第4話 ファントム

文字数 4,052文字

 上杉は、学園から徒歩五分ほど離れた場所にある、小さいが感じのいいカフェに慧一たちを案内した。
「ここは、私がこの大学に通っていたときからずっと来ている場所なんだ」
「ここで上杉さんは学生時代を過ごしていたんですね」
 愛美が感慨深げに言うと、上杉は頷いて遠くを見る目をした。
「そうよ、隆生はいつもここで本ばかり読んでいたわ」
 背後からの声に振り向くと、小さくて短い鼻と大きく丸いアゴが特徴的な女性が立っていた。
「彼女はこの店の人ですか?」
 慧一の問いかけに、上杉はニヤッと笑って教えてくれた。
「彼は私の高校からの友人で、名前は真柴薫。この店の店長さ」
「彼……?」
「あら、彼女でいいわよ。昔からだけど隆生は意地悪ねぇ」
 慧一を含めて全員の目が点になった。
「刺激的ですね」
「だろう」
 上杉は満足そうに笑った。

「上杉先生、今日の話の理解を深めるために、いくつか質問をさせて欲しいのですが」
 忍は上杉に対して挑むような視線を向けた。
「おっと怖いな。質問というよりも議論を挑む目だな。言ってみろ」
「木崎教授は、ファントムの発現が人類の進化だとおっしゃいました。おそらく遺伝子レベルの共通的な特徴がみられること、嘘がつけないことによって社会の仕組みが変わること、移動のエネルギーが減ることなどがその理由だと思いますが、私はそれだけで種が切り替わるほどの変化だとは思えません」
「つまりファントムはホモ・サピエンスの範疇の特殊な技能に過ぎないと言いたいんだな」
「はい、その通りです。二足歩行から始まり、文字を持ち文学を想像し科学技術を発展させた進化に比べれば、その変化は小さいと思います」

「君は鋭いな。確かにファントムを出せても、食欲、性欲、睡眠欲などが消えるわけじゃない。文学を創造する力が増すわけでもない。いきなり月に行けるわけでもないな。現代の人間の持つ価値感がコペルニクス的に変わらない以上、進化と呼ぶに値しない。それは私も同感だ」
「だったら、ファントムの色を白に拘るのも、論理破綻していませんか? 木崎教授程の方が、あのような根拠のない差別発言をされることが腑に落ちません。もしかしたら、ファントムにはその先があるんじゃないですか。それが色に深く関わるような気がするんです」
 上杉の顔つきが変わった。先ほどまでの余裕が消え、驚愕が表情に現れた。
「これまで長い間、教授の理念教育を聞いた直後に、ここまで深い考察ができた生徒はいなかったよ。君は本質をついている。慧一と愛美もそう思うだろ」
「ええ、素直に凄いと思います。実は今日その答えを聞けると思って、期待していたんですが」
「私も忍の考えてることは凄いと思う。色のことばかり気にして、その先なんて考えたこともなかった」
「ふふ、まあこの二人には、慧一が現実に色付きファントムの持ち主だったから、いつも通りに考えられなかったという事情はありますがね」
 二人を見る顔はいつもの上杉だった。

「では真咲の疑問に、私見を述べよう。でも木崎教授の口から聞いた話ではないから、これが真実とは限らない。真実は自分たちで探すんだ」
 慧一も上杉の口から進化の話を聞くのは初めてだった。両脇に冷たさを感じる。
「真咲の言う通り、ファントムだけを持って進化と言うには、あまりにも話が小さい。現人類が抱く欲望のいくつかを実現するに過ぎない。だが進化は置いといても、ファントムがリアルに存在するということは、人類に新たな謎を投げかけたと思う。そもそもファントムって何だと思う?」
 確かに慧一も、ファントムとは何かを考えることについては、思考停止していた。
 現実に存在し、物理的な働きもする不思議なものだ。
「木崎教授は意識が実態化したものだと言ってました」
 ランコが今日聞いた知識を素直に返す。

「確かにそう言った。では意識とは何だ?」
 上杉の踏み込みは厳しかった。全員が押し黙る中で、慧一が臆せず口火を切った。
「意識を語るのであれば、前提を置かないと難しいと思います。今は大きく二つの立場があります。一つは心と肉体は分かれている立場と、もう一つはあくまでも有機体の神経活動の結果生まれるものだという立場です」
「それで慧一はどっちの立場で話そうと思っている」
「今日の有坂さんの人型のファントムを見てしまうと、心と肉体は分かれていると考えた方が良さそうですね」
「ひぇー、やめてくれよう。その話、最後は幽霊とかそういう話になるんだろう。私はそういうの苦手なんだよ」
 晶紀が必死に懇願する。
「まあ、そう言うな。大山の持ってる赤いファントムだって、既に立派なオカルトだぞ」
「あっ、そうか」
 妙に素直に晶紀が納得する。
「では慧一、話を続けてくれ」
「はい、意識が肉体とは独立した心と呼ばれるものだとすると、意識はそれぞれの個体ごとにユニークに存在します。また肉体が機能低下して死を迎えると、意識も消滅すると考えた方がいいと思います」
「なぜ肉体が滅びると意識も消滅するんだ?」
「エネルギーの問題ではないでしょうか。現在、脳は思考をすればするほど、エネルギーを多く消費すると言われています。感情の起伏が激しいと同様にエネルギーを消費します。意識は肉体とつながっていて、肉体からエネルギーを供給されると考えれば、話はつながると思います」

「うん、いいだろう。それではファントムの話に戻るが、白いファントムと色付きのファントムには、一つだけ大きな違いがある。それはスタミナの問題だ」
「スタミナですか?」
「ああ、聞いた話では、有坂はあの白いファントムを、三日間出し続けても平気らしい。私の白いファントムもガス欠を起こしたことはない。ところがだ」
 上杉は立ち上がって、右手を前に出すと、その手に青い棒状の物体が出現した。
「これが私の色付きのファントムだ」
 それは青白く輝く見事なファントムだった。
「だがこれは長くは出し続けられない」
 上杉の額に脂汗が浮かんできた。
 三分も絶たないうちに上杉のファントムは消えた。
「上杉さんは両方のファントムを出せるんですか?」
「ああ、私も真咲のように色による差別に反発して、ちょっと苦労したが、頑張ったら出せるようになった。これで色付きが亜種というのは、成り立たなくなったんじゃないか」
「上杉さん……」
 上杉がこれを出せるようになるには、どんな努力を積み重ねたのか想像もつかない。色付きファントム保有者に対する不当な差別に抗するために、この人はそれをやり遂げたのだ。頭が下がる思いがした。

「二つとも出せるようになって気づいたんだが、色付きのファントムは威力は強いが長時間持たない。だが白いファントムは、いくら出していても疲れないんだ」
 みんな体験してないので、よく実感がつかめない。
「どう言えばいいだろう。そうだな、白いファントムは肉体ではなく、別のところからエネルギーを持って来る感じがするんだ。例えばあの世とか」
「ひぇー、やっぱり話はそっちに行くんですか!」
 晶紀が堪らず悲鳴を上げる。
「まあ、あの世は冗談だが、何かこの世界のどこかと、リンクしている感じはしないんだ。何というか、別次元というか、そういう感じだ」
「この世界とは違う世界が存在しているということですか?」
「そうだ。そう考えると、木崎教授が白いファントムに拘る理由も、その世界が関係しているような気がするんだ」

「上杉さん、白いファントムが出せるようになりたいと思います。訓練方法を教えてもらえませんか」
「私も出せるように成りたい」
「私もやる」
 晶紀と歩美も決意を口にした。
「明日、これをE組のみんなに配ろうと思う。白いファントムを出すための訓練方法を書いたマニュアルだ」
 上杉が渡してくれた小冊子には、細々と訓練内容が分かりやすく書いてあった。
「ありがとうございます」
 これで亜種などと悩む必要はなくなる。
「良かったじゃない。うまく白いのが出せるように成ったら、私にも見せてね」
 薫が意味ありげな表情で、慧一にウィンクした。

 木崎家に帰ったときはもう五時を過ぎていた。まだ正文は帰ってなかった。
 二人でソファに座る。慧一は今日の上杉の話を聞いて、明るい気持ちになっていた。浮かれている慧一の顔を、愛美が怖い顔で睨む。
「高等部に来てから急にモテモテだね」
「えっ、そうかなぁ」
「だって、周りに女の人ばっかり寄って来てない?」
「そんなことないよ。最初に仲良くなったのはコータだろう。それに忍は古賀さんのことが気に入ったみたいじゃないか。ランコや晶紀は恋愛って感じじゃないし、歩美はまだよく分からないし」
 よく説明したと自分のことを褒めたかった。

「なんか怪しいな。肝心の慧一の気持ちはどうなの? 普通はそんな他人(ひと)の気持ちを説明するんじゃなくて、自分の気持ちを言うんじゃない。誰かに好きって言われたらつき合うってこと」
 愛美の勢いに押されて、慧一は防戦一方だ。
「何か言うのは恥ずかしいな」
 慧一はその言葉で逃げようとした。
「いいわ、言わなくても。でも私、今日のお父様の講義を聞いて、こういうことができるようになったの」
 愛美は言い終わると、身体から白いファントムを出してきた。それはチェーンに形を変えた。
「慧一のことを考えながら練習してたら、こんな形になっちゃった。クラスも違っちゃったし、縛りたいのかしら」
「ええっ」
 慧一は愛美の目を見て、それが女の目であることに気づきぞくっとした。
「ふ、嘘よ。でも慧一の気持ちは知りたい。さあ、慧一のファントムも出して」
 もう、愛美から逃げられないと慧一は観念した。
 慧一の身体から黒い蛇のファントムが出てくる。
 黒い蛇に純白の鎖が絡みつき、愛美の意識が流れこんで来る。
――アイシテル、アイシテル、アイシテル
 それは慧一の意識を痺れさせ、閉じた扉をこじ開ける。
 慧一の愛美に対する想いが、どっと流れ出て愛美の意識と交じり合う。
 途轍もない興奮とエクスタシーが二人の意識を包み込み、二人の意識は途切れた。
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