22 解脱のススメ?(2)
文字数 2,358文字
「解脱とは、この世界を劣悪なものとして否定することじゃない。
言ってしまえば、見方を変えることによって、この世界との関わり方を変えることだろう」
とも言った
解脱というのは、現実逃避のようなものじゃない。
否定的なものではなく、むしろ世界との関わり方(あるいは人生の受け止め方)を変えるという肯定的なものなんだ。
それを、たとえば親鸞聖人は「往相」&「還相」という概念でもって示してる。
そのことについても、すでに見てきたね
それじゃ、どのようにして世界の見方を変えるのか、どういう態度・姿勢で世界に臨むのか、ってことが問題になってくるんだけど、覚えてるかな? シャンカラは知識によって、とした。
仏教的な概念に切り替えるなら、智慧だね
人びとは、ここにいる、こいつ、私(我)という存在に囚われているから、なにかと迷い、苦しむことになる。
これは私のモノだと思っているから、奪われることに怯える。あるいは、それを手に入れたいと思い、手に入らないことに苦しむ。
私という存在に固執しているから、死を畏怖する
好きになって、その人の役に立ちたくて・・・・・・
純粋な愛情だったはずなのに、
いつの間にやら、それが執着心に変わってしまい・・・・・・
自分のものにしたいと思うようになり、
結果、嫉妬したり、喧嘩したり・・・・・・
そんなふうにしてダメにしてきた恋ばかり・・・・・・・
それはなにも恋愛のことだけじゃないよ。
すべてのことについて言える。
求めることが、執着心に変わり、その結果、求めているものを自ら汚してしまう。
たとえば、書くことが純粋に好きで始めたことなのに、プロの作家になりたくなり、なれなくて、自分の隣でプロになってしまった作家さんを妬む、とか。
で、その妬んでいる自分を顧みて、傷ついてしまう、とか。
これは同時に、自分自身で、書く、という行為を汚していることにもなる
ここにいる、こいつ、この私の存在は、極論するなら幻影のようなもので、根源的な<はたらき>はアートマンであること。
私はアートマンに生かされている、と知ること。
アートマンへ思いを致すことで、私への囚われ、我執を薄くすること。
それが、解脱というものの一側面だと思う
だから親鸞聖人も還相と言っている。
還ってこなくちゃダメなんだよ。
往きっぱなしじゃダメ。
アートマンへ思いを致し、自分自身への囚われを解放しつつ、かつ同時に、現実へ向かう。
この、現実への向かい方、我執に囚われずに現実と関わること、それが大切なんだと思う
そして、アートマンはブラフマンである、と知ること。
私は、世界の中で生かされている、と知ること。
世界には、この私を生みだした(同じ)<はたらき>が満ち満ちていると感じること。
それが、大事なんだろうね。
仏教だと、草木国土悉皆成仏、なんて言葉があるけど、言ってることのニュアンスは、非常に近いだろうと思うなぁ
そういったとき、あなたの痛みは私の痛みとなり、他者たちの痛みは私の痛みとなり、生きとし生けるものたちの痛みもまた私の痛みとなり、世界の痛みもまた私の痛みとなる。
それが、慈しみ、であり、仏教用語で語るなら、慈悲、ってことなんだろう。
つまり慈悲とは施しのことではなく、この<つながり>を感じることなんだろうと思う。
もちろん、厳密に学問的にね、慈悲について知りたいなら、中村元さんに『慈悲』(講談社学術文庫、2010)、なんて本があるので、そちらを参照したほーがいいだろう。
ただぼくは、ぼくなりの考え方をしてるんだよ