マッサージ師

文字数 4,459文字

 それは突如、不景気に彩られた世の中であった。

「就職活動で正社員になるものを勝ち組、アルバイターは負け組」と何処かの誰かが大声でほざいていた。

 だが手に職がある男は実に羨ましいものだ。

 東京のとある下町で一人のマッサージ師の腕に惚れ込んだお客様たちは、彼が細々と営む治療院に連日のように足を運んでいた。彼の名は、内村清一(うちむらせいいち)という若きイケメンのマッサージ師であった。

「熟女殺し」「マダム殺し」「婆あ殺し」と持て(はや)されて、何百人もの人の肌に触れマッサージし続けた。

 彼は頭をポリポリと掻きながら照れ隠しする姿とは裏腹に、異性を惹きつける妖艶な雰囲気が、身体中から醸し出されていたのだ。

 しかし、この若いマッサージ師の心には、人知れぬ『快楽』と『夢』が潜んでいた。彼がお客様の肩を揉み始める時、軽くツボを刺激するだけで、大抵の男も女も、呻き声をあげたが、その呻き声が大きければ大きいほど、彼は不思議に愉快な気持ちとなった。

「お客様、だいぶ肩が()っていますね……」と言いながらも、静かに微笑んでいる。
 
 彼はふと十数年前に行われた、小学校時代の同窓会を思い出した。酒盛りの席で、ベロンベロンに酔っ払った同級生の篠原三四郎(しのはらさんしろう)が清一に話しかけた。その当時、篠原は柔道初段の猛者で、校内で一番のワンパクなガキ大将であった。

「いやあー懐かしいなぁ、清一。元気だったか?」
「まあ、それなりに……」
「今じゃおめえは立派なマッサージ師になりやがって、ヒック!」
「べ、別にたいしたことないさ……」

 清一はポリポリと頭を掻いた。
 
「昔話になるが、おめえに酷くビックリさせられた思い出があるぜぇ!」
「えっ! それは一体なんだったかな?」
「バッキャロー! とぼけんのもいい加減にしろぉ! ――あれは確か小学四年生の時の写生会だった。おめえと俺は一緒に河川敷に腰を下ろして、画用紙に鉛筆でH山の風景を描いていたんだ――覚えてっか?」
「ああ、覚えてるよ」
「ケッ! するとおめえは絵を描いていた途中、とても小さな蛙三匹がおめえの足元を横切ろうとしたそん時だ! なんとおめえはケタケタ笑いながら、魔法瓶に入った熱いお茶を、その蛙にぶっかけやがった! 一瞬にしてその蛙三匹はひっくり返りオダブツさ――ありゃホントたまげたねえ! 未だにあの光景がトラウマになっちまってるよ……」
「ガキ大将の篠原がトラウマとはね……ハハハ」
「笑いごっちゃねえどぉ!」
 
 篠原に言われるまでもなく、お客様の呻き声が大きいほど、この苦い思い出は、自然と脳裏を駆け巡っていた清一であった。
 
 彼の夢とは自分よりちょうど十歳年下の、二十歳の美女の肌に触れてマッサージすることであった。連日のように熟女、マダム、婆あ、爺いのマッサージをして、商売繁盛は結構であったが彼は影で深い溜息を吐いていた。

 彼の女の子の好みにはついては、実に細かいものであった。ただ単に美しい容貌と美しい肌だけでは満足できなかった。出会い系サイトで血眼になって検索するも、彼の理想に叶った女の子に巡り会えなかった。実は彼が中学生の頃、洋画『レオン』に登場したロリっ子のマチルダに心を奪われていたのだ。彼はコカコーラ瓶の曲線部を、右手ですりすりと撫でながら、まだ見ぬ理想郷の形を心に描いて、四、五年はその夢を諦めずにいた。


         ✽         ✽         ✽       


 ちょうど五年目の夏の昼下がり、彼の治療院の前で真っ赤な林檎飴を無表情でペロペロと舐めている、とても可愛らしい女の子に気がついた。その女の子は黒髪のおさげで、眉毛はとても細く、パッチリとした茶色い瞳に小さな唇のロリっ子であった。長年待ち焦がれたマチルダのような香りがした。

 ピンク色の花柄の浴衣から、真っ白な女の子の素足がこぼれていた。赤い紐の雪駄にスラリと長い親指と人差し指が、きつく食い込んでいる。この足こそは、男の一物を踏みつける足であった。

 この美しい容貌と美しい足を持つ女の子は、彼が長年探し求めていた夢であった。彼はドキドキと胸を高鳴らせ、治療院の網入りガラスの出入り口のドアをそっと開けた。

 その女の子は先程と変わらぬ様子で、真っ赤な林檎飴をペロペロと舐めていた。

「おーい、そこのお嬢ちゃん。うちに何か用があるのかい?」
 
 清一はニッコリ微笑んだ。

「――じ、実は首を寝違えちゃって、ひどく痛むの……」

 なんとその女の子の声は、鼻にかかった実に可愛らしい声であった。

「それは、それはお気の毒に……」
「でもね……アタシついさっきN神社のお祭りで林檎飴買っちゃって、おこずかいゼロになっちゃった……アハハハ……できればイケメンのお兄さんに首をマッサージしてもらいたかったなぁ……」

 ますます愛おしい女の子に思えた清一であった。

 清一の治療院は三十分のマッサージ料金は税込千円であり、これが最安値のコースだった。それを林檎飴を購入した自分を責めている、ちょっとお馬鹿な女の子が狂おしく思えた。

「ねえお嬢ちゃん……お代はタダで結構だから、こん中入りなさい」
「エエーッ! ホッ、ホントにいいんですか――」
「いいから、いいから。このお兄さんを信用しなさい!」
「ありがとうございます」
 
 今流行りの「あざーす」という言葉使いではなく、実に心のこもったお礼の言葉に感激した清一であった。

「さあ、さあ、お嬢ちゃん。この椅子におかけなさい」
「は~い」

 ギシッと、医療用の黒いラバー製の椅子に腰を下ろした。

 女の子はペロペロと真っ赤な林檎飴を舐めている。浴衣の後ろ姿が妙に色ぽかった。清一は女の子の背後から優しく声をかけた。

「失礼ですが、お嬢ちゃんのお名前は?」
愛留(あいる)です」
「愛留ちゃんか――可愛い名前だねぇ」
「テヘヘヘ……」

 少女は、はにかんだ表情を浮かべた。

「さあ、愛瑠ちゃん。お兄さんのマッサージはせいぜい五分程度だが、痛みが伴うぞぉ! 我慢できるかな?」
「エエーッ! 痛いんですか?」
「ああ、でもすぐ良くなるよ」
「じゃあ、頑張って我慢します!」
「よろしい」
 
 そうして清一は大椎(だいつい)のツボ(第七頚椎(くびの付根のでっぱり)の下寝ちがいの主要穴)を親指で、ぎゅっと指圧した。

「キャアアアッ! 痛いっ!!」

 パシャンッ!

 あまりにも痛かったのか、愛留は真っ赤な林檎飴を灰色のタイルの上にこぼれ落ちた。

「あっ! ごめんよ愛留ちゃん。そんなに痛かったのかい? 後でその林檎飴買ってあげるね」
「うん……」
「――じゃ次はこのツボを押すよ」
 
 清一は風池(ふうち)のツボ(こめかみの後ろあたり、髪の生え際のくぼみ)を親指で容赦なくぎゅっと指圧した。

「キャアアアッ! 痛いっ!! 痛いよぉ!!  エーン! エーン!」

 痛みに耐えかねた愛留は、顔を真っ赤にして泣きはじめた。

 ドックン、ドックン、ドックン……

 清一の鼓動が一気に高鳴った。

(かっ、かわいい――なんてかわいいいんだ! もっと、もっといじめてみたい!!)

 すると愛留のうなじあたりから、シャンプーとリンスと汗が混ざり合った、心地良い匂いが漂いはじめた。

(なんだこの匂い? たっ、たまんねえなぁ)

 清一は愛留に気づかれぬようにして、両手の親指をスンスンクンカクンカして、勃起した。

「――先生、次はどこのツボを押すの? シュクッ、シュクッ」

 愛留は泣きじゃくりながら質問した。

「はぁ、はぁ、はぁ……あと残り二箇所のツボだよ愛留ちゃん。はぁ、はぁ、はぁ……がっ、我慢できるかい?」
「う、うん……」
 
 突然息遣いが荒くなった清一であった。
 
 ちょっとだけ間をおいて、清一は肩井(けんせい)のツボ(肩の根元から肩先までの中間点)を親指で情け容赦なく指圧した。

「キャアアアアアアッ!」

 愛留はあまりの痛さに、医療用の椅子から転がり落ちた。

 灼熱のアスファルトにバケツ一杯分打ち水をしたかのような音を轟かせた。冷たい灰色のタイル上にうつ伏せのまま倒れている――静寂に包まれた中、医療用の椅子の自在キャスターの回転音が鳴り響いていた。打ちどころが悪かったのか、愛留は気を失った様子であった。

(こいつはチャンスだぜ……)

 清一は無抵抗状態の愛留をお姫様だっこをして、医療用の黒いラバー製のベットに寝かしつけて、コロンとうつ伏せにした。

「クククク、最後の一箇所のツボを押すよ、愛留ちゃん……」

 すると清一は愛留の履いていた雪駄を、そっと脱がして、懸鐘(けんしょう)のツボ(外くるぶしの上、三寸あたり)をやさしく指圧した。と、その時であった。愛留のとても可愛らしい両足の裏から、まことに信じがたいビニールと甘酸っぱい匂いが漂いはじめたのだ。

(もう我慢の限界だっ!)

 清一はすかさず神々しい愛留の足の裏に、顔をくっつけてスンスンクンカクンカし、ベルトのバックルを外してジッパーを下ろし、彼の一物を右手でシコシコと高速でしごきはじめた。

(でっ、でるうっ!!)

 つぎの瞬間、愛留の両足の裏は清一のカルピスまみれとなった……。

「――うっ、うーん」

 どうやら意識を取り戻した感じの愛留であった。

 清一は無表情のまま、乱暴な感じで愛留を仰向けにして馬乗り状態となり、愛留の首を両手で力いっぱい絞め上げた。

「キャアアア!! せっ、せんせいヤ、ヤメテ……ヤ――」

 みるみる愛留の顔は青色から土気色となり、ボロボロと涙が溢れ、だらしのない感じで鼻水とよだれが垂れはじめた。

 愛留は必死に清一の顔を掻きむしろうと両手を伸ばしたが抵抗虚しく――次の瞬間だらんと脱力状態となった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 清一は身体中汗まみれとなっていた。

 そうして清一は独り自分の両方の(てのひら)を、静かにじっと見つめた――黒いベットの上で愛留は眠れる森の少女と化していた。

 ヨロヨロと、清一は小型の冷蔵庫からポカリスエットを一気にがぶ飲みし、ブルブル震える手で、白衣の胸ポケットからマルボロを取り出して、煙草に火を灯した。唇もブルブルと震え、ろくに一服もままならなかった。ブラインドの真下の壁に、背中をくっつけてズズズとその場に尻餅をついた。

「俺はあの頃となにひとつ変わっちゃいなかった――好きで好きでたまらなかったから殺したんだ」と清一はポツリと呟いた。

(このやるせない、ひねくれた感情を誰か理解できる人いるかな……)

 
 清一は独り頭をうな垂れて、なんともいえない静寂の音に耳を傾けた。


 
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