第1話 【出会い】

文字数 3,775文字

忘れないで…私を…忘れないで…

あなたが迎えに来てくれることを…ずっと待ってるから…

ずっと…

ザザザァァァーーーー


静寂の中、波の音にかき消されるようにか細い女性の声が響いた。

それはとても小さく、寂しいものであった

うわぁ~

すごい、いい眺めだね

海に囲まれた名もない小さな島。

観光スポットもなく自然と共存する島民。

生まれ育った若い者は都会へと旅立っていく。

そんな島へ都会から遊びに訪れた青年は歓喜の声をあげていた


いいところだろう?
すごく気持ちがいいね。来てよかった。

みんなも来れたらよかったのに。

島に住む伯父から夏休みに誘いを受け、家族で遊びにくる予定だったが

家族との休みが合わず、青年だけ伯父の好意に甘えることになった。

青年は持ってきたカメラでシャッターを切る。

青い空、おいしい空気、崖の上から地平線を見る景色が

青年の心を踊らせた。

気に入ってもらえたようで、うれしいよ。

私はそろそろ村に戻らないと行けないのだが…

もう少し、この辺り見てみたいです。ダメですか?
村はすぐ近くだし、遠くに行かなければ大丈夫だろう。

日が暮れる前に迎えにこよう

ありがとうございます、伯父さん。

浜辺の方にも行きたかったのでうれしいです。

浜辺に行きたいのか?

なら、あそこにある入り江には近づかないようにな

崖の上から見える、いくつかの岩が突き出た入り江を伯父は指さした。

見た目は変哲もない場所ではあったが、

伯父の表情から只事ではないことが伺えるが

青年は興味本位と怖いもの見たさもあって伯父に訊ねてみた。

伯父さん、あの入り江に何があるんですか?
古くから、成仏できずにいる死者の魂の集合体とも云われている【魔性】が棲みついているんだ。美しい歌声で男を誘い、海に引きずり込まれ…私の息子も目の前で犠牲になった…
伯父の息子も犠牲になったと聞いて、青年は言葉を失った。

青年には非現実的な話であったが、伯父や島民にとっては

まぎれもない事実なのだ。

村の者は怖がって一切近づくこともないが

万が一、お前が被害にあったり、島の者に迷惑かけたら申し訳ないからな…

伯父は再度、『ちかづくんじゃないぞ』と念を押すと村に戻っていった。

青年はその後ろ姿を複雑な想いで見守った。

男を誘惑して、海に引きずり込む【魔性】か…。
青年は【魔性】がいるという入り江に視線を落としながら

迷惑をかけてはいけないと分かっていながらも

その話を聞いた瞬間から、心の中がザワザワとざわつくのを感じていた。

『このざわめきはなんだろう。心臓が締め付けられる感じだ。それに…どうしようもなく【魔性】に会いたい…』
【魔性】に会いたいというはやる気持ちを押えながら

青年は入り江に降りる道を見つけ、降りて行った。



砂浜に降り立った青年は感動していた。

美しい波の音。青く澄んだ海。サラリとしたゴミひとつない砂浜。

人間の手がついていない自然そのままの世界がそこには広がっていた。

美しいという言葉さえも失礼に思えるほどに美しい光景があった。

癒される。

こんな美しい自然を見てしまったら、人間なんて、自然の箱庭で暮らしている、ちっぽけな存在に思えてくる。入り江もきっと綺麗だろうな。

問題の入り江はすぐに見つかった。突き出た岩も周りの景色と溶け込むように存在していた。

とても【魔性】がいるような禍々しい雰囲気などない。

むしろ、ちょうどいい岩場があり、青年はそこに腰を落とし、海を眺めていた。

…やっと…迎えに来てくれたのね…やっと…
波の音にまじり、女性のか細い声が辺りに響いたが、青年は気づかなかった。

ふと、どこからか、歌声が聞こえてきた。

とても美しい音色。体中を痺れされるほどの美しい声だった。

歌声が聞こえる…これが【魔性】の声…?
『美しい歌声で男を誘い、海へと引きずり込まれる』という伯父の言葉が脳裏に浮かぶ。

引きずり込まれた先は『死』という恐怖が一瞬にして体中を駆け巡った。

それでも【魔性】に会いたいという欲求の方が大きく、強かった。


歌声が徐々に大きくなり、波音が静かに遠くに感じられると

目の前に長い髪をした女性が海の中に立っていた。


やっと、会えた。ずっとずっと待ってた…。

あなたが来るのを、私を迎えに来てくれることを…。

(心のざわめきが大きくなる。初めて会うのに、僕は彼女を知っている。

だけど、僕は君を知らない…)

あなたは私を知らなくても私はあなたを知っているわ。もう、離れたくない…だって…やっと会えたんですもの…
気がつくと歌声は止み、目の前の【魔性】らしき女性は海面を音もなく静かに移動し、

青年の近くへと歩み寄った。

間近でみる【魔性】は清楚で綺麗な女性だった。

一瞬でも【魔性】ということを忘れるほどに人間に近い姿をしていた。

何故、僕を知っているの?
ふふふ。

あなたが私の恋人【ヴェイト】だからよ。

そうでしょう、【ヴェイト】

僕は君の恋人じゃない、名前が同じだけだ。

君のことは知ってるけど、僕は知らない…。

だから、君の恋人にはなれないよ

青年【ヴェイト】は【魔性】にそう伝えたはしたが、当の本人も何を言っているかわからなかった。

ただ、同じ名前の恋人がいたと事実が【ヴェイト】の気持ちを沈ませた。

ふふふ。

【ヴェイト】は【ヴェイト】よ。

まぎれもない私の【ヴェイト】だから。

悲しまないで…【ヴェイト】。

ふわり。と【魔性】が【ヴェイト】を抱き寄せた。

実体がないとばかり思っていた【ヴェイト】は彼女から人間と同じ温もりを感じた。


温かい…君は本当に【魔性】なの?

僕は君を知らないけど、君の温もりを知っている気がするんだ。

僕の知らない僕が君を知っている…

知らなくてもいい。思い出さなくてもいい。

私はただ、あなたと一緒にいたいだけ…

ずっとずっとあなたと一緒にいたいだけなの…


しばらく、何も言わずにただ、静かに体を寄せ合い、抱き合っていた。


辺りは日が落ち始め、オレンジ色に染まりつつあった。

【ヴェイト】は抱きしめていた彼女を引き離した。

伯父さんが心配するから帰らないと…
もう離れるのは嫌。ずっとあなたと一緒にいたい。だから一緒に暮らそう。
トクン。と【ヴェイト】の胸が躍った。

一緒にいたい。そう【ヴェイト】も思った。

これが【ヴェイト】自身の気持ちなのかわからない。

もしかしたら、【ヴェイト】であって【ヴェイト】ではない者の気持ちなのかもしれない。

けれど、離れたくない。強くそう感じていた。

また、明日も来るよ。

君の名前、聞いてもいい?

セレン…。

でも、今は【セイレーン】と呼ばれているわ

セレン…って呼んでいいかな?

僕はそう呼びたいんだ。

あぁ、またこうして、あなたに名前を呼んでくれるなんて。私、すごくうれしい、ありがとう。【ヴェイト】
【ヴェイト】はまた来るよ。とセレンに告げるとその場から離れた。

後ろ姿を見送ったセレンだったが、一瞬にして表情を硬くしながら、

海中へと消えて行った。


セレンと別れ、村に戻る最中に【ヴェイト】は村長の息子【サイパ】に出会った。

【ヴェイト】くん、無事だったか。
【サイパ】さん、どうしてここに?
君の伯父さんに頼まれて来たんだが…どうやら【魔性】には出会わなかったみたいだね。安心したよ。
【サイパ】は伯父から浜辺に行ったということを聞いていたようで

【魔性】の犠牲になることを心配してくれたようだった。

【ヴェイト】は何もなかった。と【サイパ】に嘘をつき、適当に話を合わせた。

伯父さんが迎えにくると思ったので

正直、【サイパ】さんが来て驚きました。

そうだろうね。

村は封鎖的だから、君のような外から来る人間とは中々打ち解けない部分があるだろうし、何よりも今は【魔性】のせいで神経質にもなっていると思う。

面白がって【魔性】を刺激して、また犠牲者がでてしまったら、と思うと、父や保守的な考えを持つ村人は正直、嫌がるんだろうね…仕方ないことだけど。

島にある唯一の村の村長の息子である【サイパ】は人当たりがよく、次期村長として村や島のために話や悩みなどを聞いたりと、色々と動き回っているらしい。【ヴェイト】も初めて会ったときには近所にいる少しおせっかいなお兄さん。という印象だった。
今はこんな島の状態だけど、昔は貿易や観光が盛んで、船も行き来していたらしいよ。

いつか、この島を昔のように栄えさせたいと思っているんだ。

そのためにも【魔性】のことも本当は解決しないといけないんだけど、どうしたらいいのかわからないし、俺も死にたくもないからね。

【サイパ】の言葉に【ヴェイト】は【セレン】のことを真剣に考えてくれている。ふと、【セレン】のことを打ちあけてもいいのではないか?と思ったが、【魔性】が村人にしたことを考えると、すぐに理解してくれるとは思えなかった。

【ヴェイト】は言いそうになる言葉を飲み込み、しばらくは【セレン】のことは秘密にすることに決めた。

(【セレン】に…会いたいなぁ~。もっと、もっと【セレン】のこと知りたい…)
道中、【サイパ】は話しかけていたが【ヴェイト】の意識は【セレン】へといつしか向かっていた。

別れたばかりなのに会いたいという想いが募る。

細い肩を抱きしめたくなる。

出会って間もないのに、この胸が苦しくなる想いは一体何なのか。

これが恋なのか。それとも【魔性】の力で魅了された影響なのか。

【ヴェイト】にはまったく分からなかったが、ただ、明日も会いに行こう。と決めた。



つづく

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登場人物紹介

【ヴェイト=スグレイ】

ごく普通の大学生で小説を書くことが趣味。

彼女が欲しいと思ったことはあるが付き合いたい女性はいなかったため

恋愛経験はほとんどないに等しい。

若干、内向的な性格ではある


【伯父さん】

島の村長とは親交があり、島の暮らしは長い

普段はとてもやさしいが、規則などに厳しく保守的な考え方を持つ

息子がいたが【魔性】の犠牲になった

【サイパ】

村長の息子で次期村長。

保守的な考えの持つ島民が多いなかで柔軟な考えを持つ。

父の村長とは意見の対立が大人になるにつれ増えつつも逆らえない自分に憤りさえ感じている。

【セイレーン】

島の入り江に住む【魔性】

若い男を綺麗な歌声で誘い、海に引きずり込む。

成仏できない死者たちの集合体とも云われている

【村長】

【サイパ】の父で村の村長を務め、【伯父】と親交がある。

しきたりや礼節に厳しく、古い考え方の持ち主でもあり、保守的でもある。

息子とは考え方の相違によって喧嘩が絶えないが、親として応援したいと思っている。

【ヴェイト】

島の伝承で語られている村長の息子。

遭難した【セレン】を助け、面倒を見るうちに好意を持つようになる。

島の外の世界に興味がある。

【セレン】

島の伝承で語られている遭難した女性。

【ヴェイト】に助けられ、村で生活しているうちに【ヴェイト】に好意を寄せる。

助けてもらった恩があるせいで、その気持ちを隠している。

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