第62話 汚名を雪(すす)ぐ人たちと恥を上塗るひとたち

文字数 2,044文字

 バンから降り立ち反射鏡のセッティングをしようとしていると賢人のスマホが鳴った。

「はい」
『賢人さん、長島です』

 誰? と低いオクターブで訊かれて長島さんだと伝えると嫉妬の表情を表す翡翠を無視して賢人は長島からの報告を受けた。

『賢人さん。わたし賢人さんの苗字について調べたんです。祖父が全国を旅した時に伝え聞いた話を総合した、これは推測です』
「え」
『賢人さん。あなたは和気清麻呂の子孫だと思われます』

 賢人は高校では日本史は選択していなかったが歴史好きの数少ない友人から戦記や小説を半分無理矢理に貸されて読み込んだ時期があったのでその名前は知っていた。というよりも強く印象に残っていた。「まるで俺のようだ」とシンパシーを抱く相手だったので。

「長島さん。かつて悪僧・道教が天皇の座を狙わんとして八幡の神託を偽った時その真偽を確かめるために大分の宇佐八幡宮に遣わされた人物ですよね」
『はい。彼は道教の賄賂や脅しを毅然として撥ね付けて神託の真実を伝え、道教を排除し日本を救った英雄です』
「その代わり流罪にされ暗殺されかかりましたけどね」
『賢人さん。あなたのその逆神という苗字は道教の一派が和気清麻呂を末代に渡り後悔させようという悪意で清麻呂の分家筋だと思われるあなたのご先祖にまで怒りを向けた結果つけられた苗字と思われます』
「そうですか。推測とはいえなんだか不思議ですね」
『賢人さん。清麻呂が暗殺されかかった時、おそらくは神が顕現して難を逃れているんです』
「なるほど。おそらくそれは本当のことで事実なんでしょう。でもどうして私に今その話を?」
『あなたに生きて帰って欲しいからです』

 その後で長島が用意した『秘密兵器』の手順について軽く確認をし通話を終えた。翡翠が噛み付くように訊いてきた。

「長島から告白されたんでしょ」
「まさか」

 賢人はそう答えたが彼女の言葉はそういう意味だったんだろうな、と少しだけ清涼な気持ちになった。そしてそれとは別に長島の電話が賢人の心に大いなる安心感を持たせることとなった。

『俺は逆賊の子孫じゃない』

 それどころか長島の言ったことが本当ならばまさしく名声などという空虚なものでなく日本を救うという本分を最優先させた和気清麻呂の気迫をもらえる気がした。

 誰にも知られず、褒められず認められずとも、日本を救う。

 まさに今自分たちが直面している状況の、賢人はあまりそういう漫画やアニメを見たことはなかったが、中二病の主人公のような気分で戦いにのめり込めると嬉々とした。

「翡翠。やっぱり俺たちは大分に縁があった。翡翠のおばあさんが柞原八幡宮で世界平和を託されたように、同じ地の宇佐八幡宮で俺の先祖が日本の平和を託されていたらしい」
「そう」

 翡翠はすべてわかっているとでも言うような頷きを、けれども、ツン、とした表情で賢人に返した。

 眞守が河川敷の河原の図面とポジショニングを入力したタブレットで賢人と翡翠に指示を出す。三人の動きは神速だった。

「賢人さん、左隅の一枚、もう少し上向きに・・・はい! OK! 翡翠ちゃん、それ裏返し」
「ギャグだよ。ははっ」

 河の流れに対し、右舷・左舷・正面のスタンドに900枚のまるで銀盆のような美しい反射鏡をセットし最後に支柱を打ち付けて固定した。
 残り100枚は三人が走りながら補強・補充できるように5箇所に分けて配置した。

 ここまでの作業をしている最中も老人たちはグラウンドゴルフに興じており見向きもしなかった。だが、翡翠が

を出して河を背後に吊るし始めた時、老人たちが動きを止めて一人二人と歩み寄って来た。賢人たちは特に遮りもせず老人たちが見たいままにさせておいた。

「おねえさん。そりゃ『ご絵伝』だね。子供の頃に檀家の寺で見たよ」
「ははっ。おじいちゃん記憶力いいね」
「わたしも見たよ。お盆で親戚一同で墓参りに行った帰り、和尚さんが麦茶をみんなに振舞いながら地獄の説明をしてくださってねえ」
「おばあちゃん。怖かった?」
「ああ・・・そりゃもう。でもこの絵ほどじゃない。このお軸は色鮮やかで血も鮮血みたいでまるで本物の鬼みたい」
「ははっ。だってこれはホンモノの地獄を見て描いた絵だもん」

 その後、老婆が心底の本当の恐怖を告げた。

「わたしは子供の頃は地獄が恐ろしくて人を虐めたりしなかったけど、大人になってからは嫁に辛く当ってねえ・・・わたしは地獄へ行くのかねえ」

 それに対する翡翠の答えは人間のものとは思えなかった。

「おばあちゃん。わたしが救うよ。ははっ」

 そして翡翠は賢人にこう言った。

「賢人。見て」

 翡翠が神の絵と地獄・極楽のお軸のちょうど正面に位置するまるで巨大な屏風絵のように県の東西へ展開する黒と白の塊を指差した。

「ほら。あの連なった山はね、阿弥陀如来の化身だって。夏でも雪が残る大いなる山々は、神の化身だっておばあちゃんが言ってた」

 願わくはその神仏の化身に味方して欲しいと賢人は願った。

 けれども金末教授の予定通り、風が吹き始めた。
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