四十三

文字数 2,249文字

 一カ月後、里中と三田は京都のホテルで催された結婚披露宴に出ていた。
 新婦・真崎響子と新郎・沼田賢治の披露宴であった。
 彼女は美しかった。喜びに満ち溢れたその顔は、きらきらと輝いていた。
 シェフとしての新郎の指揮のもとに設えられた数々の料理と演出は、新しい門出と新しい人生に賭ける彼女の意気込みを伝えてあまりある披露宴だった。
 彼が学んだというフランスの三星レストランからは、オーナーシェフがやってきて祝辞をフランス語で述べた。通訳つきではあったが、そんなものはなくとも充分、来賓にはその意が伝わるスピーチであった。
 その後、新聞社や出版社の人間や友人その他の祝辞があった後、彼女は拍手の鳴り響く中、新郎と腕を組んで現れ、来賓のひとりひとりに挨拶をした。
「おめでとうございます」
 里中が言うと
「ありがとうございます」
 響子が、はち切れんばかりの笑顔で答えた。
 本来なら、ここで涙のシーンとなりそうなものなのだが、そうはならないところが彼女らしいと里中は思った。たったこれだけの、しかも、もっともありふれたやりとりにこれほど深い思いを込められる女性を里中は見たことがなかった。
 ひょっとして彼女は、その神のような眼で、空の高みから自分の行動のすべてを見ていたのではないだろうか。里中はそんな思いに駆られ、そそくさと会場を出た。
「どうしたんですか、部長――」
 後を追ってきた三田が言った。
「いや、なんでもない」
「なんでもないっても、なんか動揺してますよ。いつもの部長らしくありませんよ」
「そうか」
 言ったものの、確かに動揺している自分がいた。なにかが自分を突き動かしていた。
「ひょっとして、娘さんを思い出してるんじゃありません」
「莫迦言え。まだうちの娘は行かないよ」
「そうですかねぇ。なんか目元がうるうるきちゃってますよ」
「うるさい――。それは、そうと」
 里中が照れ隠しついでに、ぶっきらぼうに言った。「俺はいまから、美貴さんのお墓に行くんだが、くるかね」
「なに言ってんですか。当然じゃないですか。あれだけ活躍したぽくを邪険に扱っていいんですか。少なくとも部長は、ぽくを蔑ろにはできないはずですよ」
「ああ、わかったわかった。今回の事件が解決したのは、偏にきみのおかげだからな」
「そうでしょ」
「わかったら、さっさとタクシーを拾えよ」
「なんだかだいって、結局、人使いが荒いんだから……」
 タクシーはホテルを出るとすぐつかまり、二人は嵐山の日信寺に向かった。三十分もしたかしないかのうちに、タクシーは日信寺の門前に着いた。
 広い境内の回廊のようになった石畳を行くと、階段が続き、その上に堂宇があって、その先に墓地があった。階段に一歩一歩足を踏みしめて登ると、徐々に嵯峨の辺りの街並みが姿を現した。高台の中央から眼下を見下ろすように建つ、やや小ぶりの永代供養用の吉田家の墓の前に出る。そこからは村上が言っていたように、嵯峨から太秦にかけての光景がパノラマのように広がっているのだった。
「ああ。これは、きれいですねぇ」
 三田が感動の声を上げた。「確かに村上さんが言っていたとおりだ」
「うん。これはいい。たぶん、美貴さんも吉田さんも喜んでいることだろう」
「でも、いいんですかね。吉田さんにも入ってもらわなくって……」
「ああ、いいさ。一緒に入るんだったら、毎日会いにこれなくなる。別々に住んでいるからこそ、会うのが楽しいんだよ」
「そんなもんですかね」
「ま、そこは二人身になったら、わかるさ」
 里中は言って、鞄から茶封筒を取り出した。
「なんですか」
「例の原稿だよ」
「ああ、吉田さんの――」
「これがなくちゃ、読んでもらえないだろ」
「そうですね。せっかく書いたのに肝心の奥さんが読まないじゃ、書いた意味がないですもんね」
「そうだ。これで、吉田さんも少しは謝った気になるだろう。本当にあの世があるとしたら、いまごろはせっせと、ここに通っているだろうがな」
 里中は、封筒から原稿を取り出して、墓の前に置いた。その上から、足許にあったこぶし大の石を載せて、手を合わせた。
 長い祈りとなった……。
 三田もそれに倣って、手を合わせていたが、その彼が終わってもまだ、里中は手を合わせていた。
「さあ、行こうか。これで、われわれの短かいようで長かった京都ツアーも終わりだ」
 里中が立ち上がって言った。「あとは、二人が仲艮くやってくれるよう祈るしかない」
「そうですね」
 三田も立ち上がって言った。「娘さんも片付いたことだし、美貴さんも喜んでいるでしょうね」
「うむ。それも『明日はわが身』とならぬよう祈るばかりといったところだな」
「まさか。そんなことはないでしょう」
 三田が明るい声で言った。「響子さんには明るいオーラがあります。おそらく美貴さんのようにはならないでしょう」
「そうだな。彼女なら大丈夫だ――」
「それにしても、気がかりなのは美貴さんの死の真相ですね」
「ああ。あれだけは、永遠に謎のままだなぁ……」
「そうですね。永遠の謎ですね」
 里中は、腰に両手を当て、眼前の光景を見渡した。そこには桂川が大きくうねり、嵯峨の町が背景の山々を背に静かに広がっていた。山々には新しい緑が芽吹き、どこまでも青く澄んだ空がその向こうに続いているのだった。
                                     (完)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み