悪戯
文字数 4,999文字
『獲物がかかりました。暇だったら見にきてね』
シノからのLINEだ。
メッセージにはGoogleマップのURLが添付されており、開くと地図上にピンが刺さっていた。
町外れの廃工場のようだ。僕はスマホを仕舞って学校を出る。
三十分ほど歩くと廃工場が見えてきた。
シノはそこで待っていた。
錆びたフェンスに寄りかかり、退屈そうに足先で小石をいじっている。僕がやってきたのに気づくと、うれしそうに手を振った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
シノは僕の恋人だ。まだ中学生なのに、自分に彼女がいるというのが未だに信じられない。
ちなみに、告白は僕の方からだった。
「犬飼くんは、わたしのどこが好きなの?」
夕日の差し込む教室で、告白されたシノは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「顔が可愛くて、明るくて、優しくて、あと、良い匂いがするところだ」と僕は言った。
シノはさっと表情をなくし、口を閉ざしてしまった。正直に言い過ぎたかな? と不安になる。
しかし、彼女の返答は少し意外なものだった。
「それは、本当のわたしじゃないよ」
シノは学生鞄を肩にかけ、「ついてきて」と踵を返した。訳が分からないながらも、僕は慌てて彼女の背中を追った。
到着したのは近所のそこそこ広い公園だった。
シノは鞄を開く。中から取り出したのは、一巻きの銀色の糸だった。
「それは何?」
「ピアノ線だよ」
次に彼女は両手に軍手を着け、辺りをきょろきょろと見回した。やがてある場所に目をつける。キリンの滑り台の後ろで二本の太い木が生えていた。あそこがいい、と呟くとシノは一直線にそこへ向かう。
二本の木にピアノ線を結んでいく。線は地面と平行で、高さは大体シノの腰のあたりだろうか。
僕らは遠くのベンチから、ピアノ線を張った箇所を眺めていた。夕方でも子連れの主婦が多い。主婦たちが井戸端会議をする横で、子供たちが元気そうに走り回っている。
「あれを見て」
シノが指差す方を見ると、キリンの滑り台の下で追いかけっこをする二人の子供いた。四、五歳くらいの男の子と女の子だ。鬼ごっこだろうか。二人でやって楽しいのかな?
男の子が滑り台を滑って追いかけてくる。女の子はきゃはきゃはと笑い、滑り台をぐるっと回って駆けていく。それから、後ろの二本の木へと近づいていった。
僕はハラハラしながらそれを見守る。女の子の足は明らかにピアノ線へと向かっている。線の高さはちょうど女の子の首もとにあった。
悲鳴じみた泣き声が公園中に響いた。
女の子が木の根本に足をかけ、転んでしまっていた。膝を擦りむいたようで、砂だらけの顔でぎゃんぎゃん泣いている。それはピアノ線のすぐ手前だった。
異変に気づいた主婦たちが集まってくる。
「危なかったねえ」
シノはどこか残念そうに言う。
「シノは、こういう悪戯が好きなの?」
僕は胸を撫でおろしながら尋ねた。
「そう。ああいう悪質なやつが好きなの。どう? わたしのこと嫌いになった?」
僕はあごに手をあてて考えた。
「嫌いにはなってないと思う。君と一緒にいるとやっぱり胸がどきどきする。今のは、違う意味でどきどきしたけど」
「それは、わたしの趣味を認めてくれたってこと?」
僕はまた考えた。
「よくないことだとは思うよ。でもやっぱり付き合いたいかな。可愛いし、良い匂いもするし」
「匂い、推し過ぎじゃない?」
シノは自分の二の腕を嗅いで、よく分かんない、と首をかしげた。
「わかった、じゃあ付き合おっか」
「ありがとう。よろしく」
「よろしくね」
シノが、ベンチに置いた僕の手に自分の手を重ねてきた。良い雰囲気になってるっぽかった。チューできるかな?
また悲鳴が聞こえた。
せっかく良い雰囲気だったのに。やれやれ、と悲鳴のあがった方を見る。
男の子が首から血を吹き出して倒れていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
シノと一緒に廃工場の中に入る。中は朽ちたクジラのお腹の中みたいで、空気はひどく重苦しかった。
「実は、この中で落とし穴を掘ってたんだ。半年くらいかけて」
工場のコンクリートはひび割れており、所々が剥がれ柔らかそうな地面が見えていた。この工場は地盤の問題で使われなくなったのだとシノは話す。
落とし穴は工場の一角にあった。
直径は三メートルほど。深さはどれくらいあるんだろうと近づくと、穴の底からごそごそと物音がした。
振り返ると、シノは後ろ手に両手を組み、にこにこしていた。あごをくいっと動かし、中を見て、という仕草をする。
生唾を呑み、穴を覗く。
穴の深さは五、六メートルほどで、穴の壁はほぼ直角に切り立っていた。重機もないのにどうやって掘ったんだろう?
穴の底では、若い男が横になって眠っていた。金髪で、痩せてはいるがいかつい顔立ちをしている。上下は白いジャージで金色のラインが入っていた。控えめに言って、ヤンキー、という出で立ちだ。
穴の底はゴミや煙草の吸い殻などで散らかっている。その上で彼は、寝心地が悪そうに寝返りを打っていた。さっきの物音の正体はこれだったようだ。
「この人は?」
「さあ、誰なんだろうね。いつものように穴を掘りに来たらこの子が居て、目が合った瞬間に追いかけてきたから、この穴に誘導して落としてやったの。最初は恐かったけど、よく見ればかわいいところもあるんだよ。ちなみにこの子、煙草が好きなんだ」
シノは制服のポケットからマルボロを取りだし、穴へと放った。
マルボロは壁に二回くらい当たりながら落下し、ヤンキーの頭に当たった。
ヤンキーが目覚める。頭を掻きながらあくびをして、こちらを睨みあげた。
「てめえ、クソガキ」
ヤンキーはその場で箱を開封し、マルボロをくわえて火をつけた。その動きはどこか慣れた風である。
「ここから出たら、ぜってえ犯す」
シノはくすくすと笑って僕を見る。
「この子、ばかみたいに同じことしか言わないの。しつけも簡単なんだよ」
シノは鞄を探った。彼女の学生鞄には常に色んな道具が入っている。彼女が取り出したのは手持ちのロケット花火だった。左手には百円ライターを手にしている。
ヤンキーも危険を察したのか、頭を抱えてその場でうずくまった。
花火に火が灯る。シノは楽しそうにそれを穴の方へと向ける。
パァン、と暗い廃工場が一瞬光に包まれた。
ロケット花火はすごい威力だった。市販のものとは思えないほどで、彼女の手から放たれた火花に、僕はドラクエの『メラ』を連想した。きっと火薬の量をいじっているのだろう。
落とし穴を光弾が飛び交う。穴底を何度も花火が行き来していく様が、こう言っちゃなんだけど、綺麗だった。ヤンキーは頭を抱えて「ヒイッ」と喚いている。シノはけらけらと笑った。
「もう犯すって言わない?」
花火が鎮火すると、彼女は笑い涙をこすりながら言った。
「言わねえ。だからもう、それやめてくれっ」
その情けない懇願に、彼女はまた笑った。「あー楽しかった」と言って、その場をあとにしていく。
「じゃあ犬飼くん、また明日学校でね」
僕は小さく頷き、彼女が去っていくのを見届けた。
ヤンキーがすすり泣いている。ぐう、と穴の中で面白い音が反響した。彼のお腹の音だった。
僕は穴から離れ、工場を出た。
近くのコンビニに行き、コッペパンとペットボトルの水を購入し、工場へと戻る。
穴を覗くと、ヤンキーはまた横になっていびきをかいていた。よっぽどやることがないんだろう。可哀想だな、と僕は思った。
「お兄さん」
声をかけるとヤンキーは飛び起きた。さっきの花火がトラウマなのか、びくびくした様子である。
コッペパンと水を穴に落とすと、彼はまた頭を抱えて蹲った。
落ちてきたものが何なのかを悟るとヤンキーはそれに飛びつく。「ありがてえ、ありがてえ」と必死でコッペパンにかぶりつき、美味しそうに水を飲んだ。
「お前、あのクソアマの彼氏か?」
食事を済ますと、彼は煙草を吸いながら言った。
「クソアマじゃないけど、そうだよ」
ヤンキーはにっこり笑う。
「お前は、いいやつだな。俺、ここに落とされてから何も食ってなかったんだ」
「いつ、ここに落ちたの?」
「おととい、だな」
「それからずっと食べてなかったの?」
僕はびっくりした。
ヤンキーがうなだれる様を見て、やっぱり可哀想な子だな、と思う。
ポケットにキャラメルがあったので、それも穴に放ってやった。
「お前、本当にいいやつだな」
ヤンキーは泣きながらキャラメルをしゃぶった。
それからというもの、僕は放課後になると廃工場に通った。コンビニでパンと水を買い、毎日のようにそれを穴に落とした。
シノはあれから廃工場に訪れない。きっとヤンキーで遊ぶのに飽きてしまったのだろう。
ヤンキーはすっかり僕に気を許してくれたようで、色んなことを話してくれた。
子供の頃父親に虐待されていたこと。いじめがバレて高校を中退したこと。暴走族に入ったが空気が読めずボコボコにされて追い出されたこと。いじめられっ子に復讐されてバットで殴られ生死の境をさ迷ったこと。バイト先の友人に騙され連帯保証人になり多額の借金を背負わされたこと。今は、借金取りの来ない遠いこの田舎の地でひっそりと暮らしているということ。
「俺は、あのバットで殴られたときに、そのまま死んじまえばよかったんだ……」
ヤンキーの話を聞いているうちに、僕は彼の境遇に同情してしまうようになる。彼の人生はグズグズの最悪のズタボロの生ゴミだった。その証拠みたいに彼の居る落とし穴は、彼の糞尿によりひどい臭いがした。
そんな最低な人生を歩んだ彼は今、この悪戯好きの少女が趣味で掘った穴に落とされ、非常に不自由な生活を強いられている。こんな惨めなことってあるだろうか?
「あとでシノに話して、お兄さんを穴から解放するように言ってみるよ」
ヤンキーは「本当か!」と目を輝かせた。
「もうあいつには、襲いかからねえ。俺はおまえと話をしてみて、心を入れかえた。これからはちゃんと仕事をして、借金を返して、良い女と出会って幸せな家庭を築く。約束するから、頼む。ここから出してくれ」
僕は強く頷き、穴から離れた。
帰宅するとさっそくシノに電話をかけ、ヤンキーを解放する旨を伝えた。彼が反省していること、心を入れかえようとしていることも、詳細に伝えた。
「彼、ああ見えて結構いいやつなんだよ。ちゃんと人として世に送り出してやろうよ」
シノの反応はあまり芳しくなかった。彼女はしばらく黙ってから口を開く。
「ねえ犬飼くん。わたしたち、やっぱり合わないかもね。もう別れましょう」
「え?」
電話を切られた。
翌日、シノは学校を休んだ。
放課後になって廃工場に行くと、そこにシノが居た。
彼女は学校のジャージ姿で、スコップで一心不乱に落とし穴を埋めていた。
「やあ」
声をかけると、シノは笑顔で振り返った。
「やっぱり、あの子を解放してあげたよ」
「本当?」
それを聞いて僕はうれしくなった。彼のこれからの人生を考えると純粋に微笑ましいと思った。
穴はもう八割方埋まっている。僕も埋める作業を手伝った。
「わたし、やっぱり犬飼くんが好き」
「ありがとう。僕もシノが好きだよ」
「わたしたち、やり直そう」
「いいよ」僕は笑って言った。
穴が埋まる。二人で足踏みしながら土を固めていく。
「アイスでも食べに行こう」シノはそう言ってスコップをその辺に放った。「また新しい悪戯を考えなくちゃ」
僕は笑顔で頷く。ふと、足元の埋まりきった落とし穴に目を落とした。
「どうしたの?」
シノが首を傾げる。
僕は固めた土の感触を、靴底越しに感じ取る。
「お兄さんのこと、解放してあげたんだよね」
「だから、そう言ったじゃん」
「お兄さん、幸せになるといいね」
僕の言葉に、シノは優しく微笑んだ。
「どっちでもいいでしょ」
僕はその場で屈み、足もとの土を見つめる。
「幸せになってね、お兄さん」
そう声をかけて、少しだけ涙ぐんでしまった。
シノからのLINEだ。
メッセージにはGoogleマップのURLが添付されており、開くと地図上にピンが刺さっていた。
町外れの廃工場のようだ。僕はスマホを仕舞って学校を出る。
三十分ほど歩くと廃工場が見えてきた。
シノはそこで待っていた。
錆びたフェンスに寄りかかり、退屈そうに足先で小石をいじっている。僕がやってきたのに気づくと、うれしそうに手を振った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
シノは僕の恋人だ。まだ中学生なのに、自分に彼女がいるというのが未だに信じられない。
ちなみに、告白は僕の方からだった。
「犬飼くんは、わたしのどこが好きなの?」
夕日の差し込む教室で、告白されたシノは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「顔が可愛くて、明るくて、優しくて、あと、良い匂いがするところだ」と僕は言った。
シノはさっと表情をなくし、口を閉ざしてしまった。正直に言い過ぎたかな? と不安になる。
しかし、彼女の返答は少し意外なものだった。
「それは、本当のわたしじゃないよ」
シノは学生鞄を肩にかけ、「ついてきて」と踵を返した。訳が分からないながらも、僕は慌てて彼女の背中を追った。
到着したのは近所のそこそこ広い公園だった。
シノは鞄を開く。中から取り出したのは、一巻きの銀色の糸だった。
「それは何?」
「ピアノ線だよ」
次に彼女は両手に軍手を着け、辺りをきょろきょろと見回した。やがてある場所に目をつける。キリンの滑り台の後ろで二本の太い木が生えていた。あそこがいい、と呟くとシノは一直線にそこへ向かう。
二本の木にピアノ線を結んでいく。線は地面と平行で、高さは大体シノの腰のあたりだろうか。
僕らは遠くのベンチから、ピアノ線を張った箇所を眺めていた。夕方でも子連れの主婦が多い。主婦たちが井戸端会議をする横で、子供たちが元気そうに走り回っている。
「あれを見て」
シノが指差す方を見ると、キリンの滑り台の下で追いかけっこをする二人の子供いた。四、五歳くらいの男の子と女の子だ。鬼ごっこだろうか。二人でやって楽しいのかな?
男の子が滑り台を滑って追いかけてくる。女の子はきゃはきゃはと笑い、滑り台をぐるっと回って駆けていく。それから、後ろの二本の木へと近づいていった。
僕はハラハラしながらそれを見守る。女の子の足は明らかにピアノ線へと向かっている。線の高さはちょうど女の子の首もとにあった。
悲鳴じみた泣き声が公園中に響いた。
女の子が木の根本に足をかけ、転んでしまっていた。膝を擦りむいたようで、砂だらけの顔でぎゃんぎゃん泣いている。それはピアノ線のすぐ手前だった。
異変に気づいた主婦たちが集まってくる。
「危なかったねえ」
シノはどこか残念そうに言う。
「シノは、こういう悪戯が好きなの?」
僕は胸を撫でおろしながら尋ねた。
「そう。ああいう悪質なやつが好きなの。どう? わたしのこと嫌いになった?」
僕はあごに手をあてて考えた。
「嫌いにはなってないと思う。君と一緒にいるとやっぱり胸がどきどきする。今のは、違う意味でどきどきしたけど」
「それは、わたしの趣味を認めてくれたってこと?」
僕はまた考えた。
「よくないことだとは思うよ。でもやっぱり付き合いたいかな。可愛いし、良い匂いもするし」
「匂い、推し過ぎじゃない?」
シノは自分の二の腕を嗅いで、よく分かんない、と首をかしげた。
「わかった、じゃあ付き合おっか」
「ありがとう。よろしく」
「よろしくね」
シノが、ベンチに置いた僕の手に自分の手を重ねてきた。良い雰囲気になってるっぽかった。チューできるかな?
また悲鳴が聞こえた。
せっかく良い雰囲気だったのに。やれやれ、と悲鳴のあがった方を見る。
男の子が首から血を吹き出して倒れていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
シノと一緒に廃工場の中に入る。中は朽ちたクジラのお腹の中みたいで、空気はひどく重苦しかった。
「実は、この中で落とし穴を掘ってたんだ。半年くらいかけて」
工場のコンクリートはひび割れており、所々が剥がれ柔らかそうな地面が見えていた。この工場は地盤の問題で使われなくなったのだとシノは話す。
落とし穴は工場の一角にあった。
直径は三メートルほど。深さはどれくらいあるんだろうと近づくと、穴の底からごそごそと物音がした。
振り返ると、シノは後ろ手に両手を組み、にこにこしていた。あごをくいっと動かし、中を見て、という仕草をする。
生唾を呑み、穴を覗く。
穴の深さは五、六メートルほどで、穴の壁はほぼ直角に切り立っていた。重機もないのにどうやって掘ったんだろう?
穴の底では、若い男が横になって眠っていた。金髪で、痩せてはいるがいかつい顔立ちをしている。上下は白いジャージで金色のラインが入っていた。控えめに言って、ヤンキー、という出で立ちだ。
穴の底はゴミや煙草の吸い殻などで散らかっている。その上で彼は、寝心地が悪そうに寝返りを打っていた。さっきの物音の正体はこれだったようだ。
「この人は?」
「さあ、誰なんだろうね。いつものように穴を掘りに来たらこの子が居て、目が合った瞬間に追いかけてきたから、この穴に誘導して落としてやったの。最初は恐かったけど、よく見ればかわいいところもあるんだよ。ちなみにこの子、煙草が好きなんだ」
シノは制服のポケットからマルボロを取りだし、穴へと放った。
マルボロは壁に二回くらい当たりながら落下し、ヤンキーの頭に当たった。
ヤンキーが目覚める。頭を掻きながらあくびをして、こちらを睨みあげた。
「てめえ、クソガキ」
ヤンキーはその場で箱を開封し、マルボロをくわえて火をつけた。その動きはどこか慣れた風である。
「ここから出たら、ぜってえ犯す」
シノはくすくすと笑って僕を見る。
「この子、ばかみたいに同じことしか言わないの。しつけも簡単なんだよ」
シノは鞄を探った。彼女の学生鞄には常に色んな道具が入っている。彼女が取り出したのは手持ちのロケット花火だった。左手には百円ライターを手にしている。
ヤンキーも危険を察したのか、頭を抱えてその場でうずくまった。
花火に火が灯る。シノは楽しそうにそれを穴の方へと向ける。
パァン、と暗い廃工場が一瞬光に包まれた。
ロケット花火はすごい威力だった。市販のものとは思えないほどで、彼女の手から放たれた火花に、僕はドラクエの『メラ』を連想した。きっと火薬の量をいじっているのだろう。
落とし穴を光弾が飛び交う。穴底を何度も花火が行き来していく様が、こう言っちゃなんだけど、綺麗だった。ヤンキーは頭を抱えて「ヒイッ」と喚いている。シノはけらけらと笑った。
「もう犯すって言わない?」
花火が鎮火すると、彼女は笑い涙をこすりながら言った。
「言わねえ。だからもう、それやめてくれっ」
その情けない懇願に、彼女はまた笑った。「あー楽しかった」と言って、その場をあとにしていく。
「じゃあ犬飼くん、また明日学校でね」
僕は小さく頷き、彼女が去っていくのを見届けた。
ヤンキーがすすり泣いている。ぐう、と穴の中で面白い音が反響した。彼のお腹の音だった。
僕は穴から離れ、工場を出た。
近くのコンビニに行き、コッペパンとペットボトルの水を購入し、工場へと戻る。
穴を覗くと、ヤンキーはまた横になっていびきをかいていた。よっぽどやることがないんだろう。可哀想だな、と僕は思った。
「お兄さん」
声をかけるとヤンキーは飛び起きた。さっきの花火がトラウマなのか、びくびくした様子である。
コッペパンと水を穴に落とすと、彼はまた頭を抱えて蹲った。
落ちてきたものが何なのかを悟るとヤンキーはそれに飛びつく。「ありがてえ、ありがてえ」と必死でコッペパンにかぶりつき、美味しそうに水を飲んだ。
「お前、あのクソアマの彼氏か?」
食事を済ますと、彼は煙草を吸いながら言った。
「クソアマじゃないけど、そうだよ」
ヤンキーはにっこり笑う。
「お前は、いいやつだな。俺、ここに落とされてから何も食ってなかったんだ」
「いつ、ここに落ちたの?」
「おととい、だな」
「それからずっと食べてなかったの?」
僕はびっくりした。
ヤンキーがうなだれる様を見て、やっぱり可哀想な子だな、と思う。
ポケットにキャラメルがあったので、それも穴に放ってやった。
「お前、本当にいいやつだな」
ヤンキーは泣きながらキャラメルをしゃぶった。
それからというもの、僕は放課後になると廃工場に通った。コンビニでパンと水を買い、毎日のようにそれを穴に落とした。
シノはあれから廃工場に訪れない。きっとヤンキーで遊ぶのに飽きてしまったのだろう。
ヤンキーはすっかり僕に気を許してくれたようで、色んなことを話してくれた。
子供の頃父親に虐待されていたこと。いじめがバレて高校を中退したこと。暴走族に入ったが空気が読めずボコボコにされて追い出されたこと。いじめられっ子に復讐されてバットで殴られ生死の境をさ迷ったこと。バイト先の友人に騙され連帯保証人になり多額の借金を背負わされたこと。今は、借金取りの来ない遠いこの田舎の地でひっそりと暮らしているということ。
「俺は、あのバットで殴られたときに、そのまま死んじまえばよかったんだ……」
ヤンキーの話を聞いているうちに、僕は彼の境遇に同情してしまうようになる。彼の人生はグズグズの最悪のズタボロの生ゴミだった。その証拠みたいに彼の居る落とし穴は、彼の糞尿によりひどい臭いがした。
そんな最低な人生を歩んだ彼は今、この悪戯好きの少女が趣味で掘った穴に落とされ、非常に不自由な生活を強いられている。こんな惨めなことってあるだろうか?
「あとでシノに話して、お兄さんを穴から解放するように言ってみるよ」
ヤンキーは「本当か!」と目を輝かせた。
「もうあいつには、襲いかからねえ。俺はおまえと話をしてみて、心を入れかえた。これからはちゃんと仕事をして、借金を返して、良い女と出会って幸せな家庭を築く。約束するから、頼む。ここから出してくれ」
僕は強く頷き、穴から離れた。
帰宅するとさっそくシノに電話をかけ、ヤンキーを解放する旨を伝えた。彼が反省していること、心を入れかえようとしていることも、詳細に伝えた。
「彼、ああ見えて結構いいやつなんだよ。ちゃんと人として世に送り出してやろうよ」
シノの反応はあまり芳しくなかった。彼女はしばらく黙ってから口を開く。
「ねえ犬飼くん。わたしたち、やっぱり合わないかもね。もう別れましょう」
「え?」
電話を切られた。
翌日、シノは学校を休んだ。
放課後になって廃工場に行くと、そこにシノが居た。
彼女は学校のジャージ姿で、スコップで一心不乱に落とし穴を埋めていた。
「やあ」
声をかけると、シノは笑顔で振り返った。
「やっぱり、あの子を解放してあげたよ」
「本当?」
それを聞いて僕はうれしくなった。彼のこれからの人生を考えると純粋に微笑ましいと思った。
穴はもう八割方埋まっている。僕も埋める作業を手伝った。
「わたし、やっぱり犬飼くんが好き」
「ありがとう。僕もシノが好きだよ」
「わたしたち、やり直そう」
「いいよ」僕は笑って言った。
穴が埋まる。二人で足踏みしながら土を固めていく。
「アイスでも食べに行こう」シノはそう言ってスコップをその辺に放った。「また新しい悪戯を考えなくちゃ」
僕は笑顔で頷く。ふと、足元の埋まりきった落とし穴に目を落とした。
「どうしたの?」
シノが首を傾げる。
僕は固めた土の感触を、靴底越しに感じ取る。
「お兄さんのこと、解放してあげたんだよね」
「だから、そう言ったじゃん」
「お兄さん、幸せになるといいね」
僕の言葉に、シノは優しく微笑んだ。
「どっちでもいいでしょ」
僕はその場で屈み、足もとの土を見つめる。
「幸せになってね、お兄さん」
そう声をかけて、少しだけ涙ぐんでしまった。