猫の都市伝説 ―猫より長生きする保証はどこだ―

文字数 5,521文字

 忙しい生活の中、猫を拾った。積極的に飼おうなんて思ってもいなかった。だけど、庭でガリガリになって鳴き続けられたから、我慢ならなかった。
 弱っていた猫は簡単に捕まった。簡単過ぎて怖いくらいだった。病院に担ぎ込めば、重篤な感染症には罹っていないとのこと。ただ、お腹に虫が居るので、かなりの栄養失調だった。
 虫下しの処置にノミダニ対策の薬の処方。ノミダニ対策は、綺麗に洗ってからやってくれとのことだった。なお、暫くはソーメンを食べられそうにない。

 猫の体力が回復したところで、飼い主の義務たる手術。様々な意見は有るが、確実なのは一匹の世話しか出来ないこと。耐えきれずに拾ったが、初期の医療費だけでかなり使った。金持ちでも無い限り、無茶は出来ない。
 猫は、犬に比べれば手が掛からないと言う。先ず、散歩が必要ない。トイレの躾も、綺麗好きな猫は決めた場所にするから、不満にさせなければ楽。毛繕いをするから短毛なら人間は換毛期以外に手入れする必要はない。むしろ、洗い過ぎる方が体に悪い。それに、群れで生活する犬と違って、単独行動を好むと言う。だから、なんとかなる、そう思っていた。

 ある時から、残業が続いた。ご飯はタイマーで出せる様にして、猫トイレの数は増やして毎朝綺麗にした。だけど、それ以上のことは中々出来なかった。
 忙しい生活の中、どんどん食生活は乱れていった。食べる時間が惜しかった。次第に食べ物の味が分からなくなったから、栄養さえ摂れれば良いと思う様になった。
 温かな料理を滅多に口にしなくなったころ、強烈な眩暈に襲われた。なんとか壁に体を預けたが、意識を保てそうにない。死ぬのは怖くない、だけど。

「人の子よ、機会を与えよう」

 低い声が脳内に響く。これは、いよいよ危ないと言うことか。

「意識の無い間、代わりの器を使うが良い」

代わりの器ってなんだ? 人形か何かか?

「その器は、借り物だ。大切に扱え」

 そこで声は途絶え、意識も途切れた。目を覚ました時、目に入ったのは見慣れた光景だった。ただ、色がおかしい。それに目線の高さも。
 部屋を見回すが、家具の位置も同じだ。だけど、やっぱり違う。これは夢だろうか? いや、むしろ走馬灯? 夢ならばの定番、頬を抓る。しかし、抓ろうと上げた手は手でなかった。肉球だ。いや、前足だ。
 やはり夢か。夢なのか。だが、夢なのに腹は減った。喉も渇いた。夢ならば、思い通りにご馳走が出てきて欲しい。いや、だったら人間の姿で食べたい。
 しかし、願ってみても現状は変わらなかった。仕方がないので、部屋を探検することにした。四つ足は慣れないが、人類一度は通る道。乳児に出来ることが出来なくてどうする。

 部屋を歩き回るも、やはり目線が低い。上の方はわからない。猫の跳躍力なら日本家屋なんて楽々天井にも行けるだろう。だが、中身は人間だ。四つ足で歩けはしても、飛び方は分からない。いや、椅子やベッド程度の高さなら行けるか? ベッドなら着地に失敗してもふかふかだから痛く無さそうだ。
 ベッドに向き直って飛ぼうとしたら、勝手に尻が揺れた。いや、尻尾でバランスをとったのか? なんにせよ、ベッドには上がれた。上がれたら、安心したのか眠気に襲われた。ので、寝た。

 目が覚めた時、まだ手は肉球だった。目を擦ろうとしたら肉球だった。と言うか、無意識に顔を洗っていた、猫のやり方で。伸びすれば、一気に目は覚め、腹も鳴る。ベッドの上から部屋を俯瞰。カリカリは時間が来て機械から放り出された様だ。
 猫カリカリ。総合栄養食ではあるが、水分の少ない飯。食べてみた人間が無表情になるらしき飯。だが、今は無性に食べたい。体が猫カリカリを求めている。
 ベッドを下り、猫カリカリの元へ。先ずは一口。程良い固さに魚介の旨み。ただ、喉が渇く。横に在る水入れから水を飲む。人間って、水分を摂るのに便利な体をしていたんだな。舌で掬ってもそんなに飲めない。
 そして襲い来る腹の痛み。食ったら出す。それが生き物。体が小さい生き物程、ところてん式と言うことか。ここは、人間用に行きたいがドアは閉まっている。ジャンプしてノブに手をかけるのも良いが、今は腹に力を入れたらアウトだ。これは人間でも変わらない。
 仕方ない。砂に出そう。こう、隅を狙って、臭いから埋めて。うん、猫砂の力凄い。
 腹も満ち、覚めようとしない夢について考える。そもそも、これは夢なのかと。倒れて昏睡状態なら夢が長くても不思議ではない。だが、一度途切れて同じ場面からスタートする夢とは?
 倒れた時に聞こえた声、器がどうとか言っていたが、器ってまさか……だとしたら、元の中身は何処に? うん、考えるのはよそう。これは夢だ、ただの長い夢。

 次にもよおした時を考え、トイレのドアを開けておく。案外簡単に開いた。だが、開けてから気付く、猫のブツは流してはいけないということに。いや、本当に夢なら何処にだしても良い。だけど、夢にしては細かい位置まで正確なのが怖い。
 猫の体で行ける場所を探検し、猫ベッドに横たわる。タルトに乗せる果物、猫目線だとでかいな。ああ、これなら寝る位置が中々決められない訳だ。割と邪魔。いや、丸いのをこちらに長いのをこちらに動かせば……何ということでしょう、気持ち良い位にぴったりの快眠を誘う配置に。なので、寝た。

 タルトの中で目を覚まし、やはり手が肉球なので再度寝る。本当に猫になったのなら、無駄な力は使いたくない。猫カリカリ、念の為に二食セットしたけど二食は二食だし。水はレバーを倒せば飲めるからなんとかなるけど、猫カリカリは二食しかセットしていないし。
 猫と言う生き物は、幾らでも寝られるのだろうか。いや、人間だって暇なら、本能的に寝て過ごしたいのだろう。集団で暮らすようになったせいで、それが許されなくなっただけで。

 寝ていても腹は減る。猫カリカリを食べて水を飲み、これからの対策を考える。猫の小さい体で出来ることは限られている。助けを求めようにも、鳴いただけじゃ煩さがられるだけ。人間は冷たい。こういう時の対策って大事だな。猫の寿命が人間より短いからって、人間が猫より長く居きる保証は無いのに。
 なんだか不安になって、ベッドの上で布団に潜った。夢なら覚めて欲しい。猫を拾うのは人間のエゴだ。人間基準で可哀想と決めつけて、自由を奪う。確かに、暑さ寒さや雨風からは守られる。だけど、その生活は人間が手入れをしてこそだ。その手入れがなくなれば、待つのは飢餓。多頭飼い崩壊でなくとも、危険はあったのだ。
 だけど、迎え入れたからには野良には出来ない。可愛くて仕方がないのだ。確かに、仕事にかまけて触れ合う時間は無かった。働かなければ食べていけない、だからがむしゃらに働いた。その結果がこれだ。
 孤独な人間はどこまでいっても孤独だ。猫を愛でることで孤独を紛らわせてもそれは変わらない。倒れた後、適切な治療がなされたかも分からない。むしろ、発見されてから迷惑がられてはいないだろうか。だったら、この夢から覚めない方が幸せかも知れない。
 だけど、これが夢でも現実でも、可愛いウチノコは飢えて死ぬ。自分が世話出来なくなった時の対策を何もしてこなかったからだ。もし、前から予定のあったことならシッターなりペットホテルなり獣医なり、世話を頼む他者は居た。だけど、唐突にアクシデントが起きた時の対策は、考えてすらいなかった。いや、考えたところで頼める人も居ない。利用されはしても、同じ頼み事は無視どころか否定までされる。そして、次からは相手の願いも対抗して無視し、利用されるだけの関係を切る。相手は新たな寄生先を探すだろうがこちらは孤独。そうして、どんどん落ちていった。その答えがこれだ。
 もし、時を遡れるなら、猫は保護しないだろう。いや、違うな。耐えられなくて拾ったのだ。修正すべきことは別にある。

。一度触れ合ってしまったぬくもりを、どうして手放せると言うのか。
 ああ、どうして自分はこんなにも不器用で、人を頼ることすら出来ないのか。否定され続けたから怖い、それは分かっている。だけど、今はそうも言ってはいられない。別の命がかかっているのだから。
 考えているうちに眠気に襲われ、そのまま寝た。とても幸せな夢を見た気がする。幸せな夢を見たのなんて、何時ぶりだろう。

 目が覚めたら、視界はぼやけていた。何度か瞬きすると、白い天井が見えた。見回せば淡い色のカーテン。体は重い。だが、動かせないこともない。
 手を動かせば布に触れる感触。しっかりと布は掴めた。脚も、強張ってはいるが動かせる様だ。問題は、勝手に動いて良いのかどうか。二次元の話だと、都合良く「目が覚めましたか?」と来る。が、急変したならいざ知らず、目覚めただけで誰か来るだろうか? と言うか、誰も見舞いが居ないとは流石の俺。
 結局、ただの過労と診断はつき、次の日にはあっさり帰された。労災手続きだなんだについて話されたが、頭の中は残してきた猫で一杯だった。労災がおりようがおりまいが、会社は辞めよう。ワークライフバランスは大事。

 家に帰るなりカリカリを出して水を取り替え、猫砂も掃除する。何故か塊が端に集中していたが何かの抗議だろうか?
 体調不良を理由に溜まった有給を消化して次の仕事を探す。定時に帰るのが当たり前な、猫を預けられる様な人脈の作れる会社。簡単には見つからないと思っていたが、動物関連の仕事は昔より増えた様だ。
 猫を撫でながら会社を検索し、猫を膝に乗せながらエントリーをする。人手不足のおかげか、書類は簡単に通った。後は、有給を利用しての面接だ。
 面接で動物愛を語り、有ったことも包み隠さず伝える。体調不良はマイナスになるが、それの治療具合とアニマルセラピーの効果について熱く語った。猫のゴロゴロ音は癒やしの音。骨を早くくっつけ、腫瘍を小さくもする猫のゴロゴロ音。魔法界の猫ならば、意図的に怪我人の側でゴロゴロ音をけたたましくならす。そう、ゴロゴロ音はヒーリングミュージック。なんなら、そんな本まで出ている位に癒やしの音色。そんなゴロゴロ音を聞くためにも、ウチノコとの時間を取れる仕事。あわよくば、ウチノコたる猫に関わる仕事がやりたい。そう、やや前傾になりつつ語った。
 そうしているうちに面接時間は終わり、頭を下げて部屋を去る。手応えは無かった。だが、言いたいことは言えた。ウチノコ大事、ウチノコ可愛い、ウチノコ癒やし、ウチノコ最高。なので、有給なのを良いことに余った時間でゴロゴロ言わせた。ウチノコのツボは頬から喉にかけてのエリア。そこを「さあ撫でろ」とばかりに足下で横たわった時に両手で包み込むようにして撫でる。すると、ゴロゴロ言い出し、ゴロゴロ音を大きくしながら「次はここを撫でろ」と言わんばかりに体勢を変える。あとはウチノコが満足するまで撫でモフり、こちらはゴロゴロセラピーを受け取るのである。この際、柔らかな毛が抜けるが、ハゲない限りは気にしない。掃除すれば良いだけだ。

 もぎ取った有給を幸せに消化した翌日、採用の知らせが入った。あくまで電話連絡だから書類を交わすまでは安心出来ない。だけど、これで一安心。残業続きの会社に退職届けを提出。ホワイトな会社で、ウチノコとの時間を確保。そんな幸せな気分で、ウチノコとお祝いしようと帰りがけに猫おやつを買って帰った。
 普段飲まないビールで乾杯し、ウチノコにおやつを差し出す。イエネコどころかネコ科まで魅了する魔性のおやつ。ガンガン舐めにくるため、猫好きの心もガッツリ掴んだ良いおやつである。
 ウチノコがおやつを食べる姿を見ながら、採用の知らせが来たことを話した。そう、内容が内容だけに、話せる相手が居なかったのだ。

「おめでとさん」

 倒れた後遺症の幻聴だろうか? それとも、

だろうか? ウチノコは、旨そうにおやつを食べている。
 倒れてから数カ月、新しい仕事も慣れてきた。休憩時間にウチノコの自慢をし、ヨソノコの自慢をされ緩やかな時は過ぎた。ハードワークで上に金を巻き上げられるより、労働に見合った対価。これぞホワイト。猫の毛皮なら黒くても歓迎だが、会社の黒さは勘弁願いたい。

 大体は定時で終わり、長くてもてっぺんは越えない。残業代もちゃんと出て、みなし残業を含んだ最低賃金でもない。当たり前が当たり前でなくなったこの国で、ホワイト企業に入るのは難しい。だけど、体を壊してまでブラックに残る意味などありはしない。会社は沢山在るけれど、自分の体は壊したらそれっきり。治るものなら良いけれど、そうでなければ一生苦しむ羽目になる。死ぬくらいなら、とは言うけれど、生きる為に金を稼ぐ、その為の会社に殺されたら元も子もない。
 労働力が足りないのは、環境が悪いせい。口に出さないだけで、どれ位の人が「上層部が労働力と金を巻き上げるから下の労働者は苦しい」と気付いているのだろうか? 税金も、金持ちには抜け道が用意されていると耳にする。仕事中寝ていて、たまに口を開けば他者の批判。そして、巻き上げた税金で左団扇。それでいて労働力を更に要求する。この国がどこに向かうかなんて、予知能力でもなければ分からない。だけどウチノコを看取る時まで、生き続けようとは思うのだ。
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