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文字数 1,288文字

 坂下も白木のアパートに、一時間程いてタバコを吸っては帰宅するようになった。悪ぶって見せることで、我々の仲間になりたがっていた。
 そんなある日の放課後、僕と坂下とテツヤが白木のアパートでハイライトを吹かしていた。
 文学好きの坂下とテツヤがさっきから、文学論をたたかわせていた。ここでこんな堅い話をすることは稀である。僕は黙って二人の話に耳を傾けていた。二人は、大江健三郎、伊藤整、寺山修司、カミュ、ドストエフスキー等の話で盛り上がっていた。
 僕は坂下の文学好きや理屈好きは知っていたが、テツヤがこれほどまでに文学好きだとは知らなかった。ただ授業中いつも教科書に隠しながら太宰治の文庫を読んでいることは知っていたが。
 いつか中上健次の小説の話になった時、
「中上の『灰色のコカコーラ』はオレも好きやけんど、『岬』や『枯木灘』とかいわゆる路地モノっていわれる作品は好かん」
 と坂下が言った。
 いつもクールで寡黙なテツヤが、文学の話になると熱くなることが意外だった。しかもテツヤの方が冷静に作品の分析をしている気がする。そのことは作品を読んでない僕にも何となくわかる。
 しばらく議論していたが、分が悪くなった坂下が最後に吐き捨てるように、
「けんどよ、なんやかんやいっても、中上って部落やろう」
 と言った。その瞬間テツヤの表情が曇り、その後わずかに苦笑したように見えた。
 しばらくしてテツヤが「帰るけん」と言って部屋から出て行った。
「坂下、さっきの言葉はいかんろう」
 とテツヤが部屋から出ていった後、僕は言った。坂下は僕が言った意味が解らず、困惑の表情を浮かべた。
「オマエ、テツヤがMの出身ゆうこと知っちょうろう」
 坂下は瞬間しまったといった顔をした。
「明日、テツヤに謝ったほうがええぞ」
 と僕が言うと、
「そうやにや、おれテツヤにすまんことゆうてしもうたにや」
 と、落ち込んでいる。
「まあ、もうゆうてしもうたことはしょうがないけん、テツヤもそれほど気にしちょらんかもしれんし」
 と言いながら、僕はテツヤが瞬間見せた表情に、彼の宿命を感じずにはおれなかった。
「オレは別に、差別心で部落ゆうた訳やなくて、中上の文学の主題の根底に部落問題があるゆうことを言いたかっただけながや」
 いつも強気に論じる坂下が、弁解じみたことを蒼い顔をして言った。
「ええわや、もう。テツヤも坂下が悪意でゆうたとは思うちょらんろうし。ただ、あいつにしてみたら、被差別部落に生まれたという、どうしようもない事実、何にもあいつが悪くないがに、M出身ゆうだけで後ろ指さされる事実に対して、無力感に苛まれちょうがやないろうかにや。オレはテツヤが好きやけん、アイやミチコも好きやけん、あいつらに変な感情も差別心も持っちょらん。あいつらはオレにとってかけがえのない友達やけん」
 坂下は、ずっとうな垂れて聞いていたが、
「オレは、絶対差別心でゆうたがやない、三木、わかるろう」
 坂下が、今にも泣き出しそうな顔をして言った。
「わかっちょうよ、心配するな」
 落ち込んでいる坂下に、ハイライトをすすめて、二人でしばらく無言のまま吹かした。

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