(一)

文字数 3,925文字

 金魚になった叶冬は商店街を一人、ではなく一匹で漂っていた。
 どうやら人間に金魚は見えないようで、双方触れる事もできないので怪しまれる事無く漂った。
 あの後叶冬は、金魚屋と名乗った女に店から放り出されていた。

「金魚屋は金魚を弔うのが仕事なんだ。普通なら弔って輪廻転生に乗せてあげるんだけど、おやおやまあまあ」

 女はじろじろと三百六十度叶冬を嘗め回すようにじっくりと観察すると、うんうんと大きく頷いた。
 そして――

「君はどうやら弔う価値が無い! ようし! 出て行け!」

 スパンと平手打ちで追い出したのだ。
 結局何が起きたのか分からないままこうして見慣れた商店街を浮遊しているという訳だ。
 どうしたものかと悩んでいると、隠れなくても見えないのに慌てて薬屋の立て看板に隠れた。隠れた理由は商店街を歩く一人の青年だ。

(雪人……!)

 叶冬を蔑み突き放した幼馴染だった。
 叶冬はその顔を見るだけでふつふつと怒りが湧き上がって来た。
 何か痛い目を見せてやれないかとぐるぐる泳ぎ回るが、触れないし喋れないし見てすらもらえないのだから何もできはしない。
 くそ、とぐるぐるぐるぐる勢いよく旋回していると、何者かがが急に笑いかけて来た。

「他の金魚は静かなのに、お前は何で元気なの?」

 雪人は金魚の叶冬が見えていた。
 雪人は撫でるように指を動かしてくるけれど、やはり触る事はできないようだった。

「お前達って何なの? 何で俺だけ見えてんの?」

 何か言ってやろうと思ったけれど声の出ない叶冬は何をできるわけもない。
 やっぱ駄目か、と雪人は対話を諦め立ち去ろうとしたけれど、何となく雪人を逃がしてはいけないような気がしてぐるぐると泳ぎ回った。

「何? 一緒に来る? いいけど餌無いよ」

 この状態の自分が何を食べるのかは叶冬自身も分からない。
 だが今は何でもいいから仕返しをしてやりたい、その一心で雪人の跡をついて行った。
 雪人は真っ直ぐ自宅へ戻ると、挨拶も無く二階の自室へと上がって行く。すると、帰って来た足音を聞きつけて、どたどたと雪人の母親が現れた。

「雪人! どこ行ってたの!」
「いちいち言う必要ないでしょ」
「待ちなさい! 下手に関わってうちがお金払う事になったらどうするの!」
「は? 何の? 金貸したの母さんじゃん」
「叶冬君と仲良くしてたせいであなたも変な目で見られてるのよ!」
「ふざけんな! 変な目で見られるのはあんたがあちこちで陰口叩いたせいだろ! おかしいのはあんただよ! 大体、叶冬があんな事になってよくそんな事言えるな! どういう神経してんだあんた!」
「雪人!」

 雪人は見た目通り大人しくてのんびりしてて、いつものん気に笑っている姿しか叶冬の記憶にはない。それが崩れたのは叶冬を突き放したあの時だけだ。
 そして雪人は部屋に駆け込み鍵をかけると、机に飾っている写真立てを握りしめた。
 そこには去年の雪祭りで叶冬と並んで撮った写真が入っていた。

「かな……」

 叶冬は雪人が大声を出せる事を始めて知った。
 雪人は写真立てを抱きしめたままベッドに丸まった。子供の頃の雪人は怖がりで、ホラー番組を見た夜は泣きじゃくって叶冬の手をりしめて離さなかった。
 もう触れられないと分かっているけれど、叶冬は子供の頃のように雪人の指先を撫でるつもりで尾を振る。

「……慰めてくれんの? 優しいね、お前」

 触れないけれど、叶冬は雪人の手に収まるような位置に漂っていた。
 翌朝、雪人の母親は昨日はごめんなさいね、と機嫌を取るようにやたらと微笑んでいた。
 けれど雪人はそんな声には振り向きもせず、触れてくる母の手を殴り飛ばして家を飛び出した。
 雪人は終始辛そうな顔をして電車に揺られ、一時間ほどして辿り着いた先は病院だった。
 慣れた足取りで向かった病室に入る雪人に付いていくと、そこで寝ている人物を見て叶冬は出目金のように目をひん剥いた。

「かな。そろそろ起きろよ。出席日数足りなくなるぞ」

 横たわっていたのは叶冬だった。
 繋げられている医療器具はその肉体が生きている事を示している。

(……え? 俺生きてんの?)

 金魚屋の女は未練を持って死んだ魂は金魚になると言った。
 自分の記憶でもあれは死んだだろうと思い疑っていなかった。けれど金魚屋の女が言っていたもう一つの言葉を思い出す。

『君はどうやら弔う価値が無い!』

(あれは生きてるから弔えないって事か?)

 叶冬は雪人に金魚屋へ行こうと伝えるべく激しく旋回する。
 ん、と雪人は金魚の叶冬を見上げたけれど、次の瞬間ぐらりと身体を揺らして床に倒れてしまった。

(ゆき!)

 倒れた拍子にひっくり返った花瓶が割れて、聞きつけた看護師が慌てて駆け寄って来た。
 雪人は車椅子に乗せられ治療室へ運び込まれ、叶冬も付いて行こうとしたその時後ろから聞き覚えのある声がした。

「おやおや。憑かれた方が限界を迎えてしまったね」

 にやあと気味の悪い笑みを浮かべたのは金魚屋の女だった。

「本来生者は金魚なんて見えない。では雪人君はどうして見えるんだろうか」

 ふと叶冬は違和感を覚えた。
 何故雪人の名を知っているのだろうか。そう言えば初めて会った時に『藤堂叶冬君』と呼んだけれど、叶冬は名乗っていない。

(……何だこの女。金魚屋って何だ)

 女は踊るようにスキップをして大きく両腕を広げて振袖の袖を振り回した。

「彼は心が死んで身体の中に金魚を飼っている。だから同族が見えるのさ」

 にやにやと笑いながら、女はずいっと叶冬の顔を覗き込む。あまりにも気味の悪い笑みに叶冬は思わずひゅうっと逃げてしまう。

「ところで君は金魚の餌は何だと思う? ああ、生の金魚じゃないよ。君達金魚だよ」

 金魚になってから空腹を感じた事は無かった。
 けれど既に丸一日は経っていて、普通なら腹の虫が鳴り響いても良いはずだ。だが触れないのに食べる事などできはしない。

「魂が空腹になるというのは魂が減ったという事。そうなる前に金魚は魂を補填する。例えばすぐ傍にいる生者から」

 女は雪人が運び込まれた治療室に視線を送った。

(まさか……)

 叶冬はふるふると震え出した。宙を漂う尾もにわかに震えている。
 けれど女は面白そうにくくくと笑い声を上げた。

「そう! 君が彼の魂を食っているのさあ!」

 叶冬はふらふらと揺れた。この浮遊感は階段から落ちたあの一瞬によく似ている。

(俺が傍にいるだけで雪人は死ぬのか)

 雪人もこんな風に漂う事になるのだうか。

「さあて。もう十分遊んだだろう」

 金魚屋の女は叶冬に手を伸ばした。
 この手に捕まって終わるのかと他人事のように見ていたけれど、するとその時何かが女と叶冬の間に割って入って来た。

「かなに触るな!」

 金魚の叶冬を庇ったのは、この金魚が叶冬だとは知らないはずの雪人だった。

「おやあ? 何でそれが叶冬君だと知ってるのかね」
「かなは連れて行かせない」
「んえぇ?」

 雪人は金魚の叶冬を守っていた。ベッドに横たわる叶冬ではなく金魚の叶冬を。

(何で俺が叶冬だって分かるんだよ)

 金魚は声が出ない。この声は雪人に金魚屋の女にも届いていない。
 届いていないはずなのに、雪人はくるりと叶冬を振り返り、いつものようにふんわりと微笑んだ。

「僕が泣いてると指を撫でてくれるんだ、かなは」

 ベッドで丸まっていた雪人の指を撫でるように泳いだあれの事だろうか。
 たったあれだけの事で、と叶冬はぼろぼろと涙を流した。

「おやおやまあまあ。死んだ魚のような目をしていたのにまるでダイヤのような涙だ」
「かなは連れて行かせませんよ」
「ええ? 誰が何処に何をどうして連れて行くんだい」
「かなを捕まえに来たんでしょう」
「何でだい。金魚屋は来る金魚拒まず去る金魚追わずさ。ただ叶冬君は一度来ちゃったからさあ」

 女は面倒くさそうに両手を頭の後ろで組みため息を吐いた。
 放り出したのはお前だろ、と言いたかったけれど声は出なかった。

「じゃあ何なんです。かなに何をする気なんですか」
「身体に戻しに来たんだよ。死なれたら色々面倒だからね」
「……戻る? 生き返れるんですか!?」
「は~あ? 死んでないのに生き返るわけないだろう死んでないんだから。そもそも死んでないのに金魚になる方がおかしい。何なんだい君は。だから人の魂食べちゃうんだよ。はあ、全く面倒くさいったらありゃしない」

 女は早口でペラペラと文句を言い連ねる。
 一体どういうつもりなのか、叶冬にも雪人にも分からず呆然と眺めてしまう。

「お話中すみません。戻すってどうするんですか」
「輪廻転生するんだよ」
「……まさか、あの、こ、殺すって事ですか?」
「違うよ。最後までお聞きよせっかち坊や」

 女はぺんっと雪人の額を叩いた。
 ええと、と考えるようにこめかみを指で押さえ、なんだったかな、と考えながら話し始める。

「金魚は弔うと輪廻転生する。この輪廻転生ってえのは適合する肉体に魂を届けるという事なんだよ。けど死者には肉体が無いから新しい身体に入る。けど叶冬君はまだ適合する身体があるんだ。なんとまあほらここに立派な身体が」
「弔えば元に戻るんですか!?」
「さあどうだろうね。僕はやった事無いし見た事も無いけどマニュアルにそう書いてあるんだよ」

 女は一体どこに持っていたのか、ひょいと冊子を取り出した。
 そこには『金魚屋マニュアル(管理者用)』と書いてある。魂だのなんだのと言っているくせにビジネスのようなそれは酷く異質に見えた。

「さて、では選択だ。肉体の死を待って輪廻転生するか、金魚の弔いで死んで藤堂叶冬に戻るか」

 女は右手で金魚の叶冬を、左手で人間に叶冬を指差した。

「死ぬかい? それとも死ぬかい?」
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