第2話 壁ドン
文字数 2,564文字
「壁ドン」とは、誰かが誰かを壁際に追い詰めて、手を壁にドンと突き迫る行為のことを指す。
学校の昼休み、購買部で買った焼きそばパンを食べようと中庭までやってきた佐原メダカは、「壁ドン」を目撃した。
枯れた芝生の中庭で。
空美野涙子が、御陵初命に、壁ドンをしている!
メダカが片思いをしている涙子は、女性しかいない当学園の〈王子様〉だし、壁ドンされている御陵は〈オタサーの姫〉である。ベストツーショット。なのだが。
「納得できない……ッッッ」
長い前髪の奥の目を光らせ、佐原メダカは憤慨した。
「涙子さんの女癖の悪さは生徒会の御陵会長にまで及んだのね! これは乱入するしか……ないッ!」
「ちょっと! 待ちなさい、佐原メダカ!」
背後から腕を引っ張られた。
振り向くと腕を掴んでいるのは風紀委員の金糸雀ラズリだった。
「ちょっと風紀委員! その手を放して!」
「ダメ。離しませんわ!」
グイっと腕を自分の方へ引き寄せるラズリ。引っ張られたメダカはラズリに抱きしめられるかたちになった。
「ちょっ! なっ? なにすんのよ、ラズリ!」
顔が真っ赤になるメダカ。ラズリの顔を覗くと、ラズリも頬を赤く染めているし、目は泳いでいる。
「ば、バカ! こっち向かないでもらえないかしら。……ひとの顔をじろじろ覗くなああぁぁ」
ラズリの胸がムニムニとメダカの身体に密着して動く。鼓動が伝わってくる。心拍数、高めだ。
「至近距離でなに言ってるの。あんた風紀委員でしょ! 自分でわたしを引き寄せたんじゃない! これ風紀乱れてるんじゃないの」
これよこれ、とムニムニする胸を突っついて指摘するメダカ。
「す、好きで抱きしめてるわけじゃ……」
ラズリとメダカの目が合う。相手の吐息がかかる距離。二人は抱きしめあったまま、見つめあっている。金縛りにあったかのように硬直してしまったのだ。どうしていいのか、互いにわからないのだ。二人は高校一年生。季節は冬で、場所は学園高等部の中庭。抱きしめあう身体が暖かい。シチュエーション的にも『それっぽい』感じがしてしまう二人だった。
「はっ!」
我に返る金糸雀ラズリ。
「そうじゃない。流されそうになったわ、危ない危ない、この小娘。わたしは一体なにを?って、いや、そうじゃないの。生徒会会長と副会長は今、揉めてるのよ!」
「胸を?」
「その『揉む』じゃないですわよ、この脳内ピンク魔人!」
自分で引き寄せたメダカの身体を今度は突っぱねるラズリ。後ずさるメダカ。
少し二人の距離が離れた。
「二人はやましいことをしてるわけじゃありません。それと、わたしと佐原メダカも、ね!」
「へいへい。そーですかぁ」
「二人がなにを話しているのか、そっと近づいて聴きますわよ」
「あー。そーいう流れなのね」
メダカとラズリは校舎の物陰に隠れて、涙子と御陵の会話を盗み聞きする。
涙子は御陵に壁ドンしながら話す。
「……だいたいおまえさぁ、マジョリティなんだよ、多数派もいいところだろ、みんなから選ばれた生徒会長だしよぉ。歌を歌えば〈オタサーの姫〉に様変わり。おまえ、差別のひとつも受けずになにがジャズなんだ。笑わせてくれる」
「嫉妬かしら。人気者のわたしに対する」
「そう取ってくれても構わない」
と、そこで声を潜める。
「〈研究所〉がまた碌でもないこと考えてるらしいじゃないか」
「ああ。その話? 〈研究所〉の総意こそがこの街と学園の多数派とイコールで良いのでなくて? マジョリティっていうのならば、それは街の〈研究所派〉でしょ。生徒会の介入は、今回はありません」
「嘘つくなよ!」
壁を再び、ドン、と叩いて歯ぎしりをする涙子。
「御陵! 〈コールドスリープ病棟〉から近江キアラを外に出したらしいじゃねーか」
「あら? あなたのお父様の空美野宗厚の指示よ。空美野学園理事長であり、〈研究所〉所長の、ね」
「生徒会で預かった近江キアラを使ってなにする気だ」
「新薬の治験よ」
「治験?」
「そう、新薬の被験体になってもらうの。治験は今日からよ。荷物まとめて〈住宅街〉に引っ越してきた頃合いだと思うわ」
「どうせ危ない実験なんだろ。誰が監視するんだ?」
「それはほらぁ」
御陵は首は動かさず、正確に、指をさした。近くの物陰に隠れて話を聞いていたメダカとラズリを。
「この娘たちに、お薬の運び屋をやってもらいます」
にやり、と涙子に向けて邪悪そうな笑みを浮かべる生徒会長の御陵。
「よそ見すんな。あたしを見ろ、御陵」
壁ドンしてないほうの手で御陵のあごをくいっと上げて、涙子は御陵を見つめ、それから軽くキスをした。
「なにをするの!」
横を向く御陵。
「あたしの口は軽くてね。これは口を閉ざすおまじないだ」
一連の動作を見てメダカは、
「涙子さんとキスを! 会長、ぶっ殺す」
と、怒りをあらわにした。
壁ドンを解かれた御陵初命生徒会長はキスされた口を手で拭い、佐原メダカの前に立つ。
「話は聞いていたかしら」
物陰に隠れるの、失敗。
メダカに威圧的態度を取る御陵。
「近江キアラなんて知らない」
「そう。これから知ることになるわよ。よろしくて?」
会長はメダカの瞳を見つめた。射すくめられ、動けなくなる。
「う。動けな……い」
空美野涙子は説明する。
「佐原メダカ。この、オタサーの姫である会長は心と空間を操るディスオーダーである〈ディペンデンシー〉能力者だ。奴のその瞳はひとを石化させるとまで言われている。無理するな、ここは退け。あたしは朽葉珈琲店で待ってる」
「え? デートのお誘い?」
「違うぜ、バカ」
そこで昼休み終了のチャイムが鳴る。
「あぁん。焼きそばパン、食べる時間がなかったー」
チャイムと同時に、おなかの虫が鳴るメダカ。しかし、身体が動かない。
「石化する能力っていうのは本当なのね……」
異能力。存在を知っても未だに慣れない。
学校の昼休み、購買部で買った焼きそばパンを食べようと中庭までやってきた佐原メダカは、「壁ドン」を目撃した。
枯れた芝生の中庭で。
空美野涙子が、御陵初命に、壁ドンをしている!
メダカが片思いをしている涙子は、女性しかいない当学園の〈王子様〉だし、壁ドンされている御陵は〈オタサーの姫〉である。ベストツーショット。なのだが。
「納得できない……ッッッ」
長い前髪の奥の目を光らせ、佐原メダカは憤慨した。
「涙子さんの女癖の悪さは生徒会の御陵会長にまで及んだのね! これは乱入するしか……ないッ!」
「ちょっと! 待ちなさい、佐原メダカ!」
背後から腕を引っ張られた。
振り向くと腕を掴んでいるのは風紀委員の金糸雀ラズリだった。
「ちょっと風紀委員! その手を放して!」
「ダメ。離しませんわ!」
グイっと腕を自分の方へ引き寄せるラズリ。引っ張られたメダカはラズリに抱きしめられるかたちになった。
「ちょっ! なっ? なにすんのよ、ラズリ!」
顔が真っ赤になるメダカ。ラズリの顔を覗くと、ラズリも頬を赤く染めているし、目は泳いでいる。
「ば、バカ! こっち向かないでもらえないかしら。……ひとの顔をじろじろ覗くなああぁぁ」
ラズリの胸がムニムニとメダカの身体に密着して動く。鼓動が伝わってくる。心拍数、高めだ。
「至近距離でなに言ってるの。あんた風紀委員でしょ! 自分でわたしを引き寄せたんじゃない! これ風紀乱れてるんじゃないの」
これよこれ、とムニムニする胸を突っついて指摘するメダカ。
「す、好きで抱きしめてるわけじゃ……」
ラズリとメダカの目が合う。相手の吐息がかかる距離。二人は抱きしめあったまま、見つめあっている。金縛りにあったかのように硬直してしまったのだ。どうしていいのか、互いにわからないのだ。二人は高校一年生。季節は冬で、場所は学園高等部の中庭。抱きしめあう身体が暖かい。シチュエーション的にも『それっぽい』感じがしてしまう二人だった。
「はっ!」
我に返る金糸雀ラズリ。
「そうじゃない。流されそうになったわ、危ない危ない、この小娘。わたしは一体なにを?って、いや、そうじゃないの。生徒会会長と副会長は今、揉めてるのよ!」
「胸を?」
「その『揉む』じゃないですわよ、この脳内ピンク魔人!」
自分で引き寄せたメダカの身体を今度は突っぱねるラズリ。後ずさるメダカ。
少し二人の距離が離れた。
「二人はやましいことをしてるわけじゃありません。それと、わたしと佐原メダカも、ね!」
「へいへい。そーですかぁ」
「二人がなにを話しているのか、そっと近づいて聴きますわよ」
「あー。そーいう流れなのね」
メダカとラズリは校舎の物陰に隠れて、涙子と御陵の会話を盗み聞きする。
涙子は御陵に壁ドンしながら話す。
「……だいたいおまえさぁ、マジョリティなんだよ、多数派もいいところだろ、みんなから選ばれた生徒会長だしよぉ。歌を歌えば〈オタサーの姫〉に様変わり。おまえ、差別のひとつも受けずになにがジャズなんだ。笑わせてくれる」
「嫉妬かしら。人気者のわたしに対する」
「そう取ってくれても構わない」
と、そこで声を潜める。
「〈研究所〉がまた碌でもないこと考えてるらしいじゃないか」
「ああ。その話? 〈研究所〉の総意こそがこの街と学園の多数派とイコールで良いのでなくて? マジョリティっていうのならば、それは街の〈研究所派〉でしょ。生徒会の介入は、今回はありません」
「嘘つくなよ!」
壁を再び、ドン、と叩いて歯ぎしりをする涙子。
「御陵! 〈コールドスリープ病棟〉から近江キアラを外に出したらしいじゃねーか」
「あら? あなたのお父様の空美野宗厚の指示よ。空美野学園理事長であり、〈研究所〉所長の、ね」
「生徒会で預かった近江キアラを使ってなにする気だ」
「新薬の治験よ」
「治験?」
「そう、新薬の被験体になってもらうの。治験は今日からよ。荷物まとめて〈住宅街〉に引っ越してきた頃合いだと思うわ」
「どうせ危ない実験なんだろ。誰が監視するんだ?」
「それはほらぁ」
御陵は首は動かさず、正確に、指をさした。近くの物陰に隠れて話を聞いていたメダカとラズリを。
「この娘たちに、お薬の運び屋をやってもらいます」
にやり、と涙子に向けて邪悪そうな笑みを浮かべる生徒会長の御陵。
「よそ見すんな。あたしを見ろ、御陵」
壁ドンしてないほうの手で御陵のあごをくいっと上げて、涙子は御陵を見つめ、それから軽くキスをした。
「なにをするの!」
横を向く御陵。
「あたしの口は軽くてね。これは口を閉ざすおまじないだ」
一連の動作を見てメダカは、
「涙子さんとキスを! 会長、ぶっ殺す」
と、怒りをあらわにした。
壁ドンを解かれた御陵初命生徒会長はキスされた口を手で拭い、佐原メダカの前に立つ。
「話は聞いていたかしら」
物陰に隠れるの、失敗。
メダカに威圧的態度を取る御陵。
「近江キアラなんて知らない」
「そう。これから知ることになるわよ。よろしくて?」
会長はメダカの瞳を見つめた。射すくめられ、動けなくなる。
「う。動けな……い」
空美野涙子は説明する。
「佐原メダカ。この、オタサーの姫である会長は心と空間を操るディスオーダーである〈ディペンデンシー〉能力者だ。奴のその瞳はひとを石化させるとまで言われている。無理するな、ここは退け。あたしは朽葉珈琲店で待ってる」
「え? デートのお誘い?」
「違うぜ、バカ」
そこで昼休み終了のチャイムが鳴る。
「あぁん。焼きそばパン、食べる時間がなかったー」
チャイムと同時に、おなかの虫が鳴るメダカ。しかし、身体が動かない。
「石化する能力っていうのは本当なのね……」
異能力。存在を知っても未だに慣れない。