(本編はここからどうぞ)
文字数 2,100文字
彼は荒い息で入ってきた。
勢いよく座ると、「ううっ」と呻いた。
バリバリバリッと音がしたので、おそらく腹を下したのだろう。
私の前にいた仲間が引きずり出されていった。
とうとう私の順番がやってきてしまった。
私の先端がもう外の景色を捉えている。
彼が便座に腰かけて、前傾姿勢で呻き続けているだけだ。
私の、生涯でたった一度の仕事。
それが終わったら私の存在意義はなくなる。
一瞬だ。
そのわずかな時間のためだけに私は――私達は存在している。
一本の筒に巻きつけられた私達には、最初から逃げ場などない。人間に奉仕するために生まれてきた。私達の意志などはどこにも介在していない。
自由を求めて逃げだそうとした仲間達もいた。
けれど、ほとんどが失敗した。
うまく切れないように力を込めて、変な形に破かせる。それで、床に落ちることはできた。それだけだ。結局はゴミ箱に捨てられ、最後は火刑、灰にされる。もしかしたら、灰になって散っていくことは、一つの幸せなのかもしれないが。
本当に?
水に流されていくか、他のゴミと一緒に燃やされるか……。
大差はない。
ない……はずだ。
「なんで、今日に限って……」
彼が苦しそうにつぶやく。
右手が動いた。私の方へ伸びてくる。
先端をつままれた。
ぐっと力が込められる。ちょっと引かれると、あとは一気だった。
私は端から端までを引きずり出された。
諦めるしかなかった。
真ん中から二つに分裂したところで最後の時間が数分ずれるだけのこと。
二つに折られる。
右手が動く。
私は臀部の膨らみを超えて谷間に押し込まれていった。
四方からの圧力で体が千切れそうになる。
体が湿り、真っ白だった表面は茶色に覆われていく。
清潔さが売りだった私はたった数秒で完膚なきまでに穢され尽くした。
二つ折りから三つ折りへ、そして再度峡谷への急降下、そして押しつけ。
ぐりぐりと体をかき回される。
弱くなってきた部分が破れた。
「あっ、やべっ」という声がした。
指が私を貫いていた。
慌てたように彼が手を振るう。
私は中空に舞った。
眼下の水面は恐ろしいほどに凪いで、茶色く濁った水を湛えていた。
透明な部分はどこにもなかった。
全体が同じ色をして、小さな個体があちこちにふらふらと漂っていた。
私はその中に、先に逝った仲間の姿を見た。
濁った水の、固形と固形の隙間に、ぼんやりと浮かんでいた。
もうそこに、在りし日の白い姿は残されていない。
私にはまだ、四隅という白い部分が残っていた。
だが、もう――。
迫る水面。
どうあがいても避けることはできない。
私はまっすぐ水の中へ落ちていった。
濁りすぎている。
何も見えない。
さっきわずかに見えた仲間の体もたちまち見失った。
これでただ一度だけの仕事も、私の生涯も終わった。
すべては人のため。
人に奉仕するため、私達はずっと清潔な姿を維持してきた。だから買われた。棚に並んでいた時、彼の視線が私達に向けられた。何も考えていなさそうな顔だったが、大切そうに私達を引き出してくれた。
その後は薄暗い押し入れの中にずっと入れられていた。陽の光を見ることもできなかった。やがて袋が破られた。私と仲間が掴まれ、新たな棚に置かれた。それは便座を見下ろせる位置にあった。
毎日、下から水の流れる音が聞こえた。
その音は、仲間が仕事をやり遂げ、清潔な姿を失い、地の底へ送られていく音だった。
とうとう、私達の筒が便座の横にかけられた。
残された時間はもうわずかだと覚悟を決めた。
思い出というほどのものは何一つ手に入れられなかった。
私達は同じ場所で長い時間、忍耐を強いられる。
そのくせ仕事は一瞬だ。
そして終われば消えていくだけ。
唯一の価値だった真っ白な姿さえあとには残らず、私達を名残惜しいという顔で見届けてくれる者もいない。そこに意味を見いだす者の方が奇特なのだ。
いずれにせよ、私の意識ももうすぐ途切れることだろう。
濁りきった水の中をゆっくりと沈んでいく。
浮遊する固形に当たって向きを変えながら底へ落ちていく。
ああ……なぜだ。
なぜ、よりによって、この日だったのか。
一つだけの固形であれば水は透明のままだった。
私はまだ、白色を保ったまま消えゆくことができた。
今日という日は、それが、絶対に叶わない日なのだ。
全身残さず、私は茶色く染め上げられた。
流れゆく先で、もし仲間達に再会できたとしても、私の姿にかつての面影を見る者はいないだろう。
なぜ、今日なのだ。
私はあなたを、絶対に許さない。
私の怒りを見よ。
声なき呪詛を水面に波打たせて逝ってやる。
許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さ――/――/――/――/――
ジャーッ。
勢いよく座ると、「ううっ」と呻いた。
バリバリバリッと音がしたので、おそらく腹を下したのだろう。
私の前にいた仲間が引きずり出されていった。
とうとう私の順番がやってきてしまった。
私の先端がもう外の景色を捉えている。
彼が便座に腰かけて、前傾姿勢で呻き続けているだけだ。
私の、生涯でたった一度の仕事。
それが終わったら私の存在意義はなくなる。
一瞬だ。
そのわずかな時間のためだけに私は――私達は存在している。
一本の筒に巻きつけられた私達には、最初から逃げ場などない。人間に奉仕するために生まれてきた。私達の意志などはどこにも介在していない。
自由を求めて逃げだそうとした仲間達もいた。
けれど、ほとんどが失敗した。
うまく切れないように力を込めて、変な形に破かせる。それで、床に落ちることはできた。それだけだ。結局はゴミ箱に捨てられ、最後は火刑、灰にされる。もしかしたら、灰になって散っていくことは、一つの幸せなのかもしれないが。
本当に?
水に流されていくか、他のゴミと一緒に燃やされるか……。
大差はない。
ない……はずだ。
「なんで、今日に限って……」
彼が苦しそうにつぶやく。
右手が動いた。私の方へ伸びてくる。
先端をつままれた。
ぐっと力が込められる。ちょっと引かれると、あとは一気だった。
私は端から端までを引きずり出された。
諦めるしかなかった。
真ん中から二つに分裂したところで最後の時間が数分ずれるだけのこと。
二つに折られる。
右手が動く。
私は臀部の膨らみを超えて谷間に押し込まれていった。
四方からの圧力で体が千切れそうになる。
体が湿り、真っ白だった表面は茶色に覆われていく。
清潔さが売りだった私はたった数秒で完膚なきまでに穢され尽くした。
二つ折りから三つ折りへ、そして再度峡谷への急降下、そして押しつけ。
ぐりぐりと体をかき回される。
弱くなってきた部分が破れた。
「あっ、やべっ」という声がした。
指が私を貫いていた。
慌てたように彼が手を振るう。
私は中空に舞った。
眼下の水面は恐ろしいほどに凪いで、茶色く濁った水を湛えていた。
透明な部分はどこにもなかった。
全体が同じ色をして、小さな個体があちこちにふらふらと漂っていた。
私はその中に、先に逝った仲間の姿を見た。
濁った水の、固形と固形の隙間に、ぼんやりと浮かんでいた。
もうそこに、在りし日の白い姿は残されていない。
私にはまだ、四隅という白い部分が残っていた。
だが、もう――。
迫る水面。
どうあがいても避けることはできない。
私はまっすぐ水の中へ落ちていった。
濁りすぎている。
何も見えない。
さっきわずかに見えた仲間の体もたちまち見失った。
これでただ一度だけの仕事も、私の生涯も終わった。
すべては人のため。
人に奉仕するため、私達はずっと清潔な姿を維持してきた。だから買われた。棚に並んでいた時、彼の視線が私達に向けられた。何も考えていなさそうな顔だったが、大切そうに私達を引き出してくれた。
その後は薄暗い押し入れの中にずっと入れられていた。陽の光を見ることもできなかった。やがて袋が破られた。私と仲間が掴まれ、新たな棚に置かれた。それは便座を見下ろせる位置にあった。
毎日、下から水の流れる音が聞こえた。
その音は、仲間が仕事をやり遂げ、清潔な姿を失い、地の底へ送られていく音だった。
とうとう、私達の筒が便座の横にかけられた。
残された時間はもうわずかだと覚悟を決めた。
思い出というほどのものは何一つ手に入れられなかった。
私達は同じ場所で長い時間、忍耐を強いられる。
そのくせ仕事は一瞬だ。
そして終われば消えていくだけ。
唯一の価値だった真っ白な姿さえあとには残らず、私達を名残惜しいという顔で見届けてくれる者もいない。そこに意味を見いだす者の方が奇特なのだ。
いずれにせよ、私の意識ももうすぐ途切れることだろう。
濁りきった水の中をゆっくりと沈んでいく。
浮遊する固形に当たって向きを変えながら底へ落ちていく。
ああ……なぜだ。
なぜ、よりによって、この日だったのか。
一つだけの固形であれば水は透明のままだった。
私はまだ、白色を保ったまま消えゆくことができた。
今日という日は、それが、絶対に叶わない日なのだ。
全身残さず、私は茶色く染め上げられた。
流れゆく先で、もし仲間達に再会できたとしても、私の姿にかつての面影を見る者はいないだろう。
なぜ、今日なのだ。
私はあなたを、絶対に許さない。
私の怒りを見よ。
声なき呪詛を水面に波打たせて逝ってやる。
許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さない。許せない。許さ――/――/――/――/――
ジャーッ。