◆03カナンへの選択-Ⅵ ラバン:運命

文字数 1,892文字

 家に着いたら、小間使(こまづか)いたちが出てきて、客人の駱駝(らくだ)(くら)を外し始めた。
 リベカのやつも女のくせにのこのこ出てきて、ジイサンと目を合わせ、腰をかがめて礼をしていた。なんてやつだ。女が客の(しかも男の)前に姿を現すだけでもルール違反だっていうのに、ベールも何もかぶらないままで素顔を見せるとは。
 ハシタナイ! とか言って、オフクロが(つの)を生やしている姿が目に浮かぶ。

 鞍を下ろすと、駱駝はほっとゆるんだ顔つきになった。実際らくになったのだろう、足取りも軽く、小間使いらに連れられて小屋へ行き、(わら)(えさ)をもらっている。
 まあよかった。旅の疲れを(いや)してくれ。駱駝は砂漠の舟なんだ。俺たち荒野(あらの)に生きる者にとっては友であり、貴重な財産ってわけ。
 侍女が二人、水の入った素焼きの(かめ)を抱えて家から出てきた。客人に足を洗ってもらうための水だ。これは汚れた足で家に入るなってことではなくて、こうやって俺たちは相手に敬意を表す。
 俺が指示したわけでもないのに、侍女が水を持って出てきたってことは、やはりオヤジが帰ってきているんだろう。側女(そばめ)のところから。
 侍女の一人がジイサンに、もう一人が俺に瓶の水を勧めたが、いらないと手で合図してすれ違い、家に入った。

 紅花(べにばな)で染めた客用の敷物が、いつものフェルトの敷物の上に重ねて敷いてある。
 その中央に、青銅の器をはじめ、素焼きの器から木の器から、わが家の器が総動員されて並んでいる。もちろん、料理がたっぷり盛られている。
 パン、ぶどう酒、羊の肉のローストとスープ、発酵させた乳、ナッツ、オリーブ、セロリを混ぜたディップ、カボチャのサラダ、干しイチジクのデザートなどなど、めったに(おが)めない御馳走(ごちそう)だ。
 ずいぶん見栄を張ったもんだが、リベカのやつがもらった金銀の装飾品を思えば無理もない。ありったけの食材で、もてなしたくもなるってもんだ。
 思わず(つば)を飲んでしまい、それを誰かに見咎(みとが)められていやしないかと目を走らせたら、オヤジと視線がぶつかった。
 なんだよオヤジのやつ、イチバン上等な上着を羽織ってやがる。敷物にひとりで腰を下ろし、精いっぱい威厳を醸し出さんとしているのか、胸を()らせて鼻の穴をふくらませていやがる。滑稽(こっけい)だよ、こっちが恥ずかしくなるじゃないか。

 それでもオヤジはそれなりに〝らしく〟ふるまった。
 おもむろに立ち上がってジイサンを迎え、リベカの礼(過分な贈りものを(たまわ)って……とかなんとか)を言い、食事に招いてもてなそうとした。ところが、
「用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません」
 ジイサンは(がん)として(ゆず)らず、オヤジの〝らしく〟もそこまでで、うろたえかけた様子を見て、俺はたまらず口を(はさ)んだ。
「お話しください」
 ジイサンは、俺に向かって首肯(しゅこう)してから、
「わたしはアブラハムのしもべでございます」
 ついに名のった。
 ああ……やっぱりただごとではなかったか。おそらくその場にいた全員が似たような感慨を抱いたはずだ。
 オヤジは薄い口髭(くちひげ)に鼻息を吹きかけて、(くちびる)を引き結んでかしこまっている。オフクロは目玉が落っこちるんじゃないかってくらい目を丸くして立ち尽くしている。
 (わき)の下から変な汗が噴き出してきた。

 はてさて、どんな話が始まるのやら。いずれにしても、あの伝説のアブラハム大伯父さんにまつわる話であるのは間違いない。
 緊張と同時に、俺のなかには一種の諦観(ていかん)みたいなものが広がった。
 なんでかって?
 運命ってやつはハンパねぇ。タイミングも何もかもな。
 ただ駱駝に水を汲んでやったくらいで、ジイサンがリベカに高価な贈りものをしたのは、単なる駄賃(だちん)褒美(ほうび)じゃなくて、特別な狙いがあった証ってことだ。
 そのあたりの事情をジイサンは、腹を減らした俺たちの前で語り始めた。

 聞いちまったら聞く前には戻れない。ったく運命ってやつはマジでハンパねぇ。俺たちの都合なんかおかまいなしに突然動きだすんだからな。
 あなたは俺に、いったい何をさせたいんですかね。このハンパねぇ事態にどう対応すれば御心(みこころ)にかなうんでしょうかね。
 回り始めた運命の輪の中で俺だってちょっとは考えていたさ。
 答えなど、わかるはずもなかったんだけどね。
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