった。
和樹はもういない。どこにもいない。私の世界を遠く離れて、知らない女のところへ行ってしまった。そして春には、子どもが産まれるのだという。
私が19歳、和樹が22歳の時からだから、もう10年以上の付き合いになる。そりゃあケンカもしたし別れる別れないなんて言いあった事もあった。でも、和樹とはずっと一緒にいるんだと、死ぬまで離れることはないんだと、そう信じて疑わなかった私。いま思えば、なんの保障もないんだし、二人の関係に確信を持つなんておかしな事だったと思えるのだけど。
とにかく、いつも和樹に頼りきって生きてきた私は、今ではもう片手片足をもがれたも同然。いつの間にか、一人ではまっすぐ立つことすらできなくなっていた事に気付く。明日からどうしたらいいのかわからない。もう、私にできることなんて何もない。
死のう。
私は死に場所について考えた。高層ビルから飛び降りる? 路上に無残に砕け散った自分を想像すると、恐ろしくなった。電車に飛び込む? バラバラの肉片になり線路にへばりつく。それに電車を止めた場合の損害賠償なんて支払うあては当然ない。だめだ。部屋で首をつる? これは唯一の肉親である弟の達也が、第一発見者になる可能性が高い。そんなかわいそうな事、できない。
そうだ。高い崖から海に向かって飛び込もう。そうすれば死体も残らないし、かける迷惑も最小限で済むだろう。
私はそう決意すると、貯金を下ろして適当な中古車屋へ行った。きわどい崖まで行くにはやはり車が必要だろう。今までも時々運転はしていたが、乗っていた車は和樹のものだったから、急遽自分の車が必要になったという訳だ。
スズキのワゴンRという軽自動車が、手頃な価格でちょうど良さそうに思えた。車のメンテナンスは和樹にお任せだったから車のことなんて全然わからないし、第一耐久性は求めていない、どうせ片道切符なんだから。お店の人に勧められるがまま、私は即決した。
さっそくそのモスグリーンの小さい車に乗り込むと、福井県にある東尋坊を目指した。場所に特に思い入れがあるわけでもなく、ネット検索で決めただけのこと。自殺の名所、か。いいんじゃない。
スマホの地図アプリによると、ここから5時間ほどで行けるらしい。今から行けばちょうど日が暮れるころになる。私はたった一人で、最後のドライブを始めた。
何年式の車種なのか確認すらしていないが(なんか説明されたような気はするけど)、車には古いタイプのカーラジオが付いていた。なんとなくオンにしてみる。ラジオDJの軽快なおしゃべりと、ちょっと昔に流行ったような曲が流れてきた。私はどうでもいいような気持ちで、聞くとはなしに耳を傾けていた。すると、
「カナさん」と、ラジオから私の名前が呼ばれた。
私は一瞬どきっとしたが、意識半分で聞き流していたので、たまたま同じ名前だったのだろうと特に気には留めなかった。その時ラジオは曲紹介のような事をしゃべっているようだった。ところがまた、
「カナさん、カナさん」
と、今度は2度、名前が呼ばれた。ラジオの内容とは何の関係もなく、DJの声でもない。知らない女の声だ。
これで私には何もかもなくなってしまった。
和樹の荷物がすべて運び出されやけに広くなった、つい昨日まで二人暮らしだったこの部屋。射し込む夕日を背中に受けながら、その場に呆然と立ち尽くしている私には、もう流す涙さえ残っていなかった。
背後では11月の太陽がだんだんと沈んでいき、部屋の中はどんどん薄暗くなっていく。温度も下がって肌寒いはずだが、私には体の感覚さえも無くなってしまったらしく、もう何も感じない。
暗く沈んでいく二人の部屋を、私はそこに突っ立ったまま、ただ見守ることしかできなかった。
和樹はもういない。どこにもいない。私の世界を遠く離れて、知らない女のところへ行ってしまった。そして春には、子どもが産まれるのだという。
私が19歳、和樹が22歳の時からだから、もう10年以上の付き合いになる。そりゃあケンカもしたし別れる別れないなんて言いあった事もあった。でも、和樹とはずっと一緒にいるんだと、死ぬまで離れることはないんだと、そう信じて疑わなかった私。いま思えば、なんの保障もないんだし、二人の関係に確信を持つなんておかしな事だったと思えるのだけど。
とにかく、いつも和樹に頼りきって生きてきた私は、今ではもう片手片足をもがれたも同然。いつの間にか、一人ではまっすぐ立つことすらできなくなっていた事に気付く。明日からどうしたらいいのかわからない。もう、私にできることなんて何もない。
死のう。
私は死に場所について考えた。高層ビルから飛び降りる? 路上に無残に砕け散った自分を想像すると、恐ろしくなった。電車に飛び込む? バラバラの肉片になり線路にへばりつく。それに電車を止めた場合の損害賠償なんて支払うあては当然ない。だめだ。部屋で首をつる? これは唯一の肉親である弟の達也が、第一発見者になる可能性が高い。そんなかわいそうな事、できない。
そうだ。高い崖から海に向かって飛び込もう。そうすれば死体も残らないし、かける迷惑も最小限で済むだろう。
私はそう決意すると、貯金を下ろして適当な中古車屋へ行った。きわどい崖まで行くにはやはり車が必要だろう。今までも時々運転はしていたが、乗っていた車は和樹のものだったから、急遽自分の車が必要になったという訳だ。
スズキのワゴンRという軽自動車が、手頃な価格でちょうど良さそうに思えた。車のメンテナンスは和樹にお任せだったから車のことなんて全然わからないし、第一耐久性は求めていない、どうせ片道切符なんだから。お店の人に勧められるがまま、私は即決した。
さっそくそのモスグリーンの小さい車に乗り込むと、福井県にある東尋坊を目指した。場所に特に思い入れがあるわけでもなく、ネット検索で決めただけのこと。自殺の名所、か。いいんじゃない。
スマホの地図アプリによると、ここから5時間ほどで行けるらしい。今から行けばちょうど日が暮れるころになる。私はたった一人で、最後のドライブを始めた。
何年式の車種なのか確認すらしていないが(なんか説明されたような気はするけど)、車には古いタイプのカーラジオが付いていた。なんとなくオンにしてみる。ラジオDJの軽快なおしゃべりと、ちょっと昔に流行ったような曲が流れてきた。私はどうでもいいような気持ちで、聞くとはなしに耳を傾けていた。すると、
「カナさん」と、ラジオから私の名前が呼ばれた。
私は一瞬どきっとしたが、意識半分で聞き流していたので、たまたま同じ名前だったのだろうと特に気には留めなかった。その時ラジオは曲紹介のような事をしゃべっているようだった。ところがまた、
「カナさん、カナさん」
と、今度は2度、名前が呼ばれた。ラジオの内容とは何の関係もなく、DJの声でもない。知らない女の声だ。