梅酒を飲む手は止まらない

文字数 3,716文字

 弱る胃に攻撃を続けるとは、非道な男だと私は思った。



「食事が原因で死んだのだな」と万次郎さんはつぶやいた。
 警察は手を上げた。証拠が全く見つからない、と。
 事件の全貌はこうだ。
 縫取留さんの妻が立て続けに亡くなっている。
 一人目は婚約して三年のとき六十二歳で、二人目は二年目に五十八歳で。

 容疑者の縫取留さんはそば屋で見習いとして働いていた。
 自画自賛するほどに天ぷら、それにそえる梅酒のお湯割りは絶品だという。独学で習得した彼の特技だが、下積みの身。食器洗いと食事の提供だけをこなしていた。

 一人目の妻と婚約してからは、余るほどの富を手に入れ、そば屋から身を引いた。つまり彼は下積みのまま引退したのだが、妻のために毎日手料理を振る舞うことだけはやめなかった。同じメニューが永遠と続いたが、妻は飽きることなく、満腹すら感じない絶品であった。

 食道や消化器官のダメージ、血圧や血糖値の異常な高さ。食事に何か人体へ悪影響なもの、手短に言えば毒を混ぜたのではないかと疑われている。けれど、いくら捜索したところで、体内からも住まいからも毒が検出されることはなかった。そして警察もお手上げとなったということだ。

「何が、その食事に含まれていたのか」
「じんわりと浸透する毒ですか?」
「毒にも薬にもなるもの、だな」



「リシンじゃありませんか?」と私は万次郎さんに問いかけた。
 リシンとは、トウゴマという植物の種子から抽出されるタンパク質。猛毒とされており、服用すると10時間ほどで毒が回るとされている。解毒剤も開発されていない。食事に3mg程度でももりこめば、致死量は余裕で超える。

「確かに猛毒だが、あれは体内で変性しないので証拠が残る」
「警察は何も見つけていませんでしたね」
「そう、形が残るものではないということだ。たとえば愛のような」

 万次郎さんにしてはずいぶんと格好をつけたくさい言葉だ。彼は私の白い目を気にすることなく、探索をはじめようとそそくさと話を進めた。



「何もないこと、それが答えだ」

 亡くなった二人の婦人からは、毒物のようなものは特に検出されていない。自宅からも現場に残るものからも。答えは単純な話で、毒物なんて最初から存在しないということのようだ。

「毒じゃなければ、なぜ亡くなったのです」
「体型をみればすべてわかる」
「今となっては確認するすべがありません」
「亡くなった二人に共通する症状があっただろう」

 万次郎さんに問われて思い出した。ダメージがあったのは、食道や消化器官。そして、血圧や血糖値の異常な高さだ。これが意味することは肥満。
 肥満と悟った私の表情に反応してか、万次郎さんは二つのキーワードを口にする。

「天ぷらと梅酒」

 ようやく私にもわかりはじめた。その"毒"の正体が。

「満腹がおとずれないほどの絶品。永遠と続く同じメニュー。おいしいとはいえ、健康を維持できるとは限らない」
「その通り。毒というのは、過剰な食事とアルコールということだ」

 婦人達の死因を突き止めたところで、縫取留さんへの尋問を開始した。



「お待たせしたね」
 万次郎さんは相変わらず偉そうに、容疑者へ声をかける。その態度は不遜ではあるが、相手は婚約者を立て続けに殺害した、悪者だ。それくらいしてもいいだろう、と私は思った。
 しかし、万次郎さんが描いている前提は、私のものとはまるで異なっているようであった。

「不本意だったのではありませんか?」

 予想外に優しい語り口調であった。縫取留さんは意外そうに息を詰まらせた。私たちが来る以前に、警察からは散々な取り調べを受けていたはずだ。同じように厳しく叱責されると思っていたのだろう。優しくされてホッとしたのかもしれない。けれど、相手は犯罪者だ。やはり許してはおけない。

「万次郎さん、不本意なわけはないでしょう。太らせ、人を死に追いやった。十分に罰せられるべきことです」
「彼なりの愛情だったということだ」
「愛情……ですか」

 万次郎さんは彼の経歴について指摘した。そば屋で下積みをしていた。店舗により異なるが、その仕事はやわなものではない。皿洗いはもちろんのこと、厨房で作られた食品を客席に持ち運ぶことまで担当する。
 多くの席は、和室。ふすまをわずかに開き、客室のタイミングがよいところを見計らい、料理を提供しなくてはならない。慎重で丁寧な振る舞いが求められる。
 その一方で、厨房ではスピード勝負を求められる。意外と知られていないが、蕎麦という食材は、時間の経過とともに水分を吸いすぎてうまみが低下する。ゆであがり、水でしめたところをすぐに提供するのが基本だ。一秒でも遅れることは許されない。
 一日のほとんどを食事の運搬と食器洗いに費やし、神経をすり減らす。それでいて、調理をさせてもらうには相応の経験が積まれたと、厨房の料理人に認められる必要がある。要するに縫取留さんは、その料理人という才能を持て余していた。
 そこへ婦人が現れ、婚約し、ようやく料理をふるまうことができた。彼は嬉しくなったのだ。得意料理である天ぷらと梅酒のお湯割りを毎晩のように振る舞い続けた。

「よかれと思っていたのだ。亡くなられては不本意だろう」
「つまり故意の殺人ではなく、喜ばせるために食事を提供したのですね」

 縫取留さんはうつむいた。どうやら彼は、愛を与えるという目的があって、同じメニューを提供し続けたのだ。けれど、だからといってなぜこんなにも太りやすいメニューを選んだのだろうか。彼の得意料理だったというのはわかるが、本当にそれだけなのか、そう疑問に思ったところで「これで解決だな」と万次郎さんはつぶやいてしまった。



 万次郎さんは事件を二度、解くという性質がある。特異体質とでもいうのか、二つの人格が一つの肉体に混在している。万次郎という人格が事件を解決すると、二つ目の人格の女鍵が現れ、再び事件を解決するのだ。
 そう、まだこの事件は本当の意味で解決はしていない。



「今回の事件、いつもどおりだな。心理学の道理にかなっている」

 それが女鍵さんの第一声だった。彼が気にかけた点は、そば屋の下積みという社会的に身分が高いとはいえない人間が、その後に労働が不要となるほどの富を持つ女性と婚約するに至った理由は何かということだ。

「やはり美男子は得をする。研究結果に従っている事象だ」

 女鍵さんによれば、美女やイケメンが経済的に得をすることは、科学的なデータで証明されているという。
 テキサス大学のダニエル・S・ハマーメッシュ教授は、美女や美男が得であるということを経済学の視点を踏まえ研究した。その結果「美女は8%、イケメンは4%ほど稼ぎがいい」、「事務や在宅ワークでも見た目がいいと収入は平均より6%良い」といった事実が確認されたのだ。
 この研究結果は『美貌格差』というタイトルで書籍にもなったが、オンラインショッピングサイトのレビューは低評価だらけになっているそうだ。低評価の理由は単純に内容があまりにもストレートだからだという。つまり美女やイケメンは得をするという主張とそれに伴う論拠が列挙されているので、該当しない人間は読んだところで救われないのだ。容姿で得をした経験がない読者からすると、自慢話を永遠と聞かされている気分になったのだろう。レビューが荒れるのも無理はない。

「縫取留さん、次は理想の妻に仕上がるといいですね」 

 女鍵さんの言葉に、縫取留さんは顔をゆがめた。いかにも子どもが悪いことをして、バレてしまったように。

「私は他人の好奇心をのぞき見することが大好きなもので」

 女鍵さんらしい、いかにも変態な言葉だ。しかしその好奇心とは何であるか、私には意味がわからなかった。

「どういうことですか?」
「肥えた肉体ほど魅力的」

 女鍵さんの言葉で、すべてがつながった。そうだ、縫取留さんの目的とは、これのことだったのだ。
 毒をもって財産を奪うこと、おいしい料理で妻を喜ばせること、どちらでもない。太らせ、太らせ、太らせきったその肉体をながめることこそが、彼の喜びであり、理想の妻だったということだ。
 理想に向けて妻を育て上げていたところ、肉体に負担がかかりすぎ、いずれも亡くなってしまった。
 弱る胃に攻撃を続けるとは、非道な男だと私は思った。けれど、それが愛の形というのであれば、それはあまり攻められないような気もする。

「君は実験に失敗しただけだろう。美女を作りあげる実験に」という女鍵さんの言葉に、縫取留さんは照れくさそうに顔をかいた。

 どれだけおいしい料理なのだろうと私は興味を持っていたが、食欲はわかない。理想の肉体へ育てるための料理を口にして、命を落とすのはごめんだ。おいしいものがすべて健康であるとは限らない。たまにの気晴らしに味わうのがちょうどいいということなのだろう。
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