二日目(火) 遠足の思い出が棒付き飴だった件

文字数 4,866文字

 あれがいつの季節だったか、どこへ行く遠足だったのかは覚えていない。
 ただし小学校二年生だったことだけは確実に言える。両親に聞いてみたが幼稚園の時は親子遠足だったし、三年生からは遠足ではなく社会科見学という呼称になるためだ。
 一年生じゃないと判断する理由は、これが初めてではなかったから。彼女は遠足という名の通り、遠くへ足を運ぶための長時間に渡るバス移動が二度目故に嫌がっていた。

「あぁ、いらっしゃぃ」

 自動ではないガラス戸を開けると、椅子に座った老婆が絞り出すような声を出す。もしここがコンビニだったら、絶対にレジを任せはしないであろうヨボヨボのお婆さんだ。
 家の近所にある小さな老舗。
 今では潰れてしまった小売店だが、当時はよく親と一緒に立ち寄り駄菓子を買って貰った。勿論この日、ここへ来た理由も遠足のお菓子を買うために他ならない。

「こんちゃ! ふんふふーん♪」
「…………」

 店に入ってきたのは二人の子供。呑気に鼻歌を歌っているのが、昔の櫻少年である。
 そして隣で浮かない顔をしている、毛先が肩にかかるくらいのセミロング少女がロリ時代の阿久津水無月。確かこの頃の呼び方はまだ、幼稚園の時と同じだった筈だ。

「どしたの、みなちゃん?」

 マイペースにお菓子を選んでいる途中で、ようやく幼馴染の様子がおかしいと気付く間抜け。ここに来るまでの間に察しない辺りが、本当にどうしようもない奴だと思う。
 今でこそ弱点らしい弱点が少ない阿久津だが、幼い頃は不得手なものが色々あった。そんな彼女にとって、バスは四倍弱点くらいに苦手だったのかもしれない。

「…………私、やっぱり買うのやめる……」
「はぇ? 何で?」

 少女の一人称はまだ『私』……彼女がボクっ娘になるのは、もう少し先の話だ。
 お菓子を買わないなんてとんでもないと言わんばかりの馬鹿な少年。一年の遠足で起きた事件を、能天気な彼はすっかり忘れていたらしい。

「だって私、酔っちゃうもん……」
「あ!」

 そう、当時の阿久津は乗り物に弱かった。
 具体的に言うなら、酔い止めを飲んでいても吐いてしまうレベル。もし克服しなかったら、類い稀なゲロインの称号が間違いなく与えられていただろう。

「うーん…………お婆ちゃん、食べたら酔わなくなるお菓子ください!」
「そうさねぇ。飴でも舐めてりゃ、少しは気が紛れるんじゃないかぃ?」

 意図的か偶然かは不明だが実はこのお婆さん、割と的を射た解答を出していたりする。飴やチョコといった甘い物で血糖値を上げると、脳が活性化して酔い止め効果があるらしい。
 他には梅干しなど唾液が出る物を食べれば三半規管のバランスを。炭酸水などを飲めば胃の調子及び自律神経を整える働きがあるというのは、最近調べて知った話だ。

「じゃあ僕、これにする!」

 改めて繰り返すが、米倉櫻は本当に馬鹿な少年だったと思う。
 彼は税込30円……いや、当時は消費税が8%じゃなくて5%だったから、もう少し安かったかもしれない棒付き飴を大量にレジへと持っていった。

「みなちゃんもこれなら、きっと酔わないよ!」
「で、でも、さくらくんのお菓子は?」
「へ? これだよ?」
「いいの?」
「うん。だってこの飴、美味しいもん!」

 …………馬鹿だった癖に、やっていることは割と男前だから困る。
 結局二人分のお小遣い600円は、全て棒付き飴に使われた。どう考えてもこれだけの飴を遠足で舐め切れるとは思えないが、いざとなれば友達と交換すればいい話だ。
 しかし当日になって彼らは、大きな問題に直面する。

『バスの中ではお菓子禁止』

 先生によっては定められるこのルール。普通の飴なら隠れて舐めることもできたかもしれないが、よりによって二人が買ってきたのは全て棒付き飴だった。
 単純に咥える姿が恰好いい&味が好きだからという理由で選んだ、少年の馬鹿さ加減が窺える。隣に座る少女が不安そうな表情を浮かべる中、ついにバスが発車してしまった。

「みなちゃん。これやろ、これ」

 ゲームで遊べば、酔いなんて忘れるに違いない。
 そんなことを考えていたならまだ恰好良いが、実際は単純に退屈で楽しみたかっただけに過ぎない少年は、両方の握り拳を親指が上になるよう重ねつつ前に出すのだった。





・名もなきゲームその①、立てた指の数を当てるゲーム
 ルールは掛け声に合わせて親指を上げ、本数を当てたら片手を下ろす。先に両手を下ろした方が勝ちという、手で遊ぶゲームの中では一番メジャーと思われるアレだ。

「いせのせ2!」
「いせのせ3! やった!」
「いせのせどぅーん!」

 負けそうになったら手をパーに開き自爆するのは、黒谷町オリジナルの外道技である。





・名もなきゲームその②、指が五本になったら負けのゲーム
 互いに人差し指を出して、順番に相手の手のどちらかに触れる。選ばれた手は選んだ手の指の数が足され、丁度五本になったら手は消滅。先に両手を消滅させたら勝ち。
 ちなみに合計が六本以上になった場合、黒谷町ルールでは過ぎた分の本数になる。分裂や合体なんてルールもあるが、回数制限を設けないと延々と続いてしまうゲームだ。

「分裂っ!」
「さくらくん、指一本だったよ?」
「これレーテンゴ本だもん!」
「れーてんご?」

 両手の小指を半分だけ曲げた、1から0.5×二本という謎分裂。小数を知らない筈の小学二年生に、こんな卑怯な技を教えたのが一体誰なのかは言うまでもない。





・名もなきゲームその③、20を言ったら負けのゲーム
 一度に言える数は最大三つまでで、1から順番に数字を宣言していき20を言った方が負け。ちなみにこのゲーム、相手に四の倍数を言わせれば良いという必勝法がある。

「――――10、11」
「12」
「13、14、15」
「16」
「17、18、19」
「21!」

 20を言ったら負けなら、言わなければどうということはない。





・名もなきゲームその④、相手の指を崩すゲーム
 両手を組んでから小指を合わせ、相手の合わせた小指に振り下ろす。攻撃側も防御側も問わず、重ねた指が外れた場合には次の指である薬指へと移行していく。
 攻撃は交互に行い、最終的に人差し指が崩れたら負け。物理的な攻撃を行うため、地味に痛かったりするゲームだ。

「唸れ! 小指ブレードっ!」
「守れ! 薬指ソードっ!」
「切り裂け! 中指セイバーっ!」
「耐えろ! 人差し指サーベルっ!」
「あ……崩れ――」
「まだまだ! 必殺、親指ランスっ!」

 地域によっては親指もOKらしいが、黒谷町ではルール違反である。こうして思い出してみると、我ながら本当にヤンチャなクソガキだったと思わざるを得ない。





「じゃあ次! あれやろ、あれ……あれ? みなちゃん……?」

 出発してから十数分。名もなきゲームその⑤、手を二回叩いた後に波○拳やガードといったアクションをする遊びを始めようとしたところで、少女の異変に気付いた。
 今思えばゲームをしている最中から、少しずつ顔色は悪くなっていたのかもしれない。喋る余裕がなくなった少女は、網ポケットに用意済みだったエチケット袋を手に取る。

「!」

 何度も繰り返すようだが、少年は本当に馬鹿だった。
 ゲームではルール違反をする癖に、先生の定めたルールを破る勇気はない。今の俺とは違い、隠れて飴を舐めるなんて発想には至らなかった。
 少年は慌てて身体を伸ばし、前に座る先生へと声を掛け馬鹿正直に許可を求める。

「――――――――――――」

 自分でも何て言ったのか、詳しくは覚えてない。
 ただ売店のお婆ちゃんから教えて貰った飴の件だけは必死に伝えたと思う。
 以前の遠足では同じような状態になった際、先生は彼女を横に連れて行った。しかし今回はそういうことならと、事情を察した先生は少年に許可を出す。

「っ」

 すかさずリュックを開けると、おやつを入れた巾着袋を取り出した。棒付き飴のビニールを剥がしてから、呼吸を荒くしている少女に差し出す。

「みなちゃん! これ!」
「…………」
「いいから!」

 少し躊躇った後で、少女はパクリと棒付き飴を咥えた。
 効果があるかはわからないが、危機に瀕した彼女に対して頼みの綱は他にない。
 先生から背中を摩るようアドバイスを受け、何度も繰り返して軽く擦る。

「みなちゃん、遠くの緑見て! 緑が無いなら……きっと青でも大丈夫だから!」

 必死にアドバイスをするが、少女は相変わらずエチケット袋を手放さない。
 バスの中では先生が他の児童達に、阿久津が酔い止めのために飴を舐めていることを伝える。優しい皆ならわかってくれるよねと尋ねると、全員が納得し『はーい』と答えた。

「みなちゃん、頑張って! 後五分くらいだって!」

 とにかく励まし、背中を摩り続ける。
 棒付き飴の効果だったのか、はたまた少女の意地だったのか。五分と言いつつ実際は七分のドライブを経て目的に到着するなり、青白い顔だった幼馴染は真っ先にバスを降りた。
 介抱する先生を手伝おうとしたが、他の子と一緒に並ぶよう指示される。確か阿久津が合流したのは、人数確認が終わった後くらいだっただろうか。

「さくらくん、ありがと!」

 回復し血色の戻った少女から言われたお礼は、今の俺ならこれ以上ない勲章である。
 しかし当の少年はと言えば、先生から言い渡された数少ないおやつタイムに歓喜し、棒付き飴を咥えつつ呆けた顔で答えるのだった。

「もういはひはひへ!」





 ――――とまあ、こんなところだろうか。
 ちなみに帰りのバスでは先生が最初から棒付き飴を許可しており、比較的平和に帰還することができた。そして阿久津が乗り物に苦しんだのは、この小学二年生が最後となる。
 三年生になった彼女は姉貴の影響もあり一輪車に乗り始めたが、どうやらバランス感覚と共に耐性を得たらしい。多少酔いはしても、吐いたという話は一切聞かなくなった。

「…………」

 当たり前の話ではあるが、やはり何度振り返っても同じ小学校じゃない夢野は出てこない。勿論一年の遠足でも同じことが言える。
 幼稚園の親子遠足に関しても、母上から話を聞いた限りこれといった情報はなし。お泊まり保育で親離れできておらず大泣きして大変だったとか、どうでもいい話を聞かされた。

「お待たせ致しました」

 さて携帯の方はと言えば、戻ってきた店員さんから保証対象外であることを告げられる。どうやら修理するよりは、新しい物を買った方が良いらしい。
 店頭に並んでいる商品の大半はスマホとなった今の時代だが、俺は相変わらず時代遅れともいえるガラケーを選ぶ。SNSが無くてもメールで何とかなるし、毎月の請求を考えれば仕方ない。
 スペックはどんぐりの背比べだったので、形と大きさと値段から判断して適当に購入。ややゴツかった先代ガラケーより、少し小さく軽い新品を入手した。

「あっ! お兄ちゃん見っけ!」

 細かい手続きを終えクラリ君のストラップを付け直し、試運転&合流のためにメールを送ろうとした丁度良いタイミングで、仲良し姉妹が携帯ショップの前にやってくる。

「あらら。またガラケー?」
「借金状態だしな。それで二人は何を買ったんだ?」
「マッチョTシャツ!」
「モアイ像のティッシュケース!」
「何を買ってんだっ?」
「わ~、ビックリして耳が大きくなっちゃった~」
「できてねーしっ! 失敗してんじゃねーかっ!」

 テヘペロする姉貴に溜息を吐きつつも、長かった買い物もようやく終わり俺達は帰路へ着くのだった。マッチョマッチョと喜ぶ妹は、一体どこを目指しているのやら。
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登場人物紹介

米倉櫻《よねくらさくら》


本編主人公。一人暮らしなんてことは全くなく、家族と過ごす高校一年生。

成績も運動能力も至って普通の小心者。中学時代のあだ名は根暗。

幼馴染へ片想い中だった時に謎のコンビニ店員と出会い、少しずつ生活が変わっていく。


「お兄ちゃんは慣れない相手にちょっぴりシャイなだけで、そんなあだ名を付けられた過去は忘れました。そしてお前は今、全国約5000世帯の米倉さんを敵に回しました」

夢野蕾《ゆめのつぼみ》


コンビニで出会った際、120円の値札を付けていた謎の少女。

接客の笑顔が眩しく、透き通るような声が特徴的。


「 ――――ばいばい、米倉君――――」

阿久津水無月《あくつみなづき》


櫻の幼馴染。トレードマークは定価30円の棒付き飴。

成績優秀の文武両道で、遠慮なく物言う性格。アルカスという猫を飼っている。


「勘違いしないで欲しいけれど、近所の幼馴染であって彼氏でも何でもない。彼はボクにとって腐れ縁というか、奴隷というか、ペットというか、遊び道具みたいなものでね」

冬雪音穏《ふゆきねおん》


陶芸部部長。常に眠そうな目をしている無口系少女。

とにかく陶芸が好き。暑さに弱く、色々とガードが緩い。


「……最後にこれ、シッピキを使う」

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