5 斎藤栞の解放

文字数 1,721文字

「すっごく、お綺麗ですよ。斎藤さん」
「結婚式じゃないんだから、そんなにしみじみ言わないで」

 お手伝いに来てくれた山下さんの感想である。
 彼女は椅子に座るわたしの傍に立って、姿見の中のわたしを繁々と眺めている。

「白無垢の花嫁って感じ。んふふ、思いっきり顔を埋ずめたいなあ」
「え、埋ずめるって? 何に?」
「斎藤さんの胸。実は前々から狙っておりまして」
「えええええっ」

 ふと彼女を見上げると、その視線は外気に晒すわたしの胸に移っている。
 咄嗟に胸を隠すわたし。なにこの唐突な百合発言。
 すると、機材のセッティング中のラウィが後ろから声を掛ける。

「ダメよ、まだ絵の具は乾いてないんだから。終わったら好き放題にしていいわ」
「ちょっ、勝手に許可しないでくださいっ」

 スタジオの壁に反響しているのは、わたし達の会話と空調の音だけだ。

「あら、ダメかしら。誰かさんのものだから?」
「えっ………」

 わたしが言葉に詰まったその時、飲み物の調達に出ていた先生が戻ってきた。
 ラウィの顔はわたしの位置から見えないが、きっと妖しく口角を吊り上げていただろう。

「あーら、誰かさん、おかえりなさあい」

 バ、バレてる………





 完全遮光の黒ホリ撮影が可能な都内某所のある撮影スタジオ。
 今、ここに居るのはわたし達四人だけだ。

 こんなに急いだのは美大受験の実技試験以来だ、と笑う先生。
 午前八時にスタジオ入り、早々に準備に掛かって約六時間。本気の先生は凄まじく速かった。
 わたしは顔から脚のつま先まで全身を均一に真っ白に塗られ、身につけているものと言えば胸のニプレスと小さなシームレスショーツだけである。
 当初はオレンジ色のヴィッグを被る予定だったが、わたしの赤茶の地毛を活かすことになり、ストレリチアを模したオレンジと青の髪飾りを付ける。
 本撮影で必要なのは静止画だが、ターンやステップを踏む動体を撮る。奇遇にもフィットネスクラブでジャズダンスのプログラムを受けていた経験が役に立った。

「酷いんですよ、田中君。一昨日までこの件に触れもしなかったのに、斎藤さんがモデルと知ったら手のひら返し。僕もお手伝いに行きたいって。もうっ、最低」

 山下さんは口を尖らせて田中君の文句を言う。
 少しばかり焼いているのだろう。可愛いいなあキミ。
 だが、先生の目にわたしの嫉妬する姿はどう写っていたのだろうか。
 先生に視線を向けると、わたしに向いて笑みを浮かべ、少しだけ首を傾げた。

「あはは、いいじゃない。男の子らしくって」
「えっ、見せちゃってもいいんですか?」
「それは………その、なんだ、まだちょっとアレかな………」

 と、お喋りの途中でラウィが割って入る。

「そろそろ始めたいのだけど、準備はいいかしら」

 本ビジュアルのテーマである「ストレリチア」。
 一つの花首が胸からお腹にかけて描かれ、長い茎が歪曲して左脚に寄り添っている。
 対する背中側は前側の反転パターンで茎は右脚だ。
 眉とアイラインに色を引き、真っ赤なルージュを塗る。
 姿見に映るわたしは、信じられないくらい元のわたしとは違う。
 先生とわたしを繋いだ「エケベリア・ラウィ」の妖精達と同じ存在のよう。

「じゃ、頑張ってね、シオちゃん」

 先生に両肩を優しく添えられ、椅子からゆっくりと立ち上がる。
 今のわたしはヌードではない。


 極楽鳥のように色鮮やかな花のストレリチア。
 鮮烈なオレンジと青、茎の緑が純白のキャンバスと漆黒のホリゾントに映える。

 わたしは先生を着ているのだ。

 




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「あなたって本当に面白かったわ。国見君の話をすると必ず口をへの字にする。何を考えているのか、分かり易いったらありゃしない」

 日本を発つラウィの最後の言葉に愕然とするわたし。
 そうか、そんなに顔に出るのか………

 困惑するわたしにはお構い無し。ラウィの言葉は続く。

「ストレリチアの花言葉。気取った恋、恋する伊達者、万能、強運、色々あるけど……」

 ラウィこと大石加奈、先生が十六年前に描いた最初のヌードモデル。
 その特徴的な奥二重を蒲鉾のように歪ませる。

「全てを手に入れる」

 ラウィの真似をして、わたしは口角を逆への字に吊り上げた。




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