第37話 去っていく西日

文字数 1,724文字

 西日がアパートに影を伴ってゆっくりと差し込んでくる。 
「あの、ありがとうございます。鉄雄さんが私にたくさんの愛をくれて…。いろんなことを体験させてくれて…」
 鉄雄がいなかったら、と芽依は想像すると仕事とアパートの往復できっと部屋ではずっと泣いていた。
「私と一緒にいてくれて…幸せで。…でも鉄雄さんは私といるから…本当はもっとできることもたくさんあるのに、私のせいで…できなくなって」
 側にいたいと一番思っているのに、その願いが鉄雄を苦しめることになるのは耐えられなかった。
「だから…あの…モデルのお仕事は辞めようかと思います。後、引っ越しも…」
 繋がりを断つにはそれしかなかった。仕事をやめて住む場所も変える。
 しばらく無言だったが、鉄雄は口を開いた。

「それは…さよならするってこと?」
 芽依は声を出すと震えそうなので、無言で頷いた。
「プチラパンが…私と…いたくないのなら…」
(そうじゃない…)という言葉を噛み締めながら、自分が言った理由が鉄雄の原因になっていたと思って胸が詰まった。
 嘘でも「もう一緒にいたくない」と言えばよかった、と。
「私がとやかく言う問題じゃないけど…もし私のためを思ってとか…そんなこと考えてるなら…。私がものすごく愚かじゃない?」
 思わず顔をあげて、鉄雄を見ると、鉄雄は涙を流していた。
「え?」
「私だって、プチラパンのこと考えて…。早く嫁に出さなきゃって思って。こんなオカマと一番いい時期を過ごさせて…申し訳なく思ってたわよ。もしいろんなことを経験して、お互い…四十過ぎてたら『この先、一緒にいましょうか?』って言えたわよ。でも普通に恋をして、結婚して…子供産んでって、私も思うし、家族を持つことがプチラパンの夢じゃない。そんなこと、十分くらい知ってるわよ。知ってるのに言わなかった私が愚かよ」
「結婚は…私の夢でした。でも…本当は鉄雄さん以外の誰かと…結婚して、子供作ってって…。それって、私、その人を愛してなくて…ただ自分の目的のために結婚するみたいじゃないですか。愛してない人と結婚したって」
「愛は…他の誰かとできると思うの」
「できません。鉄雄さんがいいです。鉄雄さんに恋人ができたって、私のところへ毎晩、帰って来なくなっても…側にいたいです」と言いながら、芽依は考えていたことを違うことを口にしている自分が情けなくて、涙が出た。
「モンプチラパン…。ごめんね」と言いながら抱き寄せられる。
 芽依は久しぶりに鉄雄の匂いを嗅いだ気がして大泣きした。
「私が…おばさんになったら…それで、その時、鉄雄さんが一人だったら…そしたら結婚してくれますか?」
「何言ってるのよ。その時は子供もいて…幸せなはずよ」
「じゃあ…三日だけでもいいです。鉄雄さんがおばあさんになったら、介護させてください。二十四時間ずっとべったり側にいます」
「…介護なんて、嫌よ。一番見られたくない」
 そう言いながらも優しく背中を撫でてくれる。
「いつ…。いつ…お別れしますか?」
 芽依は鉄雄のシャツをぎゅっと掴んだ。
「プチラパンが…誰かのプチラパンになるまで一緒にいようと思っていたんだけど…。それだと無理なのかしらね」
「誰か…の」
 どう考えても、鉄雄の隣にいて、他の誰かを好きになることはなかった。
「芽依ちゃん…」
 初めて名前を呼ばれて、芽依は思わず顔をあげた。
「気持ちは本当に嬉しい。でもやっぱり違う世界も見て欲しい」
 それを聞いて、芽依は今なんだ、と理解した。それでも口から出る言葉は悲しいくらいに別れを拒否する言葉ばかり出る。
「私…鉄雄さんの子供産めます。セックスしなくたって…違う方法で…子供作って、一緒に家庭を作れます。浮気だってしてもらっても。他に愛人がいても。離婚されても…。私…子供と暮らして…も。家庭だし…」
「何、馬鹿なこと」
「本気です。馬鹿ですけど、本気で…好きだから」
 言いながら、芽依は終わっていくのを感じていた。
「きっと一生、一番好きな人です」
 終わるから、だから後悔ないように、一生分の気持ちを告げた。
「ありがとう。私も大好きよ」
 ゆっくりと西日が落ちていく。部屋の明かりが必要になるまで芽依はずっと鉄雄に体を預けて、泣いていた。
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